キン・シオタニ ヒストリー(製作、ギプススタジオ 協力、本人) 1969年9月12日、東京都杉並区に生まれる。父は商業デザイナー。まもなく小金井 市に引っ越す。カトリック系の幼稚園に入る。彼は現在無宗教の立場をとっているが 、この時に刷り込まれたキリスト教は潜在的に今も影響している。小金井市立第二小 学校、第一中学校に進学。小学時代はサッカー部のキャプテンだったが、中学になっ て、他校からうまい人が入ってくると、やる気をなくし、さぼり出した。中学一年の 時に同級生三人と関西旅行をする。以降、彼の旅人生が始まる。同級生の政岡直人君 を尊敬する。 85年、都立田無高校進学。団体競技に飽き、テニス部に所属。一年の終わり頃から 急にうまくなり、都立高としては快挙といえるシード権を獲得。一方、この頃に精神 的に目覚めたいくつかの出来事があった。休みになると一人旅に出かけた。当てもな い旅で、適当に歩いてはぶらぶらして、飽きたら帰ってくるという旅だった。また、 文学的や音楽的にも目覚めた。文学のヒーローは太宰治で、これには相当な衝撃を受 けた。音楽のヒーローは、イギリスのバンド、デぺッシュ・モード。高3最後のテニ ス選手権で遅刻して不戦敗という、本人いうところの「今までの人生で一番後悔した 日」を経験する。太宰治の魂を求め、北国ばかり旅をするようになる。また、二年の とき、スケボーにはまり、学校もスケボーで行く。 88年、東京国際大学教養学部国際学科に入学。受験科目が英語だけなのでそこを受 けた。ヨーロッパ文化を専攻するが、授業にはほとんど出ず、学校のまわりの入間川 や川越の街を散歩ばかりしていた。この時、後にギプススタジオを設立する芦澤英樹 と知り合う。体育会テニス部に所属するが、大学生活が部活中心になることに疑問を 感じ、19日で退部。行き当たりばったりの毎日。大学時代は色々あったが、ここでは あえて二つだけを言おう。ひとつは本格的な放浪の旅をしたこと。夏になると北海道 、冬になると九州へ一ヶ月くらい行く。主に電車とヒッチハイクだった。駅やバス停 で夜を明かしたことは数知れず、ドングリを食べたこともある。九州の南でコップに 海の水をすくい、その水を北海道の海に流したのは三年の時。様々な人に世話になっ た。その中にはピアニストでMIT教授のマレク・ゼブロウスキもいる。「この場をお 借りして礼を言います。ありがとう(ぺコ!)」。とにかく大学時代は、一年の三分 の一が旅だった。もうひとつの出来事は、大学の教授をしていたクリス・モズデルと の出会いだ。彼はYMO、坂本龍一や山下達郎、アンルイスなどの作詞家ともして知ら れ、当時日本の音楽をほとんど聞かなかったシオタニはそのことを知らなかったが、 センスの良さに惚れ、近付いた。結果、クリスも彼に心を許し、二人の付き合いが始 まる。クリスのことを師匠と慕うシオタニはその後、彼を通して谷川俊太郎や出版界 の人たちと会い、その道に進むようになる。そのころまで、シオタニは通訳か旅行作 家になりたいと思っていた。しかし、クリスに会い、より芸術的な方面向かうように なった。とにかくクリス・モズデルはそうした大きな存在で現実的なヒーローだった 。文学の趣味は太宰治のほかにカミュ、内田百間と続いた。音楽のヒーローはモリッ シー(スミスというイギリスのバンドの中心人物)だった。そういえば、絵もこの頃 (20才)描きはじめた。落書きだった。 92年、大学卒業。就職拒否。お金を使わない日々が始まる。そのくせ旅だけはいつ も行っていた。貧乏旅行だからどこにいようと同じことなのだ。 95年に、芦澤が一緒に何かしようともちかける。芦澤には昔より、西洋と東洋の出 会う国、トルコで日本人街をつくるという計画が会ったが、あきらめた。それで何を やるかで当時シオタニが暇つぶしに描いていた落書きのイラストをポストカードにし て、売ろうときめた。作品のほとんどは小平のミスタードーナツでシオタニ23歳のと きの夕方に描かれたもの。