オカルト
 
  私はぎゅっと、畏怖を、抱きしめる。もう一つの世界との交感・・・・・散文三十五篇 異界の扉 水のある場所 消えた時計 危険ですよ 五月闇、吠える犬 しだれ桜と、泣き男 重い鞄 チソしてカレーライス カッコーの巣の上で 花と魔法 黒い鳥 世界には何でも落ちている いちごあめ 混線とコンセント プラマイゼロ 春の情景 時が止まる ゴツゴ様 盆の出来事 砂男 青い炎 蝿の生活 蜘蛛女 ・・・・  
著者
田口ランディ
出版社
メディアファクトリー
定価
本体価格 1100円+税
第一刷発行
2001/10/03
ご注文
ISBN4−8401−0370−4

異界の扉

幽霊というものには、会ったことがない。
せめて一度くらいお会いしたい、と思うのだけど、残念ながら幽霊を見る力に恵まれなかった。
友人や、友人の友人には頻繁に幽霊を見る人がいる。

そういう人はきっと、常人には見えない波長を感知する才能があるんだろう。
私には霊感というものがまるでない。
霊感、ヤマ感、第六感、さらにクジ運もない。

じゃんけんすらいつも負ける。
ビンゴを当てたこともない。
もれなく当たるはずの景品が、私にだけ送られて来なかったこともある。

ちくしょう、である。
ちょっとしゃくだ。
たとえ借金だろうが、人にあって自分にないのは口惜しい。

なんでえ、私にもなにか人に優る「力」がないもんかいな。
いろいろ考えた末に思いついたのが
「気配」

を知るという能力だった。
どうも私には気配を察する、気配を読むという能力が備わっているようなのだった。
いや、これを能力と呼んではおこがましいかもしれない。

こんなことは誰でもできるのかもしれない。
でもまあ、私は気配偏差値七十くらいの自信はある。
この「気配」というヤツ。

これはもう「気配」としか言いようがたいのだが……。
漢字で書くと、たんか「気配り」みたいで変だな。
「けはい」である。

たとえば、私は「雨の気配」とか「雪の気配」とかを感じる。
「犬の気配」
「猫の気配」
「車の気配」
「蚊の気配」
「地震の気配」
「猿の気配」
「人の気配」
かなり広範囲に「気配」を感じるのである。

この「気配」というのは「予知」というのとは違う。
「気配」なのだ。
空気を伝わってくる感じ、毛穴で感じる質感、皮膚で察知するある雰囲気。

たぶん私は「眼」よりも「皮膚」の方が性能がいいのだ。「眼」で感知することは苦手だけど、「皮膚」で感知することなら得意なんだ。
私が「気配」に対して敏感になったのには、 きっかけがあった。

三十五歳のときに、兄が突然に死んだ。
兄は真夏にアパートの部屋を閉め切って衰弱死し、じくじくと腐って溶け出した。

あたり一帯は凄まじい死臭で満たされた。
その死臭はあまりにも強烈で、私の何かを変えてしまった。

兄の死臭を嗅いでから、私はどうしたわけか小さなものが気になって仕方ない。
床を這っていく蟻とか、ゴキブリの卵とか、他人の頭のフケとか、見たくもないのにそういう不気味な小さいものを見つけてしまう。

部屋の隅の蜘蛛の巣、そこにひっかかったショウジョウバエ。
自分の手の甲の鱗模様、カビの細い毛、石畳にへぱりついた菌類、他人の歯の歯垢、そんなものをじっと見てしまう。

自分の目がマイクロレンズになったみたいだった。
見つめてしまう。

否応もなく。
無視できない。

 

 

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