I was born ソウル・パリ・東京
 
  果たして、大切なのは、自分がどこで生まれ、ナニジンにうまれたかなのだろうか。  
著者
ミーヨン
出版社
松柏社
定価
本体価格 1600円+税
第一刷発行
2001/08/01
ご注文
ISBN4−88198−970−7

チョンオンの断食

人は、自分の経験していない世界に対して、どれほどの理解を抱くことができるのだろうか。
自分とちがう世界を体験した人と出会ったとき、どうしても、自分の知る小さい世界の延長線上でしか判断することのできない自分がいる。

理解する。
相手を理解するには、私の世界はあまりに小さく、その後の長い歳月が必要だった。
ソウルの東崇洞は賑やかな街である。

大学やカフェ、レストラン、劇場がその賑やかさを誘うのだが、年がら年中、学生デモの催涙ガスの臭いも賑やかで、ハンカチで押さえた目や鼻からは苦い液体が流れる。
あの子たち、またやっているのね。
母は憎らしげによくそう言った。しかしそれ以上は言わない。

母は学生の味方だったから、ガスまみれになっている辺りの空気が他の空気と混ざり浄化するころになると、何事もなかったような顔になる。
東崇洞の家で母が下宿を始めてから、三人の学生が家に住むようになった。
長期間の勉強を必要とする医学部生だった彼らは、年を経るにつれ、しだいに家族的な雰囲気に包まれていったが、しかし、思う存分それを満喫する時間を持たない。

「元気?」
「元気」
すれちがえばそんな会話が交わされることはあっても、どうして医者になりたいのか、というふうな会話にまでは発展しない。

学生デモとは無縁だった彼らは、そんな時間的余裕もなければ、自分の人生を危ういものにかける余裕もない。
日々の挨拶代わりの太陽も雨も何かの変化とは認めず、変わることのない毎日の忙しさに身を委ね、彼らは、今をただ送り迎える。
私もなんとなく、そんな一人だった。

小説よりも実際の経験談を好んだし、自分の人生はそのいくつもの経験談のなかで比較され、可能性を確かめ、そして、夢をふくらませる。
自分のことだけで精一杯だった。
留学のためにソウルを発つ日に向かって足を早め、すぐそばで微笑む花にも眼を向けず、その日も、夕暮れの足々の飛び交う地面のすき間をせっせと歩き、夕食のために家にたどり着いた。
はやく食事を済ませ、今度はアトリエに向かわなくてはならない。そう思いながら上がった居間にはしかし、いつまでも食事をとっていそうな、見ず知らずの一人の青年がのんびりとした空気に包まれ、大きなテーブルを前にして独り座っている。

「イ・チョンオンと言ってね、コリョ大学の医学部生なの。今日からうちに来ることになった。あ、こっちはうちの娘ね。年上だから、ヌナ(おねえさん)ね」母が紹介した。
「はじめまして」という彼の一言を聞いただけで、彼が韓国生まれでないことがわかってしまうと同時に、一文字一文字を区切り、その音を正確に出しきろうとする彼の努力までもが読みとれる。
なにかとても恥ずかしそうに、首を傾げて、持っていた箸をテーブルに置き、片手で頭をかいている。「あなたもそこに座っていっしょに食べたら」と母が言う。

 

 

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