当時、あの「何々な青年」というタイトルにはそれほど意 味はなく、「作品番号1」「作品番号2」とするより作品に個性と愛着を持たせようと 適当につけたのだが、後々それが売りとなる。二人でお金をだしあい、電話を引く。 事務所の名前は「ギプススタジオ」にする。当時シオタニの友人の櫛引政仁がむち打 ちで首に「ギプス」をしており、おかしかったのと、「ギプス」という語感から決め た。5月、商品化したポストカードが青山ブックセンターの総務の網元さんという人 の目にとまり、青山ブックセンター(新宿ルミネ2店)で販売されることになる。7 月8日の英字新聞、毎日ウィークリニュースの一面で彼の作品が記事にされる。その 後、95年が終わるまでには彼の作品を扱う店は原宿現代屋、吉祥寺PIN-UPS,下北沢EX 、など5店鋪になる。現在では100店鋪近い店がキン・シオタニポストカードや関連 グッズを扱ってくれることになるわけだが、とにかくこれが始まりだった。10月、井 の頭公園(吉祥寺)でポストカードを売りはじめる。もともと暇つぶしではじめ、今 では全国で見かけるその現象も当時やっている人はいなかった。 96年、6月。第一作品集「ばかと40人の青年」を鶴書院より刊行。シオタニの父が その出版社と関係があった。ポストカードの青年のイラスト40作品と、それまで発表 するあてもなく書きためていた短い詩をあわせたもの。最初は「ばか!」というタイ トルになるはずだったが、今までにそんなタイトルの本があるかもしれないと思った ので「アリババと40人の盗賊」をもじってそれにする。シオタニ自ら書店をまわって 挨拶に行った。これは今までの生活がただ自転車でぶらぶらして本屋があると立ち読 みをしていたことと大してかわらず、目的がある分楽しかった。8月、「ばかと40人 の青年」が、雑誌「オリーブ」(マガジンハウス)に紹介される。それを知った時、 シオタニは函館にいた。「ばかと40人の青年」はその他、東京新聞などでも紹介され た。それ以降雑誌には色々と出ているのでここにすべてを書くことはできない。 97年、1月。テレビ東京の深夜番組「少年バット」出演。テリー伊東、高城剛の司 会。浅草キッドもいた。めちゃくちゃ緊張する。ソウル歌手、ORITOのシングルCD「 そして僕を愛して」(ビクター)のイラストを担当。9月、第2作品集「想像力の豊 かなひとのための小さな本」をクレオより刊行。雑誌「SWITCH]に紹介される。調布 パルコにてサイン会とライヴペインティング。 98年、1月、98年度新作ポストカード発売。2月。青山のクラブ「MIX」にて初の個 展「KIN SHIOTANI AT MIX」。このころより、作品はエアブラシを取り入れ、「エア ブラシ時代」始まる。5月、吉祥寺SHOP33にて、「吉祥寺をジョ−ジと呼ばないで展 」を行なう。NHK衛生テレビ「真夜中の王国」で紹介される。高校時代の親友、高橋 和博死亡。9月、第三作品集、「だから?」を葉文館出版より刊行。渋谷ブックファ ースト、吉祥寺パルコでサイン会とライヴペインティング。 99年、1月、雑誌「アエラ」に記事でナカムラミツルらと紹介される。新作ポスト カード発売。写真に絵を描く実験作品発表。これ以降「写真に絵を描く時代」始まる 。2月、テレビ東京の深夜番組「クリエイターズ・エレメント」に出演。8月,旅行雑 誌「格安航空券ガイド」(双葉社)の企画で、タイのチェンマイに行き、ナイトバザ ールでポストカードを売る。シオタニ初の海外旅行。ラブサーカスのCD、「約束」の ジャケット担当。吉祥寺の書店「ブックス・ルーエ」のブックカバーのイラスト。10 月、「MIX」にて個展「三千年まであと千年」。11月、オフィシャルWEBサイト「三千 年まであと千年」がキュービックエナジーのサポートでスタート。スペースシャワ ーTVにて、キン・シオタニのイラストを映像化したCMがオンエアされる。12月、第四 作品集「目を閉じればすべてが見える」発売。 2000 1月、「好きになっちゃった沖縄」(双葉社)の仕事で国内未踏の地、沖縄 へ。船で2泊3日。