赤きマント
 
  「赤いマントと青いマント、どっちがいい?」戦中の東京中の少年少女を恐催せしめた怪人・赤マントは実在したのか?『肉付きの面』『歌い骸骨』『魔女の箒』「奇し物」の蒐集家たちが完全会員制【第四赤口の会】に集う。昔話に秘められた真実とは?凡百の都市伝説と一線を画す、奇才が贈る民俗学ミステリ。  
著者
物集高音
出版社
講談社NOVELS /講談社
定価
本体価格 740円+税
第一刷発行
2001/10/05
ご注文
ISBN4−06−182203−9

赤鴉荘の夕べ

夜灯が侘しい。
夜風が哀しい。
坂に行人もなく、月もない。

冬至の候、人恋しい歳末の宵である。
一丸一美は、丸ノ内線茗荷谷駅を出た。
交番の脇を抜けた。

湯立坂を下った。
千川通りを渡った。
網干坂に立った。

右手は小石川植物園である。
左手が氷川神社である。
最早、騒々しい人声も、聖誕祭の奏楽も聞かれない。

植物園の大柳が木枯らしに揺れ、おいでおいでをする。
それに誘われるようにして、長い長い急坂を上り始める。
右も左も不気味に暗い。

棕櫚や椰子が人影じみて変に恐い。
古びた煉瓦塀が刑務所めいて妙に心細い。
が、女の足取りに躊躇はなかった。

と云うより、酷く忙しなかった。
何かを探して躍起だった。
塀沿いを往きつ戻りつして大童だった。

腹立たし気に吐いた。
不興気に独りごちた。
「あ〜、も〜う! どこよ ? どこなの ? 一体 ? 」かなりに気忙しい。

相当に短気らしい。
それは顔の造作にも垣間見えた。
気の強さが表われた。

眦は吊り上って、顎も尖った。
唇は薄く、眉も細かった。
これで鼻さえ高ければ、均斉が取れた。

一応の美人と云えた。
が、団子鼻が台無しにした。
それほどに大きかった。

無論、それを愛らしいと云ってくれる物好きも、決してないではなかった。
しかし、女の癇性を知るにつけ、いつしか去って行った。
「鼻は整形で直るが、あの性格だけはな」そんな陰口を叩かれたが、当人は存じまい。

たとえ知ったからとて、手術を受ける心算も、温和しくする心算もあるまい。
凡俗を罵った。
大人を笑った。

世間を睨んだ。
女性ながらに天晴な硬骨である。
極付けの臍曲りである。
敬愛する作家が、中井英夫に澁澤龍彦、花田清輝にヴィリエ・ド・リラダンと云うのだから、それも頷ける。

