夢の島
 
  長編冒険エンターテイメント 勝者は無限の富、敗者はには死を・・・ 命を賭けた欲望のゲームが始まった・・・ 「見知らぬ父」が、青年を忌まわしき宝探しへと誘った。  
著者
大沢在昌
出版社
双葉社
定価
本体価格 838円+税
第一刷発行
2001/8/10
ご注文
ISBN4−575−00700−5

電話をかけてきたのは、五十歳くらいの女性だと思う。
とても親切で、上品そうなおばさん、といった印象の声だった。
「あの……深夜、突然のお電話で申しわけございません」その人は、まだ夜の十時だというのに、そういった。

電話にでた僕に、「絹田さんのお宅ですか、信一さんでいらっしゃいますか」と確認し、僕がそうですと答えると、
「わたし……あの、静岡の三島に住んでおります、ハヤサカタエコと申します」
「はあ」
僕はそういう他なかった。

ハヤサカという知りあいはいない。
「実は、お父さまのことで─」
ハヤサカさんはそういって、黙った。

鼻をすすっているような音がした。
「はい」
「あの-…こんなことを突然お電話でお知らせするのはどうかと思うのですが、お父さまはお亡くなりになりました」

僕はそれを聞いて、また、「はあ」といった。
自分でも間の抜けた返事だと思って、「そうですが」とつけくわえてみた。
だがハヤサカさんの方が僕より悲しそうで、僕の反応が鈍いことにもあまり気づかない。

「本当はもっと早くお知らせしなければいけなかったのですが……あの、お父さまが亡くなられたのは、先月の八日だったんです。わたし、なかなかお父さまの遺品に手をつける勇気が起きませんで……きのうからようやく……」
ハヤサカさんはそこまでいって、絶句してしまった。

どうも泣いているようだった。
「…申しわけありません、あの……。わたし、お父さまとずっと暮らさせていただいておりましたから…」
「それはお世話になりました」僕がいうと、「とんでもありません ! わたしの方こそ、今まで何のご挨拶もせずに、本当に申しわけございません」ハヤサカさんはあわてたような声をだした。

「それで、お父さまの遺品の中に、あなたの住所を書いたノートがあって、わたしびっくりしてしまいまして。息子さんがいらしたなんてちっとも─―」
「父は僕が二歳のときに、母と離婚したんです」
僕はいった。

それから二十四年間、たったの一度も会っていない。
手紙もくれたことがない。だから父親が僕の今の住所を知っていたという話すら驚きだった。
「あ、そうだったんですか……」ハヤサカさんは、少しほっとしたようにいった。

「あの、父は何で亡くなったんですか」僕は訊ねた。
肝臓ガンだ、とハヤサカさんは教えてくれた。
五十一歳という若さだったので、ガンはあっというまに、父の体を食いつくしたらしい。

僕は変な質問だと思いながらも、亡くなるまでの父が何をしていたかを、ハヤサカさんに訊ねた。
「あの……油絵の教室をやっていらっしゃいました」
「油絵、ですか」

「はい。それとお子さんを対象にした水彩画の教室も……」
ハヤサカさんはいった。
「いつ頃からでしょうか」

「この七年ほど……。わたしがごいっしょさせていただいてからはずっと─」
「そうですが」
「あの……絹田さん、お母さまは」おそるおそるといったようすでハヤサカさんは訊ねた。

「あ、亡くなりました。二年前です。交通事故で……」
「まあ」
ハヤサカさんは息を呑んだ。

その死んだ母は、死ぬまでことあるごとに父を罵っていたとは、僕はいわなかった。
「で、絹田さんにご兄弟は?」
「いません」

「まあ……」
また、ハヤサカさんはいった。
それを聞き、そう か僕は独りぼっちになったんだな、と改めて思った。

だが、母親が死んでからは、ずっと独りぽっちだと思ってきた。
母は、いつも、あんたのお父さんはろくでなしだった。
だからきっと今頃はどこかで野垂れ死んでいる、といいつづけていた。

息子に向かって、母親が父親についていうセリフではないと思うのだが、たった二歳の僕を母親のもとにおいて、他の女と駆け落ちしてしまった父のことを、母はそれこそ死ぬまで恨みつづけていた。
僕は、母と母の両親に育てられた。

祖父と祖母は、僕が十九と二十のときに、あいついで亡くなった。
そして僕が専門学校を卒業して家をでると、母はこれからが自分の本当の青春時代だとかいって、あちこちを旅行してまわっていた。
その旅先、メキシコのチュアナで、乗っていた観光バスが列車と衝突して亡くなったのだ。

 

 

 

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