息をしていない。
いきなり、そう、囁かれた。
射精後の短く、しかし深く冥い眠りから目覚めた直後だ。
囁かれた瞬間に、沙奈の唇が私の耳菜を巧みに操った。
意識がやや混濁していたので愛撫と勘違いしかけたほどだった。
沙奈の口唇は、じつに巧みである。
「ほんとうに息をしていなかったのよ」
「意味がわからない」
「だから呼吸がとまったの」烈しく鼾をかいていて、しかし、ある瞬間に、いきなり息が止まったという。
無音の状態が数十秒間続き、やがて苦しげに身悶えをして、ふたたび雄叫びじみた軒をかきだしたとのことだ。
「死んじゃったのかと思った」
「死ぬと騒ぐのはおまえのほうじゃないか」
「あれは、演技」私は頷いた。
その最中に死ぬと訴え、口ばしるのは、どちらかというと古典的な態度であり、科白に属するだろう。
いまの娘たちはもっと直截な、含みのない言葉で快を告げる。
沙奈は誰に死ぬという科白を学んだのか。
誰に言わされたのか。
誰に強いられて、身についたのか。
まさか自身で考案したわけでもあるまい。
「死ぬ。死んじゃう、か」
「なによ」沙奈の眉間に羞恥が刻まれた。
忘我を演じていて、その演技を見透かされた者がみせるであろう居直り気味な羞恥だ。
若すぎるのだ。
この女は言語が論理であることをまだ理解していない。
言葉で快をあらわすことができると考えているのだ。
だが、じつは、沙奈が頂点に昇りつめるときには、逆に言葉を喪って、くぐもった吐息と、長く断続的な痙攣だけに支配される。
言葉を喪っているのだ。
甘え声で、死ぬ、死んじゃうと訴えられるのは悪い気分ではない。
しかし、そう口ばしるときには、沙奈の瞳にまだ黒目が残っているのだ。
ちゃんと私を見ている。
認識し、媚びている。
そういった過程を経て、やがて思い切り左右に拡げられ、伸ばされた脚が小刻みに震える瞬間の、その足指の先に横溢する切ない緊張こそが、まさに死を想わせるのだが。
「死んじゃうのは情さんのほうだよ」
「睡眠時無呼吸症か」
「きいたことがあるわ」
「息をしていないと指摘されたのは、はじめてのことじゃない」
「でしょうね。たぶん、誰かさんと抱きあって、終わって、眠りに墜ちこんで、そのときにきっと息をしなくなるのよ。そのときに指摘されるんでしょう。まったく次からつぎに、よく躯が保ちますこと」まわりくどい喋りだ。
沙奈は嫉妬を演技している。
あるいは本心から嫉妬していて、それを隠蔽するためにまわりくどい口調で本質的な嫉妬を演技に見せかけている。
私は自身の触角を一瞥した。
「衰えがそうさせるんだ」
「どの口がそんなことを言うのかしら」沙奈が顔をかぶせてきた。
舌先で私の唇をなぞる。
その瞳に苦笑いが乏かんでいる。
私は漠然と接吻を受け、口中をさぐる沙奈の舌の鋭敏さを愉しんだ。
情さんの口は膿んだ匂いがすると囁かれたことがある。
歯槽膿漏気味であることは、自覚がある。
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