さらに石垣島、竹富島へ。新作ポストカード発表。2月、江東区公 会堂(ティアラこうとう)にて、ラブサーカスのライブでコラボレーション。ファン サイト「綺羅星」が「だから?」を読んでくれていたはなさんによりスタート。後に オフィシャル的な存在へと発展。3月、吉祥寺サンロードのブックスルーエ改装。店 の看板に天使のイラスト。4月、新作Tシャツ。山梨のレストラン「揖(ゆう)」のオ リジナルワインのラベルイラスト。役者、清河寛の手ぬぐいのイラスト。7月、「だ から?」と「目を閉じれば〜」の版元、葉文館出版倒産。7月 青山の「ラスチカス 」と「D-ZONE」で個展を同時開催。大阪の一人の女性が買い占める。9月 shop33で の「吉祥寺をジョ−ジと呼ばないで展」のオープニングパーティーで井の頭公園でゲ リラ的花火大会。橋に人を並べてナイアガラをする。JOKEVOXのCD「ポストモダンタ イムス」のジャケット。渋谷のNEST、CLUB ASIAでイベント。10/7より木版画製作開 始。11月、第2作品集「想像力の〜」(クレオ)が増刷。亀戸で江東区に招かれ「キ ンシオゼミ」開講。イギリス人のファッションデザイナー、クリストファー・ネメス 氏と雑誌で対談。
2001 1月、各駅停車で鹿児島まで旅行。2月、新作ポストカード発表。テレビ朝日「 トゥナイト2」でキン・シオタニの活動が特集される。学芸大学の「バーデンバーデ ン」にて初の版画展「ロオテク」。3月、青山OJASのイベントで初のポエトリーリー ディング。ゲストにギン・シオタニ氏(として芸人のケッチ!)。4月、新作Tシャツ 発表。5月、テレビ東京「ナビゲーター21」で彼の活動を紹介。亀戸「サンストリー ト」にて、「無気力爆発」展。6月、第5作品集「無気力爆発」(光進社)が発売。ブ ックス・ルーエでサイン会。7月、池袋ROSA INにて劇団第14帝国のイベントにゲスト 出演。フジロックフェスティバルでイギリスのバンド、エコー&ザ・バニーメンのイ アン・マッカロク氏と雑誌で対談。8月、長岡で花火を見てそのまま北海道旅行。9月 、高円寺「マチェック」で個展。第6作品集「空中散歩」(廣済堂出版)刊行。実験 を続けていた「写真+絵」の初の作品集。ブックスルーエでサイン会。10月、限定腕 時計発表。携帯ストラップなども発売。11月、パルコ吉祥寺のイベントで初めて客の 似顔絵に挑戦。月刊プレイボーイ(集英社)初めて女の絵を発表。TSUTAYA onlineで 携帯電話のキンシオ待受画面のサービス開始。12月、ブックスルーエが作品展示スペ ースを設置。そのこけら落としに個展「輝ける12人の恍惚と憂鬱」。
2002年 1月、香川にうどんを食べに行く。2月、バーデンバーデンで「少女展」を 行う。個展で女を書いたのはこれがはじめて。 3月、通産7冊目の作品集「生まれた ついでに生きる」がマガジンハウスより刊行。それまでに発表した全ポストカード作 品と、4万字に及ぶ「早すぎた自伝」を収録。ブックスルーエで3月22日にサイン会。 マガジンハウスからの出版は芸術活動を初めてからの念願であった。絶版となってい たデビュー作「ばかと40人の青年」がブッキングより復刊。 5月、下北沢の「add cafe」にて「生まれたついでに生きる」展。8月、北海道旅行。帰りに岩手県花巻の 古着屋「コールタール」のフィッティングルームに壁画。9月、自動車運転免許取得 。ポストカード、ロフトで販売開始。10月、岡山の「サウダーヂな夜」で個展。東京 以外で初。以前、1月の旅の途中でたまたま寄った店で個展とは(偶然にも店員は読 者だったことが後に判明)。車を購入。もちろん初。カローラワゴン、63万。11月、 札幌の「カフェギャラリー・マーブル」で個展。レンタカーでドライブ、富良野が雪 でピンチに遭遇。12月、亀戸「サンストリート」で個展。毎日車で通う。パーカー、 カレンダー発表。
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