ほとんど雨だった夏の北の旅




 1.(無理をしてでも旅は行け) 
 さて、今回から何回にわたるかはまだ分らないが、僕はこの(2002の)夏に行ってきた北海道の旅のレポートを書く。

自分の文章力と知性をいかしていい文章を書こうと思っている。

ただ、読者は読んでいくうちにあることに気付くかも知れない。

または今までに僕の紀行文を読んだ人はすでに気付いているかもしれない。


 「食ってばっかじゃん」と。

それは素直に認める。

それどころか僕は今の旅の目的を食べることにあると恥ずかし気もなく言うことができる。


 僕は中学から一人旅に出て、高校、そして大学時代になると暇さえあれば旅に出るようになった。

今も暇さえあれば旅には出たい。

僕はこのごろ思うのだ。

無理してでも旅には出た方がいいと。

時間がなくても金がなくても。

いつまで健康でいられるか分らないし、いつまで生きているかも分らない。

もっと大人になってお金がたまって贅沢な旅ができるかも知れないが、僕のやっているような旅は元気な時しかできない。


 旅は経験だし、毎日同じことをしているよりは絶対に未知の世界に触れることになる。

それは大したことがなくても、たとえば僕の旅にはよくあることなんだけど、電車の乗り換えの20分とか、それくらいの中途半端な時間でも、駅前に出て、街の雰囲気を知ることはとても大切だ。

もちろん同じ日本国内だから、外国ほど大きな違いやインパクトがあるわけではない。

しかし、僕は国内の旅のほうが外国への旅より惹かれる。

外国の旅も機会があったら行きたいとは思うが、日本の旅よりは絶対に気軽に行けないし、日本だったらすぐにその気になれば帰れるというのも大きい。

そしてなにより大きいのが、僕が日常会う色んな人たちの生まれ育った街を知ることができるということだ。

それは大事だ。

街の環境というのは少なからずその人の性格を作るのに影響しているはずだし、僕はそういったことに触れるのがとても楽しい。

僕が電車の接続の為に下りた20分の時間でたまたま買った駅前のたいやき屋が、その地元で育った人にとってはとても重要な店だったりするわけだし、そう考えるとそういったものがとても愛おしくて仕方がないのです。


 以前は人との出会いや街との出会いが僕の旅の大きな位置をしめていた。

そしてそれはタダでできることでもあり、また不思議なことだが、そういったこと(出会い)は、金を出してもできないことだ。

僕はかつてそういったことをたくさん経験し、今の僕を作ったと思う。

今でもそのかけがえのない人との出会いは井の頭公園やネットを通じてできる。

僕はそれをできるだけ大切にしたいと思っている。

井の頭公園のゲリラ売りが厳しくなって何が困るかって、そういうことを奪われるのが一番困る。

金よりも。

まあそれは状況に応じて何とかうまくできるように考えてはいくだろうけど、とにかくそう言うこと、人と出会い、街と出会うと言うのはかげがえのないことだ。


 そしてこのごろは食と出会うことに興味を見い出しはじめた。

これはここ3年くらいのことだ。

それは僕が以前より働くようになったということとはあまり関係がない。

確かに僕は昔よりは働いているが、その昔と言うのはまったくの無収入の時代であって、僕にはそういう時代が何年かあった。

そりゃそれよりは今の方が働いてるよ。

しかし今の僕の出会っている食というのは、地元にしかないハンバーガー屋とか、そばとかで、1000円もしない。

正月にいった高松の讃岐うどんだって100円とかだしね。

今回の盛岡のじゃじゃめんだって基本は350円だ。


 とにかくそれらすらも食べられなかった貧乏旅行よりは今は贅沢になったと言える。

しかし今回もヒッチハイクはしたし、普通の人が3泊4日でいくような値段で僕は今回10泊11日の旅をしたわけだから貧乏旅行といってもいいのではないだろうか?
 というわけで、今回の僕の旅をこれから話す。

あとで自分でも思い出すにあたって参考になるし、読んでいる人にとっても参考になるために、なるべく細かいことまで書くつもりだけど、かといってこの旅を参考にこの通り旅をして店に行って食べてたら余裕で3キロは太ることを覚悟してね。

僕は今から体重を落とすのに必死なんだから。


2.(旅の経済的報告)


さて、まず旅を語る前に今回の金銭的なことを話そう。

これは読者も知りたいところだろう。

僕は旅のノートに細かく出費をつけていたほうだが、絶対に何か忘れているし金額も税込みだったか適当だし、何人かで食費やタクシー代などをわったりしたりしたこともあったから参考にならないとこもあるだろうが、それは各自の旅でも行われることだろう。

また友人の家に泊めてもらったりヒッチハイクなどもしたがそれもまあ各自の旅の仕方で変わってくるのでそのことも頭に入れてもらいたい。


 というわけで、全11日で出費は8万くらい。

交通費の基本は「青春18」の11,500円と新潟-小樽の船の5700円。

あとは現地で市電とかタクシーにのったり、「青春18」を使うほどではない区間の時に買った切符代などだ。


 知らない人の為に言っておくと「青春18」とは「青春18切符」のことで僕の旅にはかかせない切符の事だ。

これは大学生をターゲットにした切符と思われ、恥ずかしいネーミングもされているが別に70才でも買える。

日本全国のJRの普通電車(新幹線、特急、急行以外)ならすべて乗り降り自由。

11500円で5回(5日分)使える。

つまり一回2300円ということになるわけで、普通に切符で買って2300円以上の処まで行くには絶対にこの切符が得。

吉祥寺からだと2300円はどのくらいだろう?甲府とかそのへんじゃないかなあ?だからそこより遠くに行く場合はそのほうが得。

ただ普通列車(鈍行)なので時間がめちゃくちゃかかることを覚悟しなければならない。

新幹線だと2時間で行ける名古屋だって8時間かかる。

それも東京から直で名古屋まで行く電車はないから乗り換えが必要になる。

東京からはまず熱海行きに乗り、続いて沼津に行き、それから静岡に行き、浜松に行き、やっと名古屋に着くわけで、僕としてはその道中の寄り道が楽しいので僕にはとても向いている切符だが、のんびりした旅が嫌いで早く目的地につきたい人には用はないだろう。

