ダーク・ムーン
 
  暗黒巨編、不滅の金字塔!! 今もっとも 闇が熱い街、ヴァンクーヴァー 地に堕ちた 男とたち 宿命の三重奏 これぞ魂の暗黒大作 ・・警察になりきれない男と,辞めても警官出あり続ける男。馳星周の見つめた男たちの苛烈な生に瞠目させられた。これは。警察小説の新軸をひらいた傑作だ。佐々木譲 ・・  
著者
馳星周
出版社
講談社
定価
本体価格 1900円+税
第一刷発行
2001/11/10
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ISBN4−08−774558−9

1

呉達龍は煙草をくわえた。
ハンドルにもたれかかった。
窓の外に目をやった。

チャイナタウン─―ほとんどの建物が派手に飾りたてている。
どの店の軒先にも赤い紙が張りつけられている。
爆竹の束が吊るされていた。

明日は大晦日。
明後日の春節になれば世界中の中国人が浮かれ狂う。
ヴァンクーヴァーも例外ではない。

目の前のチャイナタウンと郊外のリッチモンドで大勢の移民が新しい年を祝うだろう。
酒に酔った市民たちが爆竹を打ち鳴らす。
麻薬にラリった古惑仔たちが銃をぶっ放す。

ヴァンクーヴァー市警と騎馬警察、それにCLEU(Coordinated Law Enforcement Unit ─― ブリティッシュ・コロンビア州連合捜査局)は春節を目前に控えて合同で特別警戒態勢を敷いていた。
アジア系マフィア─―黒社会は今ではカナダ全土にとっての頭痛の種だ。

呉達龍はヒー夕ーの温度をあげた。外は雨。
気温はマイナス五度。
冷たい雨の降りつづける季節。

香港を思い、身体を震わせる。
煙草に火をつける。
相棒のケヴィンが車を降りていってから二時間近くになる。

野暮用─―ケヴィンはいった。
おおかた、どこかの香港女の尻を抱えているのだろう。
ヴァンクーヴァーには火照った身体を持て余した女が溢れている。

旦那たちは香港に戻り、向こうで金を稼ぎ、向こうに女を作る。
ヴァンクーヴァーに取り残された女たちの楽しみはショッピングと井戸端会議、それに、白人漁りだ。
白人の男なら、選り好みさえしなければ餓えることはない。

ルームミラー─―浅黒い肌。
薄い眉。
細い目。

横に広がった鼻。
呉達龍は自嘲した。
プライドの高い香港女が自分に股を開いてくれる可能性は限りなくゼロに近い。

呉達龍は目を細めた。
ルームミラーに映る自分の顔の奥。
ブルゾンを頭まで引きあげ、濡れた歩道をかけてくる男─―趙偉。

ヒモ、ポン引き、こそ泥、タレコミ屋。
いくつもの仕事を持っている。
十四K系組織のチンピラだった。

「龍寄、待たせたかい?」
趙偉はリアシートに滑り込んできた。
「おれのことを気安く兄貴なんて呼ぶな」呉達龍は英語でいった。

哥という広東語は兄貴分を意味する言葉だった。
「ミスタ呉なんていえるかよ」趨偉は広東語で返してきた。
「じゃあ、呉先生だ」

呉達龍は今度は広東語でいった。
「あんたとおれの仲じゃないか」
「おい」

ルームミラーの中の趙偉を睨んだ。
「調子に乗るなよ」
「わかったよ。そう脅すなって。明後日は春節なんだ。少しぐらい舞い上がってもかまわないだろう?」

「春節だろうがなんだろうが関係ない」
「あんたにだって家族がいるんだろう?」
「それとこれとどういう関係があるんだ?」

ルームミラー趙偉の目が左右に泳いだ。
意気地のないチンピラ。
だったら、最初からいきがるのをやめればいい。

「あんたは香港人らしくないってことさ」
「おれはカナダ人だ」
ルームミラー─煙草の煙をはきかける。

「そんなことは知ってる。おれがいいたいのは……」
趙偉は口ごもった。
媚びるような目を向けてきた。

「あんたもわかってるだろう?」
「呉先生だ」
「わかったよ、呉先生」

不貞腐れた顔。
追い打ちをかける。
「耳に入れてきたことを話せ。おれが煙草を吸い終わる前にだ。それができなきゃ、おまえの尻を蹴り飛ばして車から叩き出す。そして大声で叫んでやる。趙偉は仲間を警察に売る狗だってな」
「ヴエトナム系の連中がなにか企んでるらしい」

趙偉は咳込むように話しはじめた。
「先月、風紀課のおまわりたちがイーストペンダー・ストリートのレストランに手入れをしただろう?白粉がごっそり見つかったってやつさ。ヴェトナムのやつら、慌てて新しいヤクを買い付けようとしたんだが、どこかで話がこじれちまったんだ。それで、このままじゃ飯の食い上げだってんで、二発ぶっぱなすってあちこちでふきまくってる」

話が漠然としすぎていてぴんと来ない。
呉達龍は首を後ろに捻った。
「おれが聞きたいのはもっと」

 

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