7月15日朝、僕は長野に旅に出ました。
何かこのごろ、旅に出たくて仕方なかった のです。
やっぱり人は3ヶ月に一度は小さくても泊りがけの旅に出た方がいいと思い ます。
今回の旅は4月に草津に行って以来の旅でした。
台風が行った後だからいいか な、と思ったらもうすぐ次の台風が来ていて心配になったけど、もう予定もたてて切 符もとってしまったのだから仕方ない。
今までの僕のしてきた旅と言うのはその日の 朝、それか前の晩に、急に思い立って出るというものだったけど、このごろはそうも いかず、来週行こう、みたいな感じでだいたいの予定をたてるようになりました。
もともと今回の旅の目的は戸隠そばを食べることだけで、それ以外は何もなかった 。
僕は今まで長野のそばをうまいと思ったことが一度もない。
長野のそばは今までに 何度も食べている。
そばというものはけっこう安い。
ざるそばだと500円くらいから あるし、それなら僕の貧乏旅行でも食べることができた。
またそば通の人に言わせて も、そばは「せいろ」(ざるそば)を食べるのが一番というから都合がいい(それは そうだよな、そば屋で天ぷらがうまくてもあまり自慢にならない。
天ぷらはごまかし に過ぎない)。
しかし僕がそばの本当のうまさに目覚めたのは実は去年のことだ。
それまでは安い し、そばは伝統のある料理だから街には必ず名店といわれる店があり、そこに行って 食べると、まあうまいと思った。
しかし、感動するほどうまいわけでもなく、それよ りはその土地のラーメンを食べる方が好きだった。
しかし、去年、山形で食べた僕の そばに対する気持ちを一変させた。
それは寒河江という街の慈恩寺そばという処で食 べたそばだが、その時も僕は何気なく、まあそばを食べようと思って入っただけだっ た。
山形はそばどころ、せっかく来たのなら定食屋に入るより土地の名物を食べよう と思って入っただけのことだった。
そうして食べた板そばに衝撃を受けた。
黒く、太く、固く、四角い。
見た目にもそ うだし、味も今までに食べたことのない味だった。
そのそばを食べる前に僕は近くの 果樹園でさくらんぼ狩りをやってある程度はお腹いっぱいになっていたにもかかわら ず、おかわりをしたほどだ。
それから僕はその旅をそばの旅に変更し、山形でそばを食べまくり、東京に帰って 、次の週もまた山形に行った。
2週間連続で山形に行かせるほど僕は山形に魅せられ たのだ。
山形にはそば以外にも人(詳しいことは僕に直接聞いて下さい)や、街、果 物、肉、水とすばらしいもので溢れていた。
しかし、最大の魅力はそばだった。
山形 市内の七日町という処にアズというまあパルコみたいなビルがあるんだけど、そのビ ルの隣にミスタードーナツがあり、その奥に古着屋がある。
僕はそこの店長と仲良く なって今僕が旅に使ってるポーターの鞄を安く売ってもらったんだけど、彼などは僕 が東京から来ているというのは嘘だと思っていたくらい僕はその後も山形に通ったの
だ。
それで僕がそばに目覚めて会う人会う人にそばの話をすると、必ずといっていいほ ど、「戸隠でそば食べたことある?」と聞かれるのだ。
ない。
世の中の人の印象では 、そばといえば、信州、その中でも最高なのが戸隠なのだ。
実は僕はそばに目覚めてから、長野に行った時に町中の有名なそば屋に何軒かいっ た。
善光寺前の太田屋、今むら。
どちらも有名な店だ。
他の店も行った。
しかし、素 直な感想は「これ、うまいか?」だった。
そして僕は東京で友達の長野に人に聞くと 、いやあ市内にはうまいそば屋はないよと言った。
じゃあみんながそこまでいう戸隠 そばを食べてみようと思ったのだ。
たしかに戸隠のそばはうまそうな印象がある。
と いうか予感がする。
長野市内から車で一時間以上かかるし、山も越える。
また、「戸 隠」という隠れたような名前も魅力だった。
戸隠には山岳信仰で有名な戸隠神社があ り、宝光社、中社、奥社、とだんだんと奥に行く。
そばは米よりもへき地で育つから 、そういうところは期待できるだろう。
雑誌などで下調べをしたが見た目にもおいし そうだった。
太くはないが、「ぼっちもり」という小分けした盛り方が、伝統を感じ させた。
僕は、色々調べて、中でも一番有名な「徳善院」という店と「うずらや」で 食べることにしようと思った。