また、北海道などは絶対に一日では行けないから(朝一番の上野発でも夜中に青森でおわってしまう)そこで泊まる宿代の事もかんがえるとかえって高くつく場合もある。


 「青春18」は効果的に使うとかなりいい。

例えば今回の旅では僕は一日目は長岡に泊まったのだが、翌日は新潟から船で小樽に行くことになっていた。

長岡から新潟までは切符で買えば1110円だ。

だったらもちろん「青春」は使わずに切符を買った方がいいのだ。


 というわけで、これがゆっくりした旅の基本です。

そんなわけで今回の全出費8.4万の内訳を言うと、飲食費が38%でもっとも多い。

これは今から読めばいやでもわかることだ。

次いで交通費が27%で2.3万。

さっきの18切符と船で1.7万ちょいだから、さっき説明したほかの切符が6千円くらいしたということになる。

札幌では地下鉄フリー切符というのが700円で売っていて、僕はよくわからずそれを買ったが実際は450円分くらいしか乗らなかった。

こういうことは旅でよくあるし、食べ物においては「食べて損した」とでも言いたくなる処も多かった。

そういった店は観光客に高くて少ない料理を出して、二度と来ないという教訓を与えて客を返す。

それでもその店はまだ溢れるようにくるそれを知らない客相手にやっていけるのだろう。

「にげんさんお断り」とでも言うのかな。

そんなビジネスはきっとこの世にたくさんあるんだろうな。


 飲食費、交通費に次いで多かったのは宿泊費の26%だがこれは優秀だった。

野宿をやめて何年かたつがそれ以来僕の旅で占める割合はダントツで宿泊費だった。

それでも僕はユースホステルなどの安宿を選んできた。

一泊5千円を目安に考えているがそれでも驚かれるくらい安いほうだ。

一泊1万がいわゆる「旅行」の常識だ。

少し贅沢して一日の食費を5千円(そんなにいくことはまずないが)と考えても宿代の方が高いのである。

これを今回の旅では宿に泊まった6日(あとは船で1泊と3泊が友人の家)の平均が3600円くらいに抑えられたのはでかかった。

もっと抑えることもできたが、これはけっこう贅沢をした。

言っておくがこれはこれはみんないいホテルだった。

函館で泊まった某ホテルなどはべルボーイが荷物を部屋まで運んでくれた。

こんなことは生まれて初めてだった。

チップをあげるべきか悩んでしまったがそうしているうちにいってしまった。

あとでホテルの案内をみたらサービス料はホテル代に含まれているのでチップは遠慮下さいと書いてあった。

とにかくそういったいいホテルが5千円以下で泊まれたのは、前もってネットなどで情報を集めていったことが何よりもの勝因だ。

特に函館ではホテル激安戦争とでも言うべき状態になっていた。

しかしこれは3泊を友人宅でしたからというのもあり、それも宿に泊まっていたらやはり宿代が一番高くついただろう。

しかし、それにしてもいい宿を安くとまれたのはよかった。


 あとの9%は「その他」という項目に入るもので、傘、温泉、コインランドリーなど。

また僕は旅先で服を買うことがけっこうあるのだが、今回も6千円分くらい古着を買った。

旅先の服は必要に応じて買うのだが、あとで着るといい思い出にもなるし、東京になかなかないようなものを、それでいて気に入ったものがあるとすぐに買ってしまう。


 はい。

というわけでいよいよ次回から旅行記にはいります。


3.(吉祥寺-上野-高崎-水上-越後湯沢-長岡)

8月2日。

10時前に家を出た。

井の頭公園を通る。

友人が働いているペパーミントカフェの井の頭公園内にできる新しいお店は今日オープン。

上野に行き、高崎行に乗る。

いよいよ旅のはじまりだ。


 高崎では0番線のホームの立ち食いそば屋でラーメンを食べる。

400円。

実はこれは有名なラーメンで、なるほどうまかった。

しょうゆ味。

僕は高崎では、本当は駅から歩いて10分くらいのとこにある栄寿亭というかつ丼の店の味がとても好きなのだけど、そこまで行く時間はない。

栄寿亭行きたいな。

それも390円だし。

あそこはいいよ。


 高崎からは水上行に乗る。

今日は長岡(新潟県)に行く予定。

昨年はじめて見た長岡の花火はすばらしかった。

そのことは「生まれたついでに生きる」という本に書いたが、今年もまた見に行くことにした。

今年もNさんの家に泊まらせてもらうことになった。

水上行に乗る人はほとんどはもう長岡花火を見に行く人らしい。

そんな会話が車内のあちらこちらで聞こえていた。


 水上で新潟行に乗り換える。

何としてでも座りたいのでダッシュで乗り換え、一番で席を選ぶ。

水上から長岡までの電車から見える景色は大好き。

雪国の古い家の建築物の特徴が良く出ている。

もちろん最近は雪にも強く軽い素材が出たらしく、北海道で見るような新しい家も多いが、古い木の家もけっこうある。

水上のホームでお茶を買おうとしたら友人のMにあった。

彼女は東京で働いているが実家は新潟にある。

今日は友達や兄弟と今夜の長岡花火を見るというのだ。

一緒に見ることにした。

まあ東京から今夜の花火に見に行く人は時間的にこの電車に乗らないといけないのだ。


 電車は越後湯沢でなぜか20分くらい停車する。

運転手の休憩時間だろうか?その時間は外に出て店などをみるが、スキーシーズンを違い今は店も少ない。

ここには実は駅から少し歩いたところに森瀧とかいうお店があってそこの食べ物は何でもうまい。

とくにまいたけの天ぷらはびびる。

しかし今回は今からいやというほど色々食べるのだから油っこいものは控えるためにここで寄る時間を作らず、早く家を出てこなかった。


 越後湯沢を出て、長岡についたのは4時頃。

花火は7時半から。

長岡に来るにつれ、天気が悪くなり、ところどころでは雨も降ったりした。

長岡も天気予報では雨。

しかし花火大会は決行されるということだ。


花火大会は今日、明日の二日行われるが、明日は船に乗らなきゃいけないのでやるのならやってほしい。

駅下りて、とりあえずMたちと別れ、僕の大好きな「おぐま珈琲」にいった。

ここは何と言うかあまり濃くない珈琲がとてもおいしい。

水の味がおいしいのか。

とにかく一番といってもいいほど好き。

そこで珈琲を飲み、長岡に来たなあと感慨に耽った後、その向かいの、「無気力爆発」という僕の5冊目にあたる版画集の参考にさせてもらった看板を見て、駅前のヨーカドーに行き、Mたちと合流。

雨の中の花火に備え、カッパやらシートやらを100円ショップで買う。


 そこから花火会場まではみんなでタクシーに乗った。

2台に分乗した。

僕は一緒のY君と。

MたちはMのほかに妹とあとオーストラリア人のPとMの旅仲間のJの4人。

MとJは去年小樽までの船で一緒に北海道に行った仲だ。

PはNOVAの先生で一度井の頭公園で喋ったことがある。

本を気に入ってくれた。

僕はJとPのどちらがMの彼氏なのかと思っていたらピーター(言っちゃった)のほうだった。

花火の途中で仲良くなりだしてそれが判明した。


 タクシーの中で、去年ここに来た時はこの街は「米百俵」で盛り上がっていたなあと話していると、運転手が「あれは、小泉首相が言ったように思われているけど、田中真紀子さんが小泉首相に教えた話なんだ。

」と言った。

この街にとって田中真紀子は偉大なんだなあとつくづく感じた。


 花火会場に着く。

僕達の乗ったタクシーは790円なのにJたちの乗ったタクシーは930円もとられてた。

もういっぱいの人だったが、何とか空いている場所を見つけた。

でも前過ぎたのでちょっと電線が邪魔だった。

花火が始まる前にみんなでビールや食べ物を買った。

去年いろいろ買ったセブンイレブンはつぶれてた。

買った食べ物は雨が降る前にと、さっさと食べてしまった。


 花火が始まった。

何度見てもいい花火だ。

花火は一年で見る数も限られており、一生でも何百回も見られるわけではないから、なるべくたくさん見たい。

しかし今回の花火は特別だった。

やっている間のうち、何回かけっこう激しい雨に襲われた。

ヨーカドーで買ったカッパもあまり役に立たず、シートの上には水たまりができた。

あまりびしょぬれになったので笑うしかなかった。

みんなは「一生忘れない」と言っていた。

そんな状況ではそれが唯一の前向きな発言なのだ。


 花火は連続であがった。

日本で認められている最大量の火薬を使っているのがこの長岡花火で、国内でも有名だ。

山下清も絵に残している。

これだけの花火がどんどん上がるのに、空は焦がされることなく雨は降り続いた。

おまけに、低くたれ込めた雲の中で花火が開いたのもけっこうあって、それはシュールな光だった。

8時半と9時に上がる名物の3尺玉、そして99連発がおわり、僕達は街を歩いた。

駅でMたちと別れ、僕と一緒にいたY君はNさんと会い、Nさんの友人のSさんの車でNさんの家に行った。

11時ごろだった。

Nさんのお父さんとビールを飲みながら話し、12時過ぎに寝た。


4(長岡-新潟-小樽)


