無差別テロの脅威
 
  二00一年九月十一日、ニューヨークの世界貿易センタービルを襲った自爆機。衝撃の映像は全世界を駆けぬけ、新しい戦争の幕開けに人々は戦傑した。世界の各地で多発する高度な科学技術を用いたテロの全貌を詳述し、その実状にせまる話題の一冊。アフガン、中東に熟知した著者がテロの戦略と展望、対処法を解明。
 
著者
松井茂
出版社
光人社NF文庫/光人社
定価
本体価格 695円+税
第一刷発行
2001/10/25
ご注文
ISBN4−7698−2325−8

第一章  現代型テロの戦略

現代型テロは新型の戦争

テロは、有史以来存在した闘争形態である。元来、弱者が用いる戦法であった。

だが、近年の科学技術の発達により、その与える損害が大規模化してきた。
すなわち、軍事的効率が非常に高まったのである。機関銃よりずっと進歩したバルカン砲、対戦車ロケット砲、対戦車ミサイル、携帯対空ミサイル、迫撃砲、プラスチック爆弾を含む新型爆薬などが高度に発達し、個人で携帯して操作できるようになった。

これらによって、個人および少数集団の戦闘能力は、いちじるしく向上した。
これまで、もっとも軍事効率が高かったのは、ゲリラ戦であった。一人のゲリラ兵士で、一〇人の正規軍兵士を相手にできた。
だが、今日のハイテク・テロリストは、場合によっては、一人で何百人も相手にできる。

旧日本帝国陸軍の鬼才といわれ、満州事変の立役者となった故石原莞爾将軍は、著書「世界最終戦論」のなかで、次のように述べている。
「戦争の最小指揮単位は、大隊→中隊→小隊一→分隊と逐次小さくなっており、やがて個人となろう」今日のハイテクで武装したテロリストの登場は、最小指揮単位が個人となった一例であろう。

ただし、石原将軍はテロ戦争を予想したのではなく、国家の総力を挙げて闘う決戦戦争においての個人戦闘を予想していたのであるが……。ともかく、ハイテク…テロは現代型戦争の一種というべきである。

テロ闘争で独立した三つの国先に、現代のハイテク・テロは新しい型の戦争であると述べた。戦争には、戦略・戦術がつきものである。
現代テロにもそれなりの戦略的展望がある。それらについて、歴史的に掘り起こしていくことにする。まず、テロ闘争によって独立を獲得した三つの国がある。
これら三ヵ国は、イスラエル、キプロス、南イエメンで、いずれも中近東の国であり、旧支配者はイギリスという共通点がある。

なかでも、キプロスでEOKAの軍事指導者グリヴァスの立案したテロ戦略は、今日でも生命を失っていない。
ともかく、この三つの国で行なわれたテロ闘争を知り、これを基盤として、現代テロ戦略の様々な形態を述べることにしよう。

イスラエルの反英テロとイギリス軍の撤退第一次大戦後、中近東の地はイギリスとフランスによって分割されていた。
その際、イギリスがアラブとユダヤにおのおの都合のいい約束をしたことが、今日までのユダヤとアラブの争いを招く結果となった。
一九二〇年四月、パレスチナはイギリスの委任統治領となった。

そして、イギリス外相バルフォアが一九一七年にあたえたユダヤ人国家建設を約束した、いわゆる「バルフォア宣言」の実現に向けて、ユダヤ人は動き出した。
ユダヤ人のこうした動きは、当然のことながら、同じパレスチナの地に住むアラブ人との摩擦を招き、今日も故地奪還をめざすパレスチナ・ゲリラ諸派を生み出しているのである。
そうこうするうち、ナチス・ドイツが台頭してヨーロッパを席捲し、戦雲が全ヨーロッパを覆いはじめた。

イギリスは対ドイツ戦を意識して、アラブ諸国へ接近し、これまでのユダヤ人優遇策が影を潜めてきた。
そのため、パレスチナのユダヤ人たちは、地下組織を結成、反英闘争に踏み切った。
大戦終了後、イギリスは、ユダヤ人移民を拒否した。

そのため、これを契機に地下軍事組織は反英テロを開始した。
一九四六年七月のある日、エルサレムのキング・デービット・ホテルに一台のトラックが近づいた。四階建てのホテルの周囲にはバリケードが築かれ、イギリス兵士が歩哨に立ち、厳重に警戒していた。

このホテルには当時、イギリスの委任統治政府と軍司令部が置かれていたのである。
トラックはこのホテルヘ食糧を届けに来たのであった。
検問を受けたが、アラブ人らしき運転手のID力ード(じつは偽造)には不審な点はなく、トラックは地下の倉庫へと降りて行った。

しばらくして大音響とともに、ホテルは大爆発を起こした。
トラックの中に多量の火薬が隠されていたのだった。
死者は約一〇〇人、負傷者も約同数で、委任統治政府と軍司令部の要貝多数が失われた。

同事件はユダヤの反英テロのなかでも最大であった。
この、自動車に時限爆弾を仕掛けて停車したままにしておく方法は、今日の中東のテロでもさかんに用いられ、威力を発揮している。爆弾テロに加え、個人暗殺も行なわれた。
イギリス高等弁務官は、ユダヤ人テロリストによくつけ狙われた。

一九四四年八月、ハロルド・マクマイケル高等弁務官は、しばしば待ち伏せを喰ったが、無事に逃れることができた。
だが、同年十一月、ユダヤの地下組織過激派はカイロに刺客を送り、イギリス国務相(中近東駐在)のモイン卿を暗殺した。

国連派遣の調停官ベルナドッテ伯爵も、一九四八年九月に、暗殺された。
反英テロのほか、反ハラブ・テロも盛んに行なわれた。

 

 

このページの画像、本文からの引用は出版社、または、著者のご了解を得ています。

Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved. 無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。