ここは歴史もあり、通な本から、初心者用ガイドブッ クにも載っている。
有名ということでのデメリットもあるにはあるのだが、そこを代 表知る味には変わらないだろうし、一度食べておきたい。
はみんながそこまでいうの なら行こう自分にとって戸隠そばを食べるのは宿題だった。
それで7月15日、月曜の朝に旅立った。
切符は新幹線の往復とホテルがついて1万2 千円。
朝7時東京初限定の新幹線に乗るという切符がある。
まともに買えば往復だけ で1万6千円だから、ホテルもあることを考えるとやっぱり安い(ちなみにこの切符は 夏休みとともになくなる、それからこの7時東京発の新幹線に遅れると切符は無効に
なるから御注意を)。
18切符で行くと往復4600円の宿が5000円として1万以内でいけ るのだが、2000円の違いなら今回は楽な方がいいかもと思った。
長野はそれほど遠い わけではないので、仮に戸隠がハマるくらいよかったら、今度は青春18で来てもいい と思ったのだが、とにかく今回は楽な方を選んだ。
4500円プラスしてもうい一泊する ことにした。
2泊3日だとゆっくりできる。
前の日曜日は公園をやったから疲れた。
好きでやっていることとは言え、全霊をぶ つけているわけなのでその日はとても疲れる。
そして次の朝は早い。
新幹線に遅れな いことだけ注意して早く起き、無事に乗ることができた。
当日の天気は全国で東京だ けが晴れてあとは雨。
何だかなあ、と思った。
台風は九州の南にいるらしい。
一週間 で2回も台風がくるのは関東では珍しいらしい。
また当日は長野県知事の田中康夫が 知事をやめ、全国のニュースでもトップニュースで長野が注目されていた。
そんな色 んな意味で嵐の中に僕は向かうわけだが、僕の目的はただひとつ。
戸隠そばだった。
台風は明日来るわけで、今日はただの梅雨の雨だから、なるべくなら雨でも今日の うちに戸隠に行きたいと思った。
山を越えるので台風のような大雨が降ったら危険だ と思ったからだ。
新幹線では発車前に寝てしまった。
長野についたと同時くらいに雨が降り始めた。
長野についたのは8時50分だ。
長野はもう10回以上来ているが、駅前がオリンピック 以来きれい、というか殺風景になった。
僕は着くとすぐに戸隠までのバス停を探した 。
戸隠行きのバス停を見つけ、向いにある切符販売所で往復切符を買った。
2100円。
その切符売り場でビニール傘をたくさん発見。
これって借りていいんですか?ときく と、おじさんは、でも、ちゃんと返してくれますか?と言った。
もちろん返す。
意地 でも、つまり滞在中雨が止まなくても返そうと思った。
バスは9時35分。
雨がひどくなった。
バスは最初は街中、つまり善光寺のわきを通 るのだが、それをこえると山だ。
山を信じられないくらいに上り、しばらくすると、 雲が下の方に見えた。
そうした山をいくつか越えて、戸隠には1時間後に着いた。
戸 隠には宝光社、中社、奥社とあるが、中社周辺が一番栄え、またそば屋が軒を列ねて いる。
バスを降りると、すぐに徳善院の看板が見えたので、そこに向かうと、徳善院はま だ準備中で、その横に「うずら屋」があった。
そっちはやっていた。
そこも行きたい お店だったの、入ろうとすると、店の主人がていねいに入り口で迎え、いらっしゃい ませ、おたばこはお吸いですか?ときてきた。
吸わないと答えると、じゃ二階にいま しょう、と案内された。
それに象徴されるように、その店は店員の態度がとてもよか った。
僕は天ぷらそばを注文した。
店のメニューに、やたらと店の主張が書いてあって、 てんぷらもとても勧めてあったのだ。
さて、お味のほうですが・・。
ふつうでした。
天ぷらも、まあうまいという感じです。
天ぷらはあげたてはたいて いどこでもうまい。
まあ、そばは見た目にはよさそうで、もちろん味も悪くないんだ けど、とにかくふつうでした。
窓の外からは巨大な杉。
雨は静かにこの山奥の街を濡 らしていた。
そのあと、もう向かいの徳善院が開いて、そこに行った。
そこは店員の態度はいま いちでした。
店は奥まで広く、団体も受け入れそうだった。
しかし、まだ10時半だし 、ほとんど客はいなかった。
ここではざるそばを頼んだ。
ここは僕が一番期待してい たところだ。
お味のほうは・・!