60〜70年代のサブカルチャーを知る世代でもある。
「あ!もしかして、これ?」
もう坂上も近い辺りに木戸があった。

表札が掛かった。
「図師家通用口」に「行止リ通行不可」とあった。
女は恐る恐る木戸を開けた。

坑道ばかりに狭い路地があった。
砂利道があった。
図師と入った軒灯が、辛うじてそれを照らした。

坂下に団地があり、各戸、皓々と灯りを燈した。
やがて正門に出た。
木立ち越しに望む邸宅は赤煉瓦だ。

英国風のクラシック様式だ。
しかし、そう大きくはない。
多分、百五十坪もない。

但し、三階建てだった。
一、二階がアーチ状、三階が丸窓だった。
が、屋根に塔やドームはなかった。

バロックの華やかさはなかった。
ゴシックの仰々しさもなかった。
見る者に酷薄な感じを与えた。

端正な印象を齎した。
パラディアニズム様式だった。
それでも闇に沈む洋館は厳しかった。

重々しかった。
前庭の芝も枯れ、寒々しかった。
母屋の周囲には、椈やユーカリ、松、銀杏などが植えられ、陰が濃かった。

扉は鉄板に縁取られ、愛想がなかった。
女はその前に立ち尽くした。
真鍮の飾りに気付いた。

呼び鈴を鳴らした。
中年の手伝いが出て来た。
客を招じ入れた。

女が名乗った。
「あ、あの、私、一丸と申しますが……」
豪勢とは云うまい。

華美とも云うまい。
が、灰暗い中にも映じられる景色は、荘重とも瀟洒とも云い得た。
女を臆せしめた。

そこかしこに封じられた時間が見えた。
木床の反りに。
漆喰の瞭割れに。

絨毯の毛玉に。
硝子の曇りに。
また、それは腐敗の兆しとも見えた。

時は挨や塵と違う。
拭いがたく、容赦がない。
壊し、崩し、剥ぎ、焼く。邸は最早、その横暴に堪えかねて見えた。

手伝いが心得顔に応じた。
無表情に返した。
「はい。図師より相見様のご紹介と伺っております。では、こちらへ」

相見とは古本屋だ。
「月波堂」の屋号で、西神田に店を構えた。
主に戦前のエログロ、探偵小説、戦後の怪奇幻想、欧州の魔術系を扱った。

女はそこで中井や澁澤の初版本、『リラダン全集』や『血と薔薇』、レミの『魔法孜』やボダンの『悪魔慧きと妖術使い』、グアッツィオの『魔女大要』を購った。
けだし、上客である。
常連である。

だが、女が「月波堂」以外で古書を求める事はない。
即売会へ行く事もしない。
目録買いもしない。

あれば買うが、なければ買わない。
これでは古本趣味とは云えない。
探してこそ、求めてこその古本道なのである。

趣味道なのである。
目録片手に朝は早くから─―いや、脱線が過ぎた。
女は玄関脇の扉を潜った。

広間へ入った。
彼方は客室だった。
十二、三畳はあった。

意匠は表現派風に奇を街った。
モダニズム風に新奇を求めた。
壁紙は棒縞だった。

絨毯は亀甲だった。
椅子の背当ては市松だった。
部屋は直線が支配した。

円と曲線を排した。
幾何を讃えた。
詩を蔑んだ。

父を敬した。
母を貶めた。
女にはそう見えた。

不自然に映った。
また、先客も見えた。
皆、椅子に座った。

男が三人だった。
女は一人だけだった。
各々、瑚腓を飲んだ。

新聞を読んだ。
携帯ゲームをした。
編み物を編んだ。

向うも気が付いた。
四十代の白人だった。
三十代の大兵だった。

六十代の禿頭だった。
七十代の黒服だった。
一同、揃って顔を上げた。

客の人品を検めた。
白人は一面、髭を生やした。
頬から顎から髭もじやだった。

眉もげじげじだった。
頭髪は赤味搭かったブロンドだった。
服装は上品なハリスツイードの上下だった。

英国式の三つ揃いだった。
それが歯を見せた。

愛想よく笑った。
「アナタ、新会員の方デスナ?月波堂サンの紹介デスナ?」
「はい、一丸と申します。宜しく……」

「ところでェ〜、おたくさァ〜、何をォ〜、蒐めてるのォ〜? ぼ、僕はァ〜、《欺瞞》だけどォ〜」眼鏡の肥大漢が割り込んだ。
長髪のポニーテールが細い目をさらに砂めた。
舌足らずに語尾を伸ばした。

身体に似合わぬ甲高い声を発した。
他人に甘えるような感じを与えた。
「ぎ、欺瞞?」女が繰り返した。

返答に窮した。
と、銘々が勝手に披露した。
挙って云い立てた。
「ワタクシは《抑圧》デスガ……」と、白人。

「儂はな、《色欲》を蒐集しとるよ」と、和服。
「《死》さ、妾はね」と、喪服。
女には意味が判らなかった。

声が出なかった。
即答出来なかった。
「まあ、ほれ、そこに座りなさい」色欲の先生がステッキで指した。

女は手近な肘掛け椅子に座った。
先生は頷いて先を進めた。

「いいかね、この会、『第四赤口の会』は、ああ、赤口と云うのは知っているな?さよう!六曜の中で最も不吉の日だ。ここでは、皆、何かしらの蒐集家だ。またそうでなくては、『奇し物』を持ち来る事も叶うまい。儂は下間化外なる老書生だが、人間の色欲を蒐めておる。いいかね?色欲の蒐集とは、即ち、性愛の様々な形を知ることに他ならぬ。端的に申せば、売笑史となる。花柳史でもある。判るな?では、今一度問おう、君は何を蒐めている?」彼らの謂いは文飾だった。

一種の暗楡だった。
女はやっとそれが判った。
微かに息を吐いた。

 

 

 

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