8月3日。

今日は10時半に新潟を出る船に乗らないといけない。

それで、前もってその切符を買った時にフェリー乗り場に30分前には来て下さいと言われた。

フェリー乗り場までは新潟からバスなのでいろいろ考えると7時半くらいの長岡発の電車に乗らなければいけないことになる。

泊めてもらったNさんのお父さんに駅まで送ってもらった。

Nさんも初めて乗る新車だった。

夜遅く着いて次の日早くでる慌ただしい旅人で何か申し訳なかった。

Nさんのお母さんに朝ごはんまでつくってもらって、ありがたかった。


 フェリー乗り場には9時半までにはついた。

もう一本おそい電車でもよかった。

9時半のバスでよかった。

しかしよくわからなかったからそれは仕方ない。

10時半に船はでて、さあ、今から20時間におよぶ時間との戦いが始まる。


 船旅は素敵だ。

船が港を出る時、街が遠く離れていく時間は何とも言えない哀愁を帯びる。

しかし船がでて1時間もするとあたりは海だけとなり、見ていてもつまらない。

夕日がきれいだったり星がきれいだったりすることもあるが、このごろは何故か曇りが多い。

僕はじゅうたんの部屋に荷物を起きはしたが、テーブルのあるソファーのラウンジに座ったり寝たりした。

10月から新しい連載が携帯電話で始まり、それは1年におよぶ大作で毎週続き物の詩の物語をイラストとともに発表するやつで、僕も気合いが入っている。

東京でくすぶっていた青年が沖縄に旅をし、そこの海の水を救って全国をまわり最終的には北海道に捨てに行くという、かつての僕の経験を広げた創作で、僕は九州の水だったが、これは沖縄から始まり、全47都道府県での旅と詩を書く。

その47県と沖縄、東京、北海道を増やし、52週間で一年分。

ストーリーの骨はできているので、じっさいの内容に取りかかりはじめている。

その内容の詩をこの20時間の船旅でけっこう書こうと思っている。

この企画は僕が依頼を受けた内容から逆に提案したもので、一度は完成させたかった話だ。

そうすれば、絵と詩と旅をあわせた僕の総合芸術とでもいうべきものができるかもしれない。

その可能性にかけたいのだ。


 船はけっこう豪華で、飲食やら遊ぶ施設もけっこうある。

外は曇りか雨で海は穏やかではあるが魅力はない。

僕はソファーの上でいろいろ考えたりしたが、たいがいの時間は眠っていた。

まだ時間はあるので無理に生み出すよりは自然に生まれてきた詩を大切にしたい。

眠っている時に高校時代の友人でクイーンファンの宮村君が夢にでてきたが何でだろう?


5.(小樽-札幌-滝川-富良野-旭川)<前半>
8月4日。

早朝4時10分。

船は小樽港に着く。

これはどうしてなのだろう?こんなに早く着いても仕方ない。

僕の乗ったこの船の2等といわれる切符は5,700円だが、この船はほかにも一等とか特等とかあってそれぞれ高くなり、ホテルの部屋のようなスイートはたしか2.5万したと思うが、そんな人たちさえも4時10分に眠い目をこすりながら起こされる。

スイートの人たちは確か部屋の鍵を返さなければいけないらしく、さらにその30分前から起こされるような放送が入っていた。

船なのだからもっとゆっくりいってもいいだろうし、せめて5時半に着いてもらいたい。


 4時10分に小樽につき、北海道に上陸などという感動は眠気に負けてたいしておこらないまま僕はゆっくり駅へと歩いた。

小樽港からフェリー乗り場までは歩いて30分くらいかかる。

朝焼けがきれいだった。

途中小樽の市街地や観光地を抜ける。

北一硝子、小樽運河など、知り過ぎている町並みだ。

今回も後で来るだろうこの街もまだ目が覚めていなかったし、それは僕もそう。

ただ義務的に足だけが駅に向かっていた。


 駅に早く着いてもすることはない。

最初の電車、札幌行きは5時40分発だ。

駅のすぐそばにある三角市場の定食屋はニシン定食がとてもおいしいが、去年この早い時間に行き(市場は5時に開く)、ニシン定食を頼んだところ、前の日の残りが出されたと思う。

苦かった。

昨年は昨日一緒に花火を見たMたちと一緒だったが彼女たちはフェリー乗り場でそのまま眠り、昼前に目が覚めて僕に教えられた三角市場にいって食べたニシン定食は最高だったといっていた。

悔しい。

しかし、今回も僕は同じことになるのだろう。

それは分かっているのだが、何しろ電車がでるまで1時間もあるから仕方なくそこでそれを食べて時間をつぶそうと思った。

しかし何とその店は休みだった。

5時を過ぎても開く気配がない。

まあよかったような残念なような分らない気持ちで結局始発電車を待った。


 5時40分。

札幌行き始発。

当然眠る。

札幌までは一時間なのですぐに着く。

そのあと滝川行に乗る。

それも眠る。

滝川に着いたのは8時30分くらい。

眠い。

寒い。

信じられないくらい寒い。

駅の向かいに西友がある。

何とそこは9時に開く。

普通は10時に開くのにこれは少しラッキー。

滝川では次の電車まで1時間あるので西友で何か長いズボンを買おうと思った。

無印もあるし、これはいい。

西友があくまでは駅の中の立ち食いそばを食べた。

まずかったがあったかかった。

9時になり西友に行く。

無印ではあったかそうなズボンや上着がたくさんあった。

でもやっぱりやめた。

今から日が上ればあったかくなると思ったのだ。

そしたら金はかかるし、重いし無駄だ。

そうあれこれ考えているうちに電車の時間が近付いたのでよかった。

駅にもどり、富良野に向かった。

僕ののった電車は何とこのまま釧路までいくそうだ。

釧路に着くのは4時頃で、それにもとても惹かれたがやめた。

釧路にはしばらくいっていない。

あの街けっこう好きなんだよね。

和商市場で勝手丼食べたいなあ。


 富良野には10時40分に着いた。

ここでは実は目的がある。

ここからしばらくいったところに麓郷(ろくごう)という街がある。

ここはドラマ「北の国から」の舞台になった場所で、ロケ地でもあるらしく、街全体が「北の国から」で、富良野駅でもさだまさしのあの歌がかかっている。

「北の国から」は富良野の代名詞だ。

しかし僕は今日まで「北の国から」を見たことがないので「ここがゴローさんの家」とかいわれてもピンとこないのだ。

しかし、そこにある「小野田そば」という店のそばは太いらしく、噂も聞いておりどうしても食べたかった。

「あそこのそば食べたことある?」ときかれて、それが細いそばなら今となっては興味がないが、太いそばだとどうしても食べないわけにはいかないのだ。


 それで富良野から麓郷まではけっこうな距離があり、自転車を借りていくことも無理で、バスかタクシーしかない。

ところがバスは1日4本しかでておらず、それもさっきのはいったばかりで次のは3時間後だった。

それで僕は決意した。

ヒッチしかない。


 僕は自分が30を過ぎてまでヒッチをするとは思っていなかった。

しかし去年もしたし、今年もした。

最初は富良野の街を麓郷に出る一本道まで歩き、そこからヒッチをしようと思ったが、そこまで歩いたと思ったら、その道は今まで歩いてきた道とはまったく逆とガソリンスタンドの人に教えられ、またもとの道をテクテク戻った。