ふつうでした。
さっきの店もここも、とにかく麺が細い。
ここはとくに細い。
こん な山奥にそばを目的で来て、実際それを食べたことには感動したけど、それ以上の何 でもなく、山形のように、「ついていきます!」みたいな感動はまったくなかった。
徳善院で驚いたのは、そば湯が出ないことだ。
これは店員が忘れていたのではないだ ろうか、と今でも少し思うのだが、前の客もレジのとこでそう言っていたし、まあ出 ないのだろう。
ちゃんとしたそば屋でそば湯がでないのは生まれて初めてだった。
う ずら屋は出たよ。
その2軒で僕は戸隠のそばは自分の口にはあわないと判断し、神社に挨拶して、バ スを待ち、早々に山を下りた。
戸隠には今の2軒以外にもあと30軒はそば屋があるだ ろうから他の店は分らないが、とにかく代表的な店でだめなので、一気に戦意喪失し た。
長野市内に戻った。
まだ2時。
ホテルのチェックインまであと1時間ある。
雨。
僕は 街をぶらぶら散歩した。
善光寺に近い権堂(ごんどう)というアーケードの商店街は 僕の前からのお気に入りスポットだ。
僕はアーケードが大好き。
そこを歩く。
田中康 夫のことで街頭インタビューをしていた。
長野県民になりすまして答えたら誰かから メールとかくるかなあと思ったけど、インタビューされなかった。
そのあと、夢屋というとこで白玉クリームあんみつを食べ、4時頃ホテルに入り、 疲れたのとお腹いっぱいになたので寝た。
ちょっと休憩のつもりで寝ただけであって 、そのままその日じゅう寝るとは思わなかった。
7月16日。
前の日の夕方寝たままずっと寝てしまい、起きたのは次の日の朝10時ご ろだった。
22時間寝たわけだ。
台風は夜中に去ったらしく、暑そうだった。
今日は何 をしよう。
もう戸隠のそばの目的が済んで、もう他の用事は何もない。
とりあえず善 光寺まで歩いた。
そこの近くの五明館という古いレストランでカレーを食べる。
ホワ イトソースの入っているような黄色いカレーで、まあ懐かしいというよりは昔っぽい 味だった。
ツタヤオンラインの古賀さんから電話がきて、7/23更新の携帯サイトへの 日記を今日までに送ってとのことだった。
カレーを食べて、ノートに書いて、それを 携帯のメールで送った。
そのあと、善光寺をぷらぷらした。
善光寺はいつ来ても落ち着く。
途中に出ていた 資料館の絵馬の絵が気になり、資料館に入る。
500円。
この絵はおもしろかった。
ま あいずれ僕のアートに反映されることと思うが、詳しいことは分らないが、すばらし かった。
江戸、明治に信者によってかかれた純粋な信仰の現れだと思うが、観音様か らビーム(視線)が出ていて、見てますよ、みたいなことになっている。
すばらしか った。
また、初めて知ったことが、善光寺は宗派のない寺だそうだ。
基本的には天台 宗らしいのだが、浄土宗のしきたりも行っており、それ以外にも、とにかくすべての 人を受け入れるということらしい。
他にも色んなことを学んだ。
今回は善光寺をよく 知った。
500円の資料館の券は、他に2ケ所入ることができる。
重要文化財の経堂(こ れは建物以外大したことない)、そして本堂の中の回廊まわり。
これは何のことか分らなかったが、すごかった。
本来はこれがメインらしい。
本堂 の中ある、地下の階段をおり、そこからちょっとした廊下をまわるのだが、ここが真 っ暗闇なのである。
本堂の中には本尊が安置されており、それはお参りしている時は 龍の幕が下りていてみえない。
しかし、回廊の中には、その本尊の柱があり、その柱 に鉄の鍵がかかっていて、それを握ると極楽浄土にいける約束をしたことになるとい うのだ。
実はそれは後で人に教えてもらった。
僕は地下の階段に恐る恐る下りたが、 途中から本当に何も、何も見えなくなってしまった。
すると、足も前に進まないのだ 。
右手で壁をずっとなぞりながら進むのだ。
当然そんなとこなので、前も進まず、人 がつっかえ、ぶつかるのだが、それで安心した。
それで、もういつまで続くのかと思 っていると、やっと光のある処にでて、助かったと思った。
そうすると、一緒にいた 人に、鍵に触ったかと聞かれた。
鍵?触らなかった。
それじゃあ意味ないよ、あった じゃんみたいに言われ、そういえばあった気もしたが、もうそれどころじゃなく、ち ゃんと意識して握ってきていないので愕然とした。
なんだ、じゃあただ肝試しただけ じゃん、みたいに思えて、また、極楽も行けないのかと思うとまったく後悔した。
その後、また駅までぶらぶら歩き、電車で適当に近くの街までいった。
長野電鉄と いうローカル線で須坂という駅で下りた。
駅には高校生がたくさんいたが、駅前は死 んでいた。
何もない、ただの田舎町に来てしまった。
そんなことはない、僕はここが いい街だと聞いた記憶があった。
まあいいや、とりあえず、歩こうとしばらくぶらぶ らしたが何も無さそうだった。
それで、クリーニング屋で聞いた。
「この辺に古い街 並とかあります?」おばさんは、変なこと言うわねえ、みたいな感じで見て、ちょっ と分らない、といっていた。
そういえば変な質問だった。
古いと言えばこの辺はどこ も古い。
まあ、気にせずに歩くと、あった。
蔵の街みたいな感じだった。
ところどこ ろにしかないので、町並みとは言えないが、むしろそのほうがリアルだと僕は感じた 。
昭和の初期の街。
今は自然に残っている古い町並みとはこの時代のものだ。
それ以 前の、江戸時代の町並みも全国にあるにはあるのだが、やはりどこかわざとらしいも のはある。
須坂はよかったよ。
僕だけのよさかもしれないが。
そのあと、さらに小布施というところまで、電車で行ってみた。
電車の窓からりん ごや桃など、様々な果物がなっているのが見えて感動だった。
やっぱり少しでも街中 から離れるのはいい。
夕焼けがきれいだった。
ローカル線の駅はどれもかわいかった 。
小布施は栗の街だ。
栗菓子の店がたくさんある。
栗おこわも有名だ。
栗の木テラス というモンブランケーキの店も全国的に有名らしいよ。
僕はケーキの中でモンブラン が一番好きなのだが、それでも条件がふたつあって、上のパスタみたいなやつが、茶 色でなく、黄色なこと、それと、下がスポンジなことだ。
何か下がかたいやつがあっ て、あれはいやだ。
不二屋や、コージーコーナーはいい。
パリジェンヌが一番いい。
街は栗畑がおもしろかった。
栗菓子の店はほとんどしまっていた。
もう六時になろう としていた。
けっきょくそんなところで、またローカル線で長野にもどった。
電車代が600円以 上もするから、ひとつ手前の530円の善光寺下というところでおりることにした。
こ の駅は善光寺から一番近い駅で、だったら駅まで歩ける。
もう今回だけでも善光寺に は何度もいったよ。
そのあと、権堂をぶらぶらした。
ここは一番の繁華街だ。
夜の街だ。
駅前のラーメ ン屋で味噌ラーメンを食べる。
長野はラーメンのことは何も聞かないが、信州は味噌 の有名処なので、その味噌を生かした味噌ラーメンがあるのではないかと期待した。
「味噌や」という店にいってみたがまあ普通だった。
今日はおやきを食べた。
おやきは長野名産の饅頭と言うか、なんというか餅みたいな んだけど、中がカボチャとかニラとか、いろんな山菜がはいっているもので、超好き
と言うわけでもないが、専門店で食べてみたかった。
駅の近くに西沢餅店という処が あったので、そこに行き、色々買った。
あとで思ったのだが、おやきは餃子に近いも のもある。
皮のモチモチ感は餃子そのものだ。
おやきは基本的には冷めている。
でも 、あたためた方がおいしいと僕は思う。
ちょうどその、午前十時ごろ、近くでもくも く煙りが上がっておると思ったら、火事らしく、ヘリコプターがそこの上を旋回して た。
消防車もそこらじゅうで走っていた。
その後、もう一度善光寺に行き、もう一度 昨日触れなかった鍵を触るためにまた500円だして、回廊めぐりをした。
やっぱり触 らなかったのはいやで、なんというか人間て弱いなあと思った。
僕の前にはおばちゃ ん他何人かがいた。
今回は鍵をちゃんと触った。
握った。
よろしく、と言ってきた。
それででると、僕の前にいたおばちゃんたちのうち、一人が暗闇の中でずっと出れな かったらしく、みんなが待っていた。
いやあ、ここは一本道だから迷うはずはないの だが、僕も心配した。
おばちゃんは、というかおばあちゃんだったが、15分くらいし て出てきた。
どこにいたのか、今でも分らない。
そのあと、みそソフトクリームを食べにすや亀という店にいった。
不思議な味だっ た。
味噌だけでも食べたがいつも食べてる味だった。
そのあとまた特にすることなく、街ぶらした。
長野に詳しくなった。
大きな図書館 があり、詩のコーナーに「目を閉じればすべてが見える」を発見。
涙した。
図書館の 向かいに「ハーツ」というカレー屋があり、長野の中では一番アートっぽいことをや っていると思った。
フリーペーパーなどもあり、僕が探しているタイプの店だ。
つま り、地方は独自のアートなりのうごきをするべきて、その中で東京や世界とつながる べきだと思う。
東京から来た情報が少しおくれて伝わり広まるような時代はさっさと おわりにすべきだ。
でないと、けっきょく地方は古いもの以外は尊敬されず、反対に 田舎者よばわりされることになる。
これについてはいつかあらためてまた機会があっ たら語りたいが、独自の色をもったアート的な店にはその街のセンスのある人があつ まるわけで、僕はそれを大切にしていきたいんだ。
そんな中で既成の動きとは別な道 がうまれるんではないでしょうか。
まあメディアで言えばそれもインディーズでくく られるのだろうが。
そのあと権堂、駅周辺をまたぶらぶら。
昨日みつけた栗の木テラスがタリーズの横 にあり、モンブランを作っている風景がガラス越しに見える。
「小林さん」、これは 名札で見たのだが、この人はとても手際がいいし、いい人そうだし、なんか見とれて しまった。
あとすごい緑の抹茶ソフトも食べた。
権堂のとこではへんなペットショップでしばしおやじと喋った。
そしてこの旅の間 中ずっとおもっていたが、やっぱりなっとくのいくそばがもう一度食べたい。
僕は地 元の本とか色々調べて、中でも一番ふとそうな店をみつけ、そこまでまで30分は歩い た。
やっと辿り着いたが、うどんもある店だったので少しがっかりしたが、それでも そばは今回食べたなかでは一番よかった。
でも、ダメだった。
僕は吉祥寺でさえ、こ のそば屋よりおいしい店をしっているよ。
ああ、もういいや。
長野のそばはだめ。
ご めんね、長野人。
でもいいものはいっぱいあるんだよ。
その中のひとつ、栗おこわを 買って新幹線の中で食べ、夜遅く家に帰った。
くりおこわとてもうまかった。
さて、僕の中でのまとめです。
長野で有名なものといえば、みそです。
信州みそ。
そ してりんご。
栗。
そば。
おやきです。
これらはみな、全国的に有名で東京でも普通に 食べることができます。
とくにそばは有名で東京のそばは基本的には長野系だとおも います。
また、りんごもけっこう新鮮なものが東京のスーパーに並んでいて、普通に 買うこともできるし、ほかのそば、みそ、おやきというのは保存食といってもいいほ
ど、日持ちがよく、わざわざ長野に行かなくても食べられるので感動がありませんで した。
おやきも。
店で売られているのはつめたいやつで、あったかいほうがおいしい だろうと思うのですが、基本的にはつめたいまま売るのです。
僕の結論はそんなかん じでした。
長野の名産はメジャーなので東京でも普通にかえる。
そばやみそなどは日 本中が長野にたよってさえいる。
僕の求めているものはそこでしか食べられないもの 、そこで文化として根付いているものなのです。
一方、長野の名産でマイナーなものがあります。
おもに飯田、伊那のほうに多いの ですが、イナゴ、ハチの子、ザザムシといった、これも保存食だけど、いわゆるこの ゲテモノ街道の名産はアングラすぎて逆に敬遠される。
メジャーなものは全国がそこ の味なので感動はないし(みそなどはひもちがいから本場に来た!みたいなかんどう もないし)、マイナーなものは人々がひいてしまうくらいマイナーなものだという両
極端なのが長野だとおもいました。
食べ物でいえばね。
そういば長野は「馬刺し」をよく食べるところらしく、肉屋にはいつも馬刺しの看板 もあるし、たいていは牛、豚、鳥、馬の絵がかかれていました。
善光寺の回廊、ローカル線の畑、戸隠へいくバスからみた雲海、その他、もちろんい い旅でした。
これをまとめて今回の長野の旅はとりあえずおわりにします。
|