とっておきの作品集
 
  単行本未収録作品がたっぷり、欲張りでぜいたくな作品集。  フェミナ賞を受賞した処女小説「409ラトクリフ」を初収録。珠玉の中短篇小説とファンタジーets  
著者
出版社
マガジンハウス
定価
本体価格 1300円+税
第一刷発行
2001/08/23
ご注文
ISBN4−8387−1308−8

409ラドクリフ

その部屋は、窓がとても大きかったので、晴れた日には部屋じゅうが白っぽい日ざしであふれた。
その、洪水のようなあかるさの中で、何度も目をさましながら、意識があるようたないようた眠りを眠るのが、私はとても好きだった。
アメリカに来て一ヵ月。

まじめた留学生である私が、そんな眠りを眠れるのは、土曜日だけなのだ。
辞書とタイプライターから解放されて、週間分の睡眠不足を一気に解消する、美しくも健気な朝寝坊なのである。
だから、ドアが遠慮がちにノックされたとしても、すぐ起きる気にはたらなかった。

私はベッドの中でまるくなったまま息をひそめ、ノーラがあきらめて階段をおりていくのを待った。
ノーラはハンガリーからの留学生で、この家の持ち主である。
私の払う家賃のほかにかなりの仕送りがあり、彼女の生活は豊かである。

私の期待をよそに、ノックはだんだん強くなる。
「ナッミィ、ナッミィ」すべての音が鼻にぬけるような、独特の発声でノーラが私をよぶ。
「ナッミィ、ナッミィ」仕方なくごそごそと起きだしてドアをあけると、ノーラがすがすがしい笑顔で立っていた。

明け方までどんちゃん騒ぎをしていたくせに、なんと晴れやかな顔をしているのだろう。
朝っばらからしっかりお化粧をしていることに、私は少しうんざりしながら、「おはよう」を言う。
「ちょっと入ってもいいかしら。起こしちゃってごめんなさいね」心底すまなそうにそう言ってから、彼女はにこやかに話しはじめる。

「フランクはやさしいけれど能なしよ。あんなの、エィミにあげて正解だったわ」
「そうね」眠いので、あいづちがつい、めんどうくさそうなものにたってしまう。
「ねえ、ナッミ」

ノーラが上目づかいに私をみる。またか、と私は思う。「リチャードをどう思う」「いいと思うわよ。背も高いし、ハソサムだし」「それにスポーツマンなのよ」ノーラがすかさずつけ加えた。彼女は恋多きひとなのだ。きのうのパーティでリチャードがかけてきたモーションについて、あれこれ報告してくれるノーラは、まるではじめて恋をした十代の女の子のようにはしゃいでいる。

恋にこりたい人である。「よかったじゃない」彼女の話が一段落ついたところで私は言った。起こされたことの腹いせに、彼女がいちばん言ってほしいことは言ってあげないのだ。フランクよりいいわよ、とは。「フランクよりいいわよね」私はふきだした。待ちきれずに自分で言ってしまったノーラが可愛くて、思わず彼女を抱きしめてしまう。

「幸運をいのるわ、今度のはね」ありがとう、と言ってノーラは微笑み、私のほっぺたにキスをした。
ここでは、お互いの生活に干渉しない、というのがルールだった。
そうして、私たちは二人とも、そのルールが気に入っていた。

台所で、シリアルにミルクをかけて食べていると、オーヴンから甘い匂いがただよってきた。ノ
ーラの、ライスケーキの匂いだ。
これは、ごはんを牛乳でたき、五分粥くらいの状態のときに卵と砂糖とレーズンを加え、オーヴンで焼くお菓子で、来客のときや機嫌のいいときにノーラが決まって作るものだった。

それはいかにも東欧的な、上品で素朴なお菓子だった。
私とノーラはよく、ごてごてして甘ったるいアメリカのお菓子の悪口を言いあう。
ノーラは、私の母がときどき宅急便で送ってくれる鶏卵素麺や黄味しぐれが好物で、私は彼女のライスケーキが大好きだったので、ハソガリーと日本の食生活は似ている、というのが私たちの持論だった。

「ナツミ、きょうはでかけるの」ケーキをオーヴソから出しながら、ノーラがきいた。
「ええ、夕方からね」
「シューヘイと?」
「ええ、映画よ」週末はいつも映画なのだ。

一ドルで観られる学生会の自主上映フィルムは、清貧の留学生のデートにはもってこいだった。
「ディナーパーティをするから早く帰ってね」
「またパーティ?」
私は大げさにおどろいてみせた。

きのうだって大騒ぎをしたばかりなのだ。
「ジョセフが来るのよ」
湯気の立っているライスケーキを型からはずし、適当な大きさに切りわけながらノーラが言った。
ジョセフはノーラの従弟で、ボストンに住む留学生である。

 

 

 

このページの画像、引用は出版社、または著者のご了解を得ています.

当サイトが引用している著作物に対する著作権は、その製(創)作者・出版社に帰属します。無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。

Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved.