まえがき
わたしがテロリストとテロリズムの研究をはじめて二十年以上たつ。
だが、テロリストと話してみると、その大半がごく「ふつう」の人であることに、いまでもかならず驚かされる。
わたしたちが想像するような、目をぎらぎらさせた狂信者でも、我を失った殺人者でもなく、とても理性的で、きわめて思慮深い人たちだ。
彼らにとってのテロリズムは、じっくり考え、話しあったすえに、やむをえず取る、道理にかなった選択である(あった)。
わたしは、「ふつう」の人々が、考慮のすえに流血や破壊の道を選ぶという矛盾に興味を持ち、そして、本書ができあがった。
しかし、本書で、テロリズムに関する新しい理論を発表したり、解釈をしたおすつもりはない。
過去と現在のテロリズム全般を見わたしてみて、とくに重要と思われる傾向に焦点をしぽり、そこから、テロリストは「なぜテロ行為をするのか」の理由をつきとめ、今後の彼らの行動と可能性を探ろうとした。
そのため、すこし変則的かもしれないが、抽象的な理論はやめて、これまでの歴史のなかで重要と思われる傾向に重点を置いた。
また、モデルを示して説明するのではなく、事実にもとづいて説明した。
本書を、研究者だけでなく、学生にも読みやすいものにして、この分野の文献にあきらかに欠ける穴を埋めたいと思った。
したがって、一部の専門家だけでなく、広く一般の人々にも読んでいただければと思う。
この本を書くにあたっては、数多くの既刊未刊両方の文献を参考にした。
わたしの研究は、これまでの多くの研究の上に成りたっている。
この分野の研究をつづけてきたマーサ・クレンショウ、ブライアン・ジェンキンス、ウォルター・ラクォール、デイヴィッド・ワードロー、ポール・ウィルキンソンらの功績がなかったら、研究を進めることはできなかったと思う。
また、コンラッド・ケレン、エアリアル・メラーリ、デニス・プルチンスキーの研究も参考になったし、また、彼らの当を得た助言や手厳しい批評が役立ったのも一度や二度ではない。
だが、本書中のまちがいや失礼や欠陥の責任はいうまでもなくわたしにある。
匿名希望のさまざまな人々のはからいで、わたしは、ふつうの人が近づくことのできない施設に行き、重要人物に引きあわせてもらい、さまざまな微妙な問題について話しあったので、テロリストとテロリズムについて広く深く理解することができた。
身元を伏せておきたいという彼らの希望は聞きいれたものの、間接的にしろ、その強烈な印象は本書全体からあふれている。
彼らの協力は、今後も忘れない。
本書のための調査や執筆は、セント・アンドリューズ大学での講義や事務や資金集めなどの仕事の時間外に行たった。
大学の同僚がいろいろな点で劫けてくれたおかげで、執筆の時間や考える余裕を確保できた。
とくに、ジョン・アンダーソン、リック・フォーン、アリ・ワトソン、そして国際関係学部のジーナ・ウィルソンに感謝したい。
また、テロリズムと政治的暴力研究センターのデイヴィッド・クラリッジ、ドナ・ホフマン、スザンヌ・、二ールソン、マグナス・ランストープ、ポール・ウィルキンソンに感謝する。およそ四年前にセント・アンドリューズ大学に入学し、光栄にもわたしが、教え、指導した多くの学生も、かげで貢献してくれた。
とくに、ギャヴィン・キャメロン、ロハン・グナラトナ、メリッサ・マクファーソンとIR3008─つまり「国際テロリズム特別コース」のクラス生にも感謝したい。
核拡散防止研究センター、フランク・キャス・アンド・コー、ジェーン情報グループ、そして「核拡散防止評論」「テロリズム・アンド・ポリティカル・ヴァイオレンス」「ジェーンズ・インテリジェンス・レヴュー」「スタディズ・イン・コンフリクト・アンド・テロリズム」などの出版元であるテイラー.アンド・フランシス杜が、以前にわたしがそれらの雑誌のために書いた記事の資料を使わせてくれたことに感謝する。
本書は、家族の惜しみない愛情と励ましがあったから完成にこぎつけることができた。
両親、兄、そしてなにより妻と子どもたちに対する感謝は、言葉では表わすことができないし、今後ずっと感謝しつづけることと思う。
カレン・ガーデラ、ベンとティナ・シュワルツ夫妻、アンダース・スティーヴンソン、ジェニファー・トウの支えと友情も、ほんとうにありがたかった。
最後に、本書を発行してくれたゴランツ杜の人々に感謝する。
ケイト・ホーダーンは、本人は気づいていたいだろうが、研究が危機的状況にあったとき、彼女のいったひとことのおかげで、それを乗り切ることができた。
ヒューゴー・コックスとヴィヴ・レッドマンはいつも信頼できる助っ人で、ジリアン・ブロムリーの最高の編集技術のおかげで、無作法な著者はそれ以上の恥をかかなくてすんだ。
だが、わたしがだれよりも感謝したいのは、この仕事をわたしに依頼し、進行を手伝い、そして、けっして自信を失うことのなかったショーン・マギーである。
一九九八年一月セント・アンドリューズにて
ブルース・ホフマ
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