オー・マイ・ガァッ!
 
  舞台はラスベガス。取り戻すのは己の誇り!浅田次郎のパワー全開、笑いと涙のテンコ盛り!日本史上最大のお気軽男、ファッション・メーカーの共同経営者にだまされ彼女も逃げられた正真正銘のバカ、大前剛47歳。・・  
著者
浅田次郎
出版社
毎日新聞社
定価
本体価格 1700円+税
第一刷発行
2001/10/10
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ISBN4−620−10650−X

An Introduction

ゲスト・ルームの電話がけたたましく鳴ったのは、私がギャンブルに疲れ果ててカジノから戻り、シャワーも浴びずにベッドに倒れこんだとたんだった。
時刻は真夜中の二時を回っていた。

ラスベガスに不作法な知り合いはいないから、その電話はたぶん日本とアメリカの時差を数えまちがえたか、さもなくばてんで計算していない編集者からのマヌケな連絡だと思った。
ラスベガス・ブールヴァードの華やかな夜景を収めた窓に枕を投げつけ、受話器を両手に抱えて、「何時だと思ってんだバカヤロー!」と、私は久しぶりの日本語で怒鳴った。

負けが込んでいるところに、鬼のようなディーラーからダメ押しのB・J三連打を浴びせかけられ、ほとんど生きる自信さえなくして泣き寝入りしたとたんの電話である。
たとえ相手がおふくろでも、私には「バカヤロー!」を言う権利はあった。

しかし耳に飛びこんできたのは、私よりもっと興奮した、金切声の英語だった。
「オー・マイ・ガアッ ! オー・マイ・ガアッ ! オー・マイ・ガアッ !」

女の声は立て続けに三度、そう叫んだ。
字で書けば「OH MY GOD!」、日本語に訳すと「かーみ一さ一ま一 !」である。

瞼をこすると、ホテル・ベラッジオのアッパー・フロアから眺めるテンコ盛りの夜景が眼下に迫った。
キング・サイズのベッドのどこかに放り捨てたメガネを探す。

「何があったかは知らんが、僕は今、その神様を心の底から呪っている。もしまちがい電話でないのなら、まず名前を言いたまえ」
アイム・ソーリー、と相変わらずの金切声で女は詫び、ごく親しげにスザンナと名乗った。

「あたしね、たった今、大金持ちになったの。デザート・インの8000スクエアフィートもあるスイート・ルームにいるのよ。すぐこっちへ来て乾杯をしてちょうだい。もちろんタクシー代は払うわ」デザート・インはラスベガス・ストリップの北にある超高級ホテルである。8000スクエアフィートのスイートというのが、いったいどんなものかは知らないが、要すみにかつてハワード・ヒューズが住んでいた部屋のことであろう。これはきっと、お茶っぴきのコール・ガールが考えついた苦肉の策にちがいないと私は思った。

「あいにく僕は、バンジョーを持って出かけるほどヒマじゃないんだ」ジョークを少し考えてから、スザンナはヒヤッ、ヒヤッと笑った。
「ここはアラバマでもルイジアナでもないのよ。同じラスベガスのデザート・イン。あなたのホテルからはほんのーマイルじゃないの。ねえ、すぐ来て」

「残念だがスージー、僕は君のことを良く知らないんだ。パーティに誘うのなら、もうちょっと親しい人にしてくれるかな」
興奮の糸がプツリと切れたように女は押し黙り、深い溜息をついた。
「そう……わかったわ。誰も信じてくれない。あなたの言う親しい人たちに片っ端から同じ電話をしてるんだけど:……」

「なるほど。それで、さして親しくもない僕にまで電話をかけたというわけだね。ともかく君の幸運を祝福しておくよ。おやすみ」
「ごめんなさいね………おやすみ」やれやれ、と受話器を置き、私はベッドに横たわった。

ライト・アップされた白亜のシーザース・パレス。
その向こうにはミラージュ。

女が私を呼び寄せようとしたデザート・インはさらにそのまた先である。
ハテ、新手のコール・ガールにしては謎が多すぎる。

客に呼ばれるのではなく客を呼ぶという発想は、まあ大したものだけれど。
8000スクエアフィートのスイートであるかどうかはともかく、女はデザート・インのどこかのゲスト・ルームに住みついて、こうした手の込んだ商売をしているのだろうか。
そこからまったく当てずっぽうに、よそのホテルのスイートに電話を入れ、スロット・マシンのジャック・ポットが出たので祝福してくれと言って呼び寄せる。

 

 

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