本格ミステリ01
 
  本格ミステリ作家クラブが選ぶ、これぞベスト本格! 読まずして”本格ミステリは”語れない!  
著者
本格ミステリ作家クラブ 編
出版社
講談社ノベルス / 講談社
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2001/07/05
ご注文
ISBN4−06−182195−4

真っ赤に色づいた枯葉が、十一月の風に舞っていた。
老いの気配を漂わせた男が二階のテラスの椅子に掛けて、今日も庭を見下ろしている。
庭木の枝の間から覗く黒光りのする門を。

ほんの時折、犬をつれた少女や買物帰りらしい主婦が、門の向こうを横切っていく。
新聞配達の自転車が停まり、夕刊を新聞受けに投げ込むのを見て、「もうそんな時間か」と彼は掠れた声で眩いた。
「旦那様」、不意に背後から呼ばれた男は、額にかかる白髪を掻き上げながら振り向いた。

家政婦が笑みをたたえて立っている。
「もう日が暮れますよ。そんな恰好でいらしたらお風邪を召します。中にお入りにならないのでしたら、何か羽織るものをお持ちいたしまずけれど」男は目を細くして、彼女の肩越しに掛け時計を見た。

五時が近い。
「いや、いいよ。そろそろ入るとしよう。今夜あたり冷えそうだね」家政婦は無言のまま、一礼して書斎から出ていった。
彼は、なおもしばらく門を眺めていたが、やがて「よいしょ」と腰を上げる。

その端正な顔には、悲哀とも諦めともつかぬ憂色が張りついていた。
フランス窓がぱたりと閉まる。
煉瓦造りの広いバルコニーにも、風に運ばれた枯葉が散らばっていた。

日はみるみる繋り、黄昏が近づく。
チェリーレッドの屋根も、くすんだ紅色に塗られた壁も、庭で燃える紅葉も、次第にその色を失っていく。
書斎の窓に柔らかな明かりが灯った。

紅色の外壁は、まだかろうじて薄暮にiえていたが、それも間もなく夜に呑み込まれるだろう。
と。
アスファルトを遠慮がちにヒールで鳴らしながら、初老の女が歩いてきた。
長い塀に沿って、門の方へ疲れた足取りで向かう。
毛糸のマフラーの端が風にひらひらと揺れた。

もしや……?
門の前までやってきた彼女は顔を上げ、鉄扉に寄る。
寒さに耐えているだけのようだった表情が和らぎ、口許が微かにほころんだ。

無意識のうちにか、か細い指が冷たそうな門をいとおしむように撫でている。
二階の書斎の窓に、男のシルエットが浮かんだ。
それが誰のものなのか、彼女は知るよしもない。

黒い影は右から左へ動く途中、少しの間だけためらうように静止した。
彼女は、ぼんやりとそれを眺めていたが、影が消えるなり、門から両手を離した。
駄目か。

マフラーをしっかりと巻き直す。
その顔には、目をそむけたくなるほど痛々しい悲嘆の色があった。
後退りして門から離れ、爪先をやってきた方に向けながらも、闇に沈んでいく屋敷からなかなか視線を引き剥がせない様子だ。

しかし、いつまでも人の家の前に好んでいるわけにもいかない。
未練を断つように立ち去りかけた。
門柱の表札を見たのは、ほんの弾みだったのだろう。

彼女は─私も─そこに信じられないものを見る。
どうして、と言うように唇が願えた。
どうして私の名前がここにあるの、と自問したのだ。

次の瞬間、その表札に並んだもう一つの名前が誰のものかを知って、彼女の目は大きく見開かれる。
まさか。
彼は、
そんなことを…。

 

 

 

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