駅をおりてずっと左に行くべきだった。

駅からそう離れてもないところで僕はヒッチをはじめた。


6.(小樽-札幌-滝川-富良野-旭川)<後半>


最初にヒッチに止まってくれたのは帯広に住んでて旭川に行っていた二人の男の人だった。

ありがたかった。

運転していた人は東京に住んでいたこともあるそうだ。

その人たちはそのまままっすぐ行くので国道と麓郷へ行く道の分かれ道の踏み切りのあるところで降ろしてもらった。

次にそこから乗せてくれた人たちも男の二人で、車の色は違うけれど、年齢も何か性格的にもさっき乗せてくれた人たちと似てる感じのいい人たちだった。

彼らは札幌の近く住んでおり、日帰りで富良野に旅行に来たらしい。

僕は、さっきの人たちととも、今の人たちとも、旅の話を喋り続けた。

ヒッチで乗せてもらうには、運転手を旅の話しで飽きさせないというのが僕のすべきことだと僕は思っている。

しかし、ひとつへまをやってしまった。

運転手の人に「東京ではどこに住んでいたのですか?」と聞いた。

それはさっき乗せてくれた人たちだろう、と言ってしまってから自分でツッコミを入れた。

似てるからって。


 そうこうしてるうちに、小野田そばが見えた。

僕はそこでお礼を言って降ろしてもらった。

二人は、もっと先にある「北の国から」の街に行くとのことだった。


 さて、小野田そば。

店中に客やらタレントのサインや名刺が張り巡らされている。

そばは太いが、やわらかく、食べててぷつぷつ切れる。

歯ごたえもない。

見た目にはいかにもおいしそうだったが、僕の中では少し期待外れだった。

ただ、あとで分かったが、そういうぷつぷつ切れるそばが本当のそば粉100%のそばらしい。


 さて、そばを食べ終わり、「北の国から」を知らない僕は、もう富良野に用がなく、帰りのバスを調べたが、やっぱり2時間以上あるので帰りもヒッチにした。

最初は誰も止まってくれずに、このまま歩いて2次間後のバスにも抜かされてしまうのかと思ったが、しばらくして大きなトラックが止まってくれた。

トラックに乗るのは久しぶりだ。

運転手は野菜を運ぶ地元の人で、いい人だった。

大形トラックはさすが視界が高い。

おじさんとは色々話し、さっきの小野田そばの特徴は、ああいうふうにぷつぷつ切れるのが特徴で2回めからはやめられなくなると教えてくれたのはこの人だった。

途中、道を一人で釣り竿をもちながらてくてく歩く一人の青年がいた。

おじさんは、あの人さっき「乗せてやろうか?」と声をかけたら、いや、歩きたいんです、と答えたらしい。

そういえば彼は行きにも見た。

僕らがそばを食べる前、麓郷に向かう車でもああやって歩いていて、この帰り道もそれほど進んでいなかった。

大学生の時の僕の旅はあんな感じだったよなと少し熱くなった。


 おじさんは駅の処まで僕を乗せてくれた。

ありがとう。

おじさん。

あと、行くとき乗せてくれた人たち。

駅に戻り次の電車までは少し時間があったので、昔行ったことのある、「唯我独尊」というカレー屋にいってみた。

実に10年ぶり以上。

店は有名になったらしく、少し大きくなっていた。

カレーはどこにでもある味だが、ソーセージはうまい。

まあ、でももう行かないかな。

そこから駅に戻る途中、タクシーの運転手に小野田そばまではいくらで行くのか聞いてみた。

片道4千円だって。

びっくりいした。

メーターがあがるにつれどきどきし、ぜったい途中で降りてたに違いない。


 富良野からは旭川に行く。

ここが本日の宿泊地。

本当は、今日中に札幌あたりまでいけちゃえば、けっこう楽なのだが、今日一日が一番移動するし、富良野ではどれくらい時間がかかるか読めなかったし、朝も早かったから旭川あたりで休むのがいいと思って宿をとったのだ。

じっさいヒッチがうまくいったため、旭川についたのは3時ごろだった。

すぐにホテルにチェックインしてしばらく寝た。


 1時間くらいして起きて、ちょっと街をぶらぶらした。

かつて来たことのある、常磐公園、旭橋の周辺、あと石狩川の土手とかを歩いた。

土手から見下ろす北国の街並は何かよかった。

常磐公園は大きいが、井の頭公園ににてなくもない。

池があって、店があって、ハガキをうっている人はいなかったが。

僕はかつて、野宿と夜汽車で寝て過ごしていた貧乏旅行時代は旭川、そしてこのへんはよくきた。

その記憶を確かめようと思ったのだが、驚いたことに街はたいしてかわっていなくて、10年以上前に泊まったことのある、1泊2千円の、半分連れ込み宿みたいな処もまだあって、未だに1泊2千円だった。


 そのあと、街の中心部に戻り、僕がもっとも好きなラーメン、梅光軒に行く。

これは楽しみだった。

昼にそばを食べたあと、カレーも食べてしまったからお腹はけっこういっぱいだけど、だからといってここまで来てこれを食べないわけにはいかない。

僕の旅にはこの「旅先スタンプラリー」のようなことがけっこうあって、この執着はどうすればいいかわからない。

しかしあえて言わせてもらえば、旭川にいて梅光軒に行かないと言うことはうまいと評判の寿司屋にいってざるそばを頼むようなものなのだ。


 というわけで、僕は6時頃、梅光軒にいった。

お腹いっぱいでもこれはやっぱり入る。

今日は野菜ラーメン(900円)にしてみた。

うまい。

そうしたら7時頃、お店はもうスープがなくなったということでのれんをしまってしまった。

来て良かった。

この時、最後の客が二組いて、前の一組だけは大丈夫で、あとの組は、すみません、といって断られてしまった。

運命を分けた。


 そのあと買い物公園通りをぶらつき、ホテルに帰って寝た。

夜中にうとうとしてると外でバンバン音がするから、何か工事でもしているのかと思っていた。

しかし今度はサイレンも聞こえてきたので暴走族とおいかけっこでやっているのかと窓を開けたら火事だった。


 僕の泊まっているホテルから100メートルもしないところが火事で、まだ消防車もあんまりいなくて火が5メートルくらい、窓から吹き出している。

これにはびびった。

中では大きな音でバンバン何かが破裂しており、中に人はいないのか、僕もここにいて安全なのかがすごく心配になった。

しばらくすると消防車などが20台くらいかけつけ、付近は赤い光に照らされた。

野次馬も多く、あたりは騒然となった。


 このことは翌日の新聞にのっていたが、無人のオフィスビルが燃え、けが人などもでなかったが、放火の疑いが強いと書いてあった。

 

7.(旭川ー札幌ー小樽)

8月5日。

旭川はけっこう早く出て、札幌に行った。

途中、岩見沢で電車を乗り換えたが、駅前はすっかり変わっていた。

そのあと札幌に着いた。

コインロッカーに荷物を預け、地下鉄で澄川というところに行く。

ここには「純蓮(じゅんれん)」というラーメン屋がある。

札幌には新横浜ラーメン博物館にも入っている「すみれ」という店が有名だが、実はそこも漢字で書くと「純蓮」で、兄弟で経営しているらしい。

その純蓮で濃厚なみそラーメンを食べ、あとはすすきのに行き、街をぶらぶらした。

二条市場に行き、「どんぶり屋」とかいう店で海鮮ものを食べる。

二条市場で食堂はここだけで、この店だけすごく人が並んでいていた。

あとの普通の店はけっこう暇そうで、この店の一人勝ち状態になっていた。

そのためか、店の人は並んでいる客に通路にはみださないように何度もいっていた。

けっこう恨みを買っているのかもしれない。

そこは安く、普通にうまいが、量はたいしたことなかった。

失敗したのはそこで礼文島のウニ丼を頼んだことだ。

これは去年の旅でも書いたが、ウニというのは簡単にいうと二種類あり、ムラサキウニとエゾバフンウニがある。

このうち後者はバフンなどと名付けられても高級なのだ。

それも北海道の礼文島にしかいないのだ。

見た目も全然違う。

ムラサキウニは黄色く(なぜか名前と補色だ)、バフンウニはオレンジ。

また味も違い、バフンウニの方が甘い。

僕は去年、礼文島にいった時に食べた。

高かったがうまかった。

その礼文のウニがそこの店で出ると書いてあったので、僕はそれに目をひかれ、それを注文した。

今年は礼文島に行かないがここで食べればそれも味わえると考えたのである。

しかし、来るには来たが、量の少なさに驚いた。

それで2千円。

失敗した。

まあそれだけエゾバフンウニは高いということだ。

ちなみに昨年、礼文島で食べたのは3千円でどんぶりにいっぱいだった。


 二条市場でのこの食事はちょっと予定外だった。

本当は札幌周辺で根付いている「スープカレー」を食べたかったのだが、それは無理な話だった。

夕食は小樽で行きたい店がある。

それで腹ごなしに(ならなかったが)大通り公園を歩いた。

ここもちょっと井の頭公園ぽい。

けっこうミュージシャンも音楽を演奏していた。

この夏、実は井の頭公園の大道芸人のdaiちゃんと、北海道でウィークリーマンションかりて向こうで夏の間やろうよといったりしたが、もしやるのなら札幌が一番いいと思う。


