箸墓幻想
 
  時を声、歴史すら越える、怨念の輪廻。身も凍る妄執の冥宮に、浅見光彦は立ち尽くした! 奈良・箸墓古墳から長野、東京─―。推理小説の枠をはるかに超越する、内田文学の新たなる頂点!  
著者
内田康夫
出版社
毎日新聞社
定価
本体価格 1700円+税
第一刷発行
2001/08/15
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ISBN4−620−10648−8

プロローグ

奈良盆地の空はうっすらと晴れてきた。
昨夜までの雪に覆われた葛城山系の峰々は、銀色に輝いている。
はるかに望む二上山の特徴的な二つの山項も、真っ白に化粧して、やわらかな早春の光に映えていた。

大和路の春はまだ浅いが、三輪山の山裾の里のそこかしこから、草木の芽吹きの音が聞こえてくるようなのどけさが広がった。
小池拓郎は巻向の田園をゆっくりと歩いて行った。
この辺りの道はなだらかな斜面の、等高線に沿うようにつづく。

昨日まで、雪やみぞれまじりの雨が降ったせいか、野良仕事の人の姿はほとんど見えない。
濡れた田や畑からゆらゆらと立ちのぼる水蒸気に、地表のものの形が、かげろうのように瀧に揺れる。
そのかげろうの向こうに箸墓がある。春先のこの時期、常緑の樹々の多い箸墓は、黒く錆びた

濃緑色の岡である。
小池は足を停めた。
箸墓と向かい合うと、いつも胸の底からこみ上げてくるものを感じる。

懐かしさと畏れと、それに生涯を費やしても購うことのできない罪の意識が、ある時は甘露のように、ある時は苦い胆汁のように湧いてくる。
小池にとって箸墓は、初恋にも似た憧れの対象であった。
いや、恋人以上の存在と言ってもよかった。

その証のように、小池はついに妻を娶ることなく、七十六歳の春を迎えた。
悔いはないかと訊かれれば、胸を張って「悔いはない」と答えられるほどの自信はない。
むしろ悔いることの多い人生だったといえる。

小池はいつだって謙虚に、自分の正しいと思った道を選んできたつもりだ。
しかし、多くの場合、思いとは裏腹の結果を招いた。
善意から出た行為が相手を傷つけ、不幸のどん底に陥れ、とどのつまりは死を招いた。

それは単なる不運とばかりはいえない。
自分の不器用さや臆病や偽善がなせる罪であることを、認めないわけにいかなかった。
そういう若き日の罪の意識が、小池にあたかも禁欲主義者のような学問ひと筋の生きざまを選ばせた。

そうして後半生はまさしく、自分らしい真っ当な道を歩んできたつもりであった。
「あのこと」に直面するまでは、そう信じていた。
恐ろしいと心底、思った。

業だとか因縁だとか、日頃はあまり信じない非科学的なものが、忽然と、亡霊のように現れたのである。
目の前にその亡霊を見た時、小池は許されざる罪業の深さを思った。
牧歌的な風景の中に歩を進めながら、小池はあたかも、死んだ妻・イザナミに会いに行くイザナギの心境だった。

愛しく美しい妻を慕って黄泉の国に入ったイザナギが見たものは、欄れた腐肉に蛆虫が涌く醜悪なイザナミの姿である。イザナギは震え上がり、逃げ出した。
イザナミは芳恥と怒りでイザナギを取り殺そうと追いかける。
現世へつづく暗黒の坂は長い。

必死で逃げるイザナギと、妄執と怨念でいまはもはや死に神と化したイザナミ。
かつて愛しあい、子まで成した者同士とは思えない、凄絶な光景である。
(死に神か)

小池の胸に躊躇いがあった。
自分もまたイザナギの轍を踏もうとしていると思った。
しかし、この場から引き返すことはできない。

もし引き返せば、学者の良心を賭けて「あのこと」を阻止しなければならないだろう。
それは過去の罪業を洗いざらいぶちまけることでもあった。
そうすれば間違いなく、また一つ罪を犯すことになる。小池は首を振って、まとわりつく未練を払い捨てた。

いまはもうイザナミ死に神の気のすむように、わが身を委ねるほかはない。これはかつて小池が犯した三つの「殺人」を償うべく、「約束された殺人」なのだ。
それにしても、「あのこと」は恐怖であるのと同時に希望でもあった。
失われた半世紀をいっぺんに取り戻す奇跡であった。

 

 

 

・・・・続きは書店で・・・・

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