「よろしいですか、マダム。パリ十日間百四十九万八千円というこのツアーのお値段が、はたして高いか、安いか。一晩だけ、ゆっくりお考えになって下さいませ。お返事は明日の夕方五時までお待ちいたします」女はそう言うと、手錠のようなブルガリのブレスレットをこれ見よがしに輝かせて、回答を迫るかのように腕を組んだ。
何という横柄な態度。
まるで客の品定めをしているようだ。「一晩だけ、とは?」
桜井香は女の表情に注目しながら訊ねた。
「それはもちろん、お客様からの問い合わせが殺到しているからですわ。本来ならこちらで身元調査をさせていただきたいところなのですが、まさかそうもできませんし、いちおう先着順、ということで」
百四十九万八千円という目の玉の飛び出るような価格に、身元調査など必要あるまい。
ダンピングまっさかりの海外ツアーでは、内容はともあれざっと十倍の値段だ。
「あの、つかぬことをお伺いしますが」と、香はおそるおそる訊いた。
「ローンは……」とたんに女は、ブルガリのブレスレットをジャランと鳴らして大げさにのけぞった。
つかぬことを口にしてしまった。
百五十万円の超豪華ツアーに参加する客の頭の中に、そもそもローン支払いなどというセコい考えはないのだろう。
「ジョークですわよね、マダム」
「え?あ、はい。ジョークです、ジョーク。ハッハッハ」
「それならけっこう。一瞬お断りしなければという思いがかすめましたが、ま、ジョークということで。よろしいですか、マダム。無理にとは申しません。申しませんがご存じの通り、パリ・ヴォージュ広場の『王妃の館』に滞在できるチャンスなど、一生に二度とはめぐってきませんことよ。なにしろあのホテルは世界中のヴィップの垂誕の的。プラザ・アテネもリッツもクリヨンも目じゃない。もちろん一見さんはお断り、ツアー旅行での滞在なんて、奇跡ですわよ、奇跡」
やはり商売っ気はあるのだろう。
香はデスクの上に置かれた女の名刺を手に取った。
パン・ワールド・ツアー・エンタープライズ。
セールス・マネージャー。
朝霞玲子。
こんな旅行会社、聞いたことがない。
事務所も神田の雑居ビルの中だし、両隣りは消費者金融と英会話教室。
通された応接室はオフィスに不似合いなくらい立派だけれど、それがまた怪しい。
「あの、朝霞さん。ひとつお訊ねしてよろしいですか」女の居丈高な態度にすっかり気圧されて、香の物言いは卑屈になっていた。
「はい、何なりと」
「このダイレクト・メールなんですけど、どうして私の住所をご存じなんですか」
「あら、わが社をお疑い?」
「いえ……べつにそういうわけじゃないんです。ただ、どうしてわかるのかな、って」
「そりゃあ、あなたあ、失礼。それは桜井様。広いようで狭い業界のことですからね。夏休みとお正月休みと、毎年海外にお出かけのクライアントは、どの会社も存じ上げておりますわ」
「それって、データ流出とか……」
「ご迷惑、でした?」
「いえ。でも、ダイレクト・メールって、あんまりこないから」もしかしたらこの会社は、やけくそで百五十万の金をポンと出してしまいそうな客のプライバシーまで知り尽くしているのではないか、と香は思った。
怪しみながらもツアー参加をほとんど決めてしまっている自分が怖ろしかった。
たしかにパリ・ヴォージュ広場に三百年の伝統を誇る「シャトー・ドゥ・ラ・レーヌ」は、世界中のツーリストたちの憧れの的だ。
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