 大通りののミュージシャンの中にはゆずみたいな二人組がいて演奏してる前に大きな看板で「東京、原宿から来ました」と書いてあって笑った。

あと、東京でもみる、犬の愛護協会みたいな犬をいっぱい連れたバスもいるのだが、何故か好きになれない、ああいうの。


 そのあとついに雨が降ってきた。

ここから北海道は雲に覆われることになるのだ。

僕は小樽に向かった。

ホテルでチェックインをすませ、街を歩いた。

小樽は大好き。

素晴らしい。

しかし今回の小樽の宿をとるのには苦労した。

小樽は宿が高い。

安いところはいくらキャンセルを待っても無理。

しかし奇跡的にまあ安いところをとれ、そこに二泊することにした。


 僕の愛する小樽と函館は、未知というよりはけっこう知っている街で、もっと知りたい、地元の人のようになりたいのだ。

だから今回、小樽に2泊、函館に3泊する。

知っている店に行き、「ああ、ここだよ、ここ」といつもの飲み物を注文する時、僕は何とも言えない贅沢な気持ちになる。

そして知っている店を確認し、新たに知らないところも開拓する。

街を知るとはそういうことだ。


 美園アイスクリーム。

西川ぱんじゅう。

喫茶光。

北一ホール。

そして一心太助。

僕の愛すべき店はこれで、この中の何軒かは必ず行く。

それから街を歩いていて入ってみたいと思う店もまだたくさんある。

僕はまず一心太助にいった。

ここは居酒屋なんだけど、魚が新鮮で、たとえばここの名物はいくら丼なのだが、いくらは9月に入らないととれないからとこのシーズンは出さない。

つまり、夏に世の中に出ているいくらはみんな冷凍ものなのだ。

いくらは5年冷凍保存できるというから。

このお店は市場に買いにいって、新鮮なやつしか出さない。

それなのですぐなくなってしまう。

ウニも8時にはなくなってしまう。

今日はすでにウニはもう終わっていた。

それから、ここのお茶漬けはすごい。

うまく説明できないが、大きなキングサーモンがのっかっている。


 一心太助でお腹いっぱいになった帰りは、美園でアイスクリームを食べて運河を歩いて宿に帰った。

小樽は素晴らしい。

しかし宿は夏は高く、シーズンをすぎると半額以下になるところもある。

秋はいくら丼もあるし、もう一度秋に来てみようかな。


8.(小樽)

8月6日 。

今日は一日小樽の日。

朝、10時頃、あのニシン定食を食べに三角市場にいったのだが、何とまた休みだった。

ちょっとショック。

店の前にいってみると、「喪中」と書いてある。

ということはあの夫婦のどちらかが死んだのか?と隣の店の人に聞いたら親らしい。

あそこのニシン定食は小樽の絶対のチェックポイントだっただけにちょっとショック。

それで少し離れたところにある鱗友朝市というところにバスでいった。

そこで朝取れたというイカの刺身を食べた。

さすがにうまい。

甘い。

イカの味の違いはこのあと函館でも実感した。

その後、運河の方まで歩こうと思ったら、すごい雨が降ってきた。

バス停はすぐ近くにあるが、まわりに屋根みたいなものがないから、近付くに近付けない。

しばらくどうすればいいかともう一度市場に戻り一周した。

市場のおばちゃんと旅行者がしゃべっていておばちゃんの言葉のアクセントがとてもおもしろくて録音した。

結局、いつまでもこうしてもいられないので、バス停まで走り、向かいの家の小さな屋根みたいなところでぎりぎり雨宿りをしていると、すぐにバスが来た。


 それで北一 ホールでジャンボシュークリームを食べ、カフェオレを飲んでくつろいだ。

ここは僕の数少ない癒しの場所。

その後、手作りガラスの実演などを見た。

雨はふったり止んだりしている。

そして4時と同時に昨日ウニが売り切れていた「一心太助」に行く。

食べに食べた。

ウニ。

サバ。

カニ。

サバはとてもおいしかった。

あとはお茶漬けやいろいろ頼んで、もう苦しくなった。

ついに最後、サバを食べ切れなかった。

一切れ残した。

もうこれでサバを食べたらサバが嫌いになりそうだと思った。

そして苦しいまま店を出た。

そして(もちろん食べるわけないが)ラーメン博物館やナニコレ貿易(ここは本当に面白い)を見て遠回りしながらホテルに帰る。

途中、北海道で最初に走った鉄道手宮線の線路跡をどこまでも歩いた。

スタンドバイミーみたいだった。

帰り道がわからなくなりそうだった。

それからホテルに帰る前に中央市場の中にとてもいい喫茶店があった。

ここはすごくいい。

名を「ミクマリカフェ」という。

これは大発見だった。

夜も10時頃までやっている。

そこのお兄さんに、小樽文学館で今、喫茶展という展示をやってかなりおもしろいといわれたので明日、帰る前にどうしてもいきたくなった。

 


9.(小樽ー長万部ー函館)


 8月7日。

朝、三角市場にいったが、やっぱりやっていない。

それで昨日「ミクマリカフェ」の人に教えてもらった喫茶展、正式な展覧会の名前は「小樽、札幌喫茶店物語」、にいった。

とてもよかった。

文学館自体アートだった。

古いいい感じのところだった。

となりの美術館では「僕らのヒーロー展」をやっていたがそれはつまんなさそうだった。

でも喫茶展は最高。

常設の文学のコーナーには小樽出身の作家の展示がされていた。

小樽は何といっても小林多喜二で、プロレタリア文学の星、24才にして警察に殺された悲劇のヒーロー(彼はとなりの「僕らのヒーロー展」にはでてないだろうけど)だ。

太宰治もデビューを模索していた頃は彼の「不在地主」といういかにもプロレタリア文学らしい作品をパクっていたわけだし。

とにかく一時代の星(流れ星のようなはかない存在)だった。

あとは伊藤整、石川啄木、それから中学時代を小樽ですごした石原慎太郎(そのつながりで石原裕次郎記念館も小樽にはあり、大きく宣伝されている)、なども展示してある。


 さて、喫茶展というのは小樽、札幌に多く残る古い喫茶店の資料などを展示し、当時の中を再現してみようという企画。

昭和10年代から、始まった喫茶店ブームは日本独特の「純喫茶」という空間を作り、文人や芸術家に愛され、芸術のうまれる場所でもあった。

これは全国的なブームで、古い街には今でも40〜50年以上の歴史のある喫茶店は残っているところもあるかもしれない。

吉祥寺でもその純喫茶といわれる店は「ボア」というのが南口にあり、真似のできない空間を作っている。

それから浅草などの下町には、けっこうまだ残っている。

そしてそれは小樽、札幌といった戦禍を逃れた街には今でも多く残っている。

沼田元氣という人が、東京の喫茶店について書いた本を先日見つけていい本だと思ったのだが、何とこの「小樽、札幌喫茶店物語」は彼の全面プロデュースで、彼はその本の小樽、札幌版も出していた。

これにはびっくりした。

買ってしまった。


 その展覧会では、喫茶店をこよなく愛した植草甚一という伝説の粋なおじさん(雑誌「宝島」を創刊したことでも知られる批評家)の展示もやっており、それもおもしろかった。


 そのあと妙見市場のポセイ丼でいくら丼を食べ、商店街をぶらぶらして、美園や西川ぱんじゅうによったりして時間をつぶした。

中途半端に時間があるから、運河のほうまで歩いてラーメン博物館の「すみれ」を見たり、お土産屋を見たりしてたら時間がなくなり、結局駅までタクシーでいった。


 そこからは電車。

昼に小樽をでて、函館には8時につく。

途中、長万部で乗り換えに1時間あり、「甘太郎」という食堂でラーメンを食べて寒さを凌ぎ、時間をつぶした。

ラーメンはとてもおいしかった。


 函館に着く。

僕には何だか帰ってきたという感じがしてならない。

駅は建直すらしく、工事中といった感じだった。

駅に降りたら。

「東横イン」というホテルが今週オープンしたことを知らせるポスターが張ってあった。

信じられない安さで愕然としたが、僕はすでに宿を予約してあるし、そこだって安い。

さて、今日から函館3日。

とりあえずホテルにチェックインして、荷物を置き、ラッキーピエロめぐり(十字街とベイサイド店)をした。

ああ、もうお腹いっぱい。

このごろ慢性的にお腹いっぱいで何かやばい。

ラッキーピエロというのは函館にしかないハンバーガー屋で、僕はここが大好き。

ずっと前は2軒くらいしかなかたが、年々増えはじめ、とくに函館出身のGRAYのJIROがテレビでよく言ったらしく、大人気となり、この頃は10店鋪以上あるらしい。

それがどの店も内装が違っているらしい。

僕の今回の函館の目的はなるべく色んなラッキーピエロの店に行く、それから色んな塩ラーメンを食べる、ということだ。

それで3泊もするのだ。

観光地には用はない。

なるべく地元の人のようになりたいのだ。

 

10.(函館)


 8月8日。

さて、今日は何をしようか?天気はあいかわらず悪い。

まず、駅前のデパートの中にできたという噂のラッキーピエロ駅前店に行く。

すると、なんとそこはこないだまでミスタードーナツだったとこだった。

ちょっとショック。

これで、最近のラッキーピエロの勢いを目の当たりにした感じだ。

函館では、ミスドより、マックより、ラッキーピエロの方が多いのだ。


 ラッキーピエロで朝をすませ、そのあと谷地頭温泉にいった。

市電の一日乗車券を600円で買う。

これはぜったいに得。

3回乗ればもう得。

谷地頭温泉は函館山の麓にある温泉で、市が経営している。

370円。

温泉の色は茶色っぽく鉄分が多そうだ。

僕は温泉は好きだが、長くは入っていられないのですぐに出てしまう。

何かせっかく温泉に来ているのに、湯につかったら熱くなってのぼせてしまうのだ。

しかし、今日までも色んな温泉に入ったなあどれくらい入ったんだろう?谷地頭温泉は着替えるところにマッサージチャアが置いてあり、あおれが気持ちいい。

温泉に入る時間よりもそっちのほうが長かった。

そこで長い時間過ごしていると外の雨はさらにすごくなった。

僕はしばらく2時間近くそこにいた。


 そして雨もやみ、また市電に乗ったが、僕は谷地頭温泉のとなりの青柳という停留所でおりた。

ここには実はテレビで見たことのある「愛の貧乏脱出大作戦」ででてた、みなみちゃんという何をやってもダメなキャラの店がある。

僕はそのテレビを一度だけみて、函館なので気になっていたのだ。

この、みのもんたのテレビで、みなみちゃんはけっこう問題児(といっても40才くらいかな?)だったので、実は続編があったらしいのだが、僕はみなみちゃんが横浜まで修行に行くとこまでしかみていないのだが、とにかくあのテレビに出ていたのが函館のどこなのか確かめたかった。

青柳電停は海沿いの静かないい処だ。

僕は駅から離れていないところに「ラーメンみなみ」の黄色い建物を見つけた。

住所が分らなかったので、知っている人にネットで調べてメールをもらったんだ(ありがとう)。

店はたしかにやっていた。

僕はそこを通り過ぎて海岸の方まで歩いた。

函館山の裏の方は中腹まで墓だらけでびっくりした。

向こうに立待岬が見える。

また、石川啄木の墓もここにある。

啄木は岩手で生まれ、盛岡で育った人だが二十歳ごろ函館に越してきて、そのあと札幌に行き、そのあと東京に行ったのだ。

啄木はここを愛した人で、墓もここにある。


 関係ないが、函館とはもともと箱館が正しく、もともとは室町時代にたっていた津軽藩の河野氏の大きな建物が地元の人に「箱のような館だ」といわれたところから来ているというのが定説だ。


 さて、僕はそこから青柳電停に戻る時にまたみなみちゃんの店の前を通った。

店の中では地元の客が2人くらいいた。

僕は中を覗いてみた。

中ではテレビに出た時の写真が貼ってあった。

それででも入らずに歩き出すと、台所のほうから「お茶でも飲んでかない?」「お茶くらいごちそうするよ」とみなみちゃんの声が聞こえた。

ナンパみたいで少し笑えた。

まあ、とにかく今日はいいや、と思い、また市電で街に戻り、星龍軒でラーメンを食べる。

430円。

函館は塩ラーメン。

ここのは本当にうまい。

ここのが一番好き。

安くてうまい。

スープに味がある。

函館は古くから中国との貿易なども盛んで、中国人相手に中華料理を出していた。

中国のラーメンの多くは塩をベースにしたもので、函館の塩ラーメンはそうやって伝えられたのだ。

今回の函館では「星龍軒」「マメさん」「あじたか」の3軒のラーメン屋を食べた。

どれもおいしかったが、やっぱり星龍軒がいいな。


 そのあとホテルにチェックインする。

ネットで予約したので、汚かったら嫌だと思ったが、昨日も今日もきれいだった。

そのあとちょっとホテルで寝たが、起きて市電に乗って、五稜郭までいった。

五稜郭は函館の隣の駅でもあるが、市電で行くのがいい。

函館、五稜郭はひとつの街である。

距離でいうと吉祥寺と荻窪とか武蔵境くらいかな?函館は観光地という感じで、地元の人が飲んだり、服を買うような店は五稜郭の方が多い。

僕はよくこのへんをぶらぶらしていたから、またぶらぶらし、かつての記憶を確かめた。

そのあと、また市電に乗り、夕食食べに函太郎という開店寿司に行った。

開店寿司でもこの店の評判はすごいものがある。

すごいこだわりをもった店らしい。

途中雨がひどくなったので100円ショップで傘を買った。

昭和橋電停で降り、しばらく歩いたが雨にまけてタクシーを拾った。

函太郎はまさかの混みようであった。

けして便利とは言えない場所でこの天気なのに、40分待ちといわれた。

まあ、他にすることないし、せっかくだから待つよ。

しかし店内は順番を待つ人でごった返していた。

夕食の一番混む時間に来てしまった。

僕より、後に並んだ人たちが、長く待つのにあきらめてどんどんキャンセルしてった。

さあ、じっさいは回転がよかったためか30分も待たなかったように思う。

それでもぐもぐ色々握ってもらった。

おいしかった。


 食べ終わり、店を出る頃には雨は止んでいた。

ここは海沿いにあり、夜の海がこわかった。

ここからは市電の駅は遠いが、よくみたら僕の泊まるホテルまではそんなに遠くなかった。

まあ、お腹いっぱいになったことだし、それを目指して歩いて帰った。

風がきもちよかった。


11.(函館)


8月9日。

朝、コインランドリーで色々洗う。

コインランドリーで会った地元のおばちゃんと話す。

昼はカリフォルニアベイビーでシスコライスを食べる。

ここもマストな所。

カリベビは50年代っぽいレストラン、昔からあり、わざとらしくなくていい。

シスコライスはピラフの上にミートソースがのっていて、そこに大きなソーセージがある。

ここでこうやってシスコライスを食べたり、ラッピでハンバーガーを食べることができるのは僕にとって何とも言えない贅沢だ。

そのあと、お土産屋とかをみて、2時になるのを待ち、今日泊まる、函館国際ホテルにチェックインする。

これは僕にとっては感慨深いことだ。

駅を降りて、金森倉庫(レンガの古い建物、ラッピやカリベビもそっちにある)の方に行くとき、必ずこの大きなホテルの前を通る。

しかし、貧乏旅行の僕には絶対に縁のないところだと思っていた。

それで僕はそこの向かいにある小さな3500円の民宿に泊まっていた。

しかし、今回ネットを通じて5千円以下でとまれた。

いやあ、信じられないよ。

チェックインし、何と部屋も何か空いてたらしく安いプランなのに大きな部屋になっていた。

おまけに、これにはびっくりだったが、従業員が荷物を部屋まで運んでくれた。

これにはびっくり、生まれて初めてだった。

チップをあげるものなのか、考えていたら、失礼しますといってしまった。

あとでホテルの案内書を読んだらチップは遠慮下さいとのことだった。

その居心地の良さに、いつまでもそこにいたかったが、外に出かけた。

五稜郭に行った。


 五稜郭に行く前に中島廉売にいった。

ここは地元の人が買いに来る大きな市場の街で、野菜や果物が多いが、さすがに安かった。

街並もとてもいい。

函館ではいたるところで茹でたとうもろこしを100円とかで売っている。

うまい。


 そのあと五稜郭へいく。

ラッピ五稜郭店ではついに680円の一日限定20食の「ふとっちょバーガー」を頼んだ。

高さ20センチくらいあるかなあ?ハンバーグ、コロッケ、トマト、チーズ、野菜、何でも入っている。

店員が鐘を鳴らして持ってきて「あなたがいつまでも健康で幸せでありますように」と宗教みたいなことをいうから少し恥ずかしい。

ハンバーガーは、大きいのでガブッといけず、けっきょくナイフとフォークで食べる。

そのあと、店の人に道を聞いて、松蔭店にいく。

帰りには本町店もいく。

全部内装が違いおもしろい。

全部の店でハンバーガーはさすがに無理で(特にふとッちょバーガーの後は)、牛乳を飲んだりした。

ここの山川牛乳がまたうまいんだ。

そして市電で帰る。

雨がすごい降った。

梅雨のようだ。

ホテルではのんびり広い空間を楽しんだ。

ここのホテルはまた来たい。

 

12.(函館ー青森ー盛岡ー花巻)


8月10日。

いよいよ函館との別れの日。

このホテルは11時チェックアウトで、今回泊まったホテルでは一番遅い。

それでいて2時にチェックインで一番早い。

それだけ居心地の良さに自信があるのだろうが、4時間で全部掃除できるのか少し心配になってしまった。

朝は、ラッキーピエロ駅前店で函館スノーバーガーを食べる。

昨日ツタヤの古賀さんにメールしたら古賀さんはそれが一番おいしかったとメールがきた。

僕はいつもラッキーエッグバーガーばかりなのでそれを教えてもらって良かった。

ギリギリまでもう一泊することを考えたが、やめた。

12時6分の電車に乗る。

お座敷列車だった。

寝る。


 青森では一時間ある。

駅の周辺を歩くと、けっこういろいろ変わっていた。

一番かわったのはAUGAというデパートができていたことだ。

ここは地下に市場があってすごかった。

上はファッションビルで、よさそうな店がたくさんはいっていた。

それでいて地下の市場も入って、これはいいと思った。

そしてそのビルの裏側にある昔からの市場も歩いた。

けっこう大きい。

ただ、いくらやサケやウニ、そしてイカさえも、北海道の方が本場に思えてしまって、もう興味をなくした。

その中に製麺所があり、「そば粉100%、津軽そば」と書いてあったの入ってしまった。

製麺所が立ち食いそばをやっているのは高松みたいだし、何かおいしそうだった。

しかし、このそばもまた歯がない人でも歯茎できれるようなぷつぷつ切れるそばだった。

けっきょくそば粉100%とはそういうことなのか?青森を出て、盛岡へ。

途中八戸で時間があり、小唄寿司を買う。

その時に駅を少し出たが、駅がすごく立派になっていて驚いた。

今年の12月1日に今、盛岡までの東北新幹線が八戸まで延びるのだ。

これは住民には待ちに待ったことだろう。

これはそのうち函館を通り、札幌まで行くのだろうか?その場合、小樽経由かな?千歳空港経由かな?登別を通って、千歳空港だろうな、きっと。


 盛岡では特に何もせず、花巻に行く。

今日の宿はここです。

ここにはかつて成蹊大の学生で、僕の客だったガッツこと平賀くんが住んでいて僕は泊めてもらう。

花巻は函館を出て、東京に帰るには絶好の中継地店だ。

ガッツの家は今までにも何回も泊まったことがあり、僕は家族みんな知っている。

ガッツの家は大きくて古くて、蔵もあり、何かすごい。

ふすまがいくつもある。

家は神社もやっており、ガッツの兄貴はそこの神主でもある。

神主の仕事の話はいつも興味深く、家の中では普通にポロシャツとか着て、くつろいで「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」とか見てるからそのギャップに驚いたものだ。

神主といってもそれは行事の時だけああいった仕事をするのであり、普段は神社本庁というまあ会社に勤めるようなサラリーマンみたいなもので、毎日盛岡まで出勤するのだ。


 花巻に着いたのは8時50分。

本当は今日、花巻では花火大会があるのが、雨で中止だって。

どっちにしろ僕は間に合わなかったでのいいけど。

でも、途中で特急に乗らなくてよかった。

3千円だして乗っていたら間に合っていたからね。

お金で買える時間。


 9時ごろガッツが彼女と車で迎えに来て、北上まで行き、「風土」という店に御飯を食べにいった。

ガッツとは3月以来で、とくに社会人になってからのガッツに会うのははじめて。

ガッツは花巻の古着屋で働いており、色んな話を聞いた。

ちなみに、ガッツの店にはこの夏キンシオTシャツを置き、好評だった。

それで夜遅く帰り、懐かしい家で寝た。

 

13.(花巻ー盛岡ー花巻)


8月11日。

今日は一日この辺にいて、明日東京に帰る。

ガッツは9時半に店に行く。

その車で僕はそこまで行って、そこから歩いて駅まで行こうと思った。

ガッツのお母さんが作ってくれた朝ごはんをみんなで食べる。

食べ終わり、外に行こうと思ったら雨が降ってきた。

ガッツにどこか100円ショップがあるとこないかときいて、マルカン(デパートみたいなやつ)の前で降ろしてもらう。

開店をまって傘を買う。

そのあと、駅まで歩いたが教えてもらった道を間違えたらしく、すごく遠回りをする。

線路を越えた時におかしいなとは思ったのだが、もう遅い。

雨は信じられないくらいに降り、靴の中の靴下に雨がしみ込んできた。

10分ときいていたが30分以上かかって西口についた。

そしたら5分後ぐらいに盛岡行がきて、それに乗る。

早く靴下を代えたい。


 盛岡につき、じゃじゃめんの店、白龍(パイロン)に向かう。

ここは盛岡じゃじゃめん発祥の店として知られており、僕も来たことはある。

一皿350円からあり、この街ではファーストフードみたいなものだ。

本当は前に来た僕の客の人に教えてもらった盛岡の隣の厨川という駅にある「てんごくや」というじゃじゃめんの店をすすめられたが、すごい雨なのでやめた。

しかし雨は降り続くねえ。

僕って雨男なのかなあ?そんなはずないのになあ。

この一週間ずっと雨じゃないか。

太陽ってどんな感じだったっけ?ガッツに聞いたら、昨日までは晴れたてたというからちょっと申し訳なかった。


 白龍までは駅からの100円バス(でんでん号)で行ったが、何と今日は休みだった。

今日は日曜だった。

街にも人が多かった。

しかし、店のシャッターに、近くのデパート、「カワトク」の地下ではやっていると書いてあったので、そこに行った。

時間はちょうど12時だった。

けっこう並んでいて20分近く待ったが、それでもまだ並ばなかったほうで、僕たちが食べている間に行列は倍になった。

味はあいかわらずのおいしさで、本店と変わらなかった。

僕は「大」を頼んでしまたが、すごい量だった。

じゃじゃめんは、平打ちのうどんの上に、黒っぽい味噌のようなものをかけ、それをうどんとまぜてたべる食べ物。

何と言うのだろうか、何も知らない人にはミートソーススパゲッティとでも言って説明しようか、よか分らない。

まあ、中華料理屋のジャージャー麺に一番近い。

盛岡と言えば冷麺が有名で、冷麺とじゃじゃめんとわんこそばで三大盛岡麺と呼ばれる。

冷麺とじゃじゃめんはともに、朝鮮から来た食べ物で、じゃじゃめんは白龍、冷麺は駅を背にして大通りから映画館通りを左にまがり、ゲーセンのところを右に入ったところにある食道園という店が発祥の店だ。

盛岡は平壌と同じ緯度の処にあるらしく、店の主人が作ったものらしい。

それでいろいろ開発を重ね、独自の盛岡冷麺が完成して、今の広がりを見せているのだ。

盛岡冷麺は本場にいって食べればこっちの焼肉屋とはまったく違うことがわかる。

僕は東京では韓国冷麺しか食べない。

じゃじゃめんは食べ終わると、プラス50円で、その皿に卵を割ってかきまぜてお店の人に出すと、それにスープを入れて、味噌をさらに足し、卵スープを作ってもらえる。

これはチータンタン(たぶん鶏卵湯のこと)呼ばれる。

この一度食べて2度楽しめると言うのは画期的だ。

ちなみに、杉並にある井の頭通りのドンキホーテの近くの店ははこれをやっている。

高いが。


 じゃじゃめんを食べ終わり、またお腹が苦しくなった。

そとの雨はさらに激しくなっている。

もうそとには出られない。

だからデパート内をうろちょろし、また地下に行き(白龍の行列は昼時を過ぎてさらに伸びていた)お腹いっぱいなのにシュークリームを食べたりした。

しかし、靴下を代えたい気持ちも限界に達し、ダイエーに行った。

そこで靴下を買い、地下の食堂で代えた。

うれしいー!。

もうさっきのようなものはこりごりと、靴下の上にレジのうしろにあったビニール袋をはいて、そのうえに靴を履いた。

これで完璧。

そのあと、食べたいものもあったが、もうお腹いっぱいで冷麺は食べることができなかった。

他のじゃじゃめんも試してみようと、だいぶ時間がたって「不来方じゃじゃめん」という店に行き、少しだけだべたが、白龍に負けじとおいしかった。


 それからまたぶらぶら歩き、古着屋でシャツを一枚買った。

そのあと材木町にいった。

ここは何回か来たことがあるが、いい街だ。

宮沢賢治が「注文の多い料理店」などを出版した光源社という出版社はここにあり、今は同じ名前で染物や漆器などを売っており、その筋では全国的な有名店で、僕の母親はそこにいきたいと前からいってる。

そこの中にあるいい感じの喫茶店で休む。

そして駅に戻る。


 それで7時前にガッツの働いている「コールタール」という古着屋(張吹町)に行く、ガッツや社長や店の人たちと話し、店もよく、僕の好きそうなライン入り(僕は、サッカーをしてたからか、ラインの入っている服にすぐ反応する)もいくつかあって、3つ選んだ中の茶色のジャージを買った。


そこで前も言われたがのだ店のフィッティングルームに絵を描いてほしいと頼まれ、じゃあ明日、帰る前に早く来て描くよと約束した。

それでガッツと画材を買いにいった。

明日は東京に帰る。

8時45分の電車に乗れば、仙台で昼に二時間くらいとれることができるのだが、まあそれをやめて11時半の電車で帰ろうと思った。

絵は1時間もあれば描けるだろうから、9時に店に集合ということになった。


 雨の中ガッツとそばを食べて帰る。

ガッツの兄貴と喋る。

何回聞いても神主の仕事の話はおもしろい。


14.(花巻ー北上ー一ノ関ー黒磯ー東京)

8月12日。

今日も雨。

というわけで、朝はガッツの働いている古着屋のフィッティングルームで絵を描いた。

9時半ごろにかきはじめた。

社長の注文どおり、黄色と赤であのパチンコっぽいアートにした。

白い壁がとてもいいキャンバスになり、自分でも描いているうちに気がのってきて、とてもいい作品になった。

ちょっとお洒落っぽくも意識した。

文字は「WELCOME TO CORTAR'S FITTING ROOM」と「FEEL,THINK,JUDGE」を書き、下には「アートワーク by キン・シオタニ、東京逃避旅行の北海道からの帰り道」と英語で入れた。

ほかの壁の面にもそれぞれワンポイントでキン悟空とかを描いた。

我ながらいい作品が残せてたと思う。

それでお礼をもらい、みんなで写真をとり、そこから歩いて駅にいった。

今日は間違えないように箱崎商店のところで曲がった。

途中、僕のしっている人で花巻出身の人におしえられただんご屋で「お茶餅」とあと何かもうひとつの、とにかくまんじゅうの店を見つけたが、その二品は11時半からといわれた。

それでは間に合わないので諦めてそのまま駅まで歩いた。

花巻はガッツも住んでいるからこようと思えばいつでも来れる。


 駅に着いて北上行きが来たのでそれに乗る。

北上までは3駅くらい。

北上につき、近くのパン屋であんぱんとかピザのやつとか色々買った。

あとで電車で食べたがとてもおいしかった。


 北上からは一ノ関に行く。

一ノ関で次の黒磯行きに乗り換える。

その間にちょっと気になることがあったので駅前にいった。

一ノ関駅前には「大槻三賢人」の銅像がある。

僕はいつもここに来るたびにそれをちらちら見てはいたが、その人たちがいったい何をした人たちなのか分らなかった。

それをちゃんと調べようと思った。

それは銅像の横の説明書きを読めばわかる。

そしてわかった。

その三人とは大槻玄沢・磐渓・文彦で、親子三代のことだ。

それぞれが長男というわけではないが、とにかくみんな学者で中でも文彦は日本で最初に辞書を作った人としても知られている。


 一ノ関からは黒磯行に乗る。

これは長かった。

仙台では20分くらいあり、駅の外の土産屋で萩の月を食べた。

黒磯に着いた時はもう外は暗くなっていたが、雨はまだ降っていた。


 黒磯からは上野行きに乗る。

この電車からおりなければもう東京なのだ。

ああ、もう帰る。

外は暗く、僕はロッキングオンを読んですごした。

宇都宮でまた20分くらいあり、駅ビルの中の「さつき」で餃子を買った。

ここの餃子はうまい。

このように、花巻からの帰り道でもちょっとした時間にそこの名物を食べることができるのはおもしろい。

そうしてそのまま赤羽についた。

夜の9時頃だった。

ずっと電車に乗ってたから急に電車の外に出て東京のむわっとした空気を感じた。

手のまわりにまとわりつくような重い空気。

帰ってきた。

でも、夜にしてもすこしは暑さのピークは過ぎたのではないだろうか?
 吉祥寺に着いたのは9時半過ぎ。

駅でSHIMAの小川さんに会う。

この人とよく会うんだよね。

そうして井の頭公園を歩き、家に帰る。

ペパカフェ井の頭公園店が店じまいの準備をしてた。

近所のスーパーでメロンを買う。

帰って風呂はいってメロン食べて寝る。


帰ってきた。


 というわけでこれが僕の北海道の旅でした。

幸いなことに、帰ってきてからはあまり食欲がありません。

暑いし、しばらくは寿司とかも食べる気になれません。

向こうと比べてしまうからね。

いつもはうまいと思っている天下寿司も、やっぱり北海道の後では食べられないよ。

カレーとチャーハンはけっこう食べたいけど。


 旭川を散歩していたらどこかの政治団体が出したのか、「自分たちの事は自分たちで決めよう」「北海道の分県を実現しよう」という看板を見つけたが、それはどういうことか?北海道を日本から独立させようということか?それはびっくりした。

それは困る。

日本は自給率40%らしいが、北海道だけなら100%を超すのではなかろうか?肉や乳製品、野菜、果物、魚、米、すべてある。

日本のそばで、国内産そあ粉をかかげている店ははほとんどを北海道産のそば粉を使っている。

「北海道産」とわざわざ宣伝しているところもある。

それからラーメン、ハンバーガー、ビールなど、食べ物をあげればどれもうまいものは北海道にある。

観光のこともそうだし、北海道は独立したらうまくいくのではないだろうか、と本気で思ってしまった。

まあしかし、それは僕が主に夏に北海道にいっているからそう見えるのかも知れないが、とにかくそんな魅力的な大地にはこれからも夏になるたびに行くことでしょう。

 

 

 

 
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