はじめに
文部省が推進してきた”ゆとり"教育の惨禍は目もあてられないものがある。
新指導要領では、小中学校の完全週休二日制に合わせて、学習内容をさらに三割程度減らす計画になっている。
すでに、『分数ができない大学生』(岡部恒治ほか著、東洋経済新報社、一九九九年)等が続出し、日本の数学教育は崩壊している。このうえまた、念を押して崩壊を完全にしたいというのだろうか。
資源が少ない日本がともかくも生きていくためには、特に優秀な労働者、技術者、経営者を育成するしかない。
科学技術の根本が数学であることは勿論である。
が、労働者も経営者も、最新の技術に追いつき、使いこなすためには、数学を自由自在にしておく必要がある。最近の企業経営や金融システムでも、数学を身につけておかないことには近寄りがたい。危機管理もおぼつかない。
日本に数学を復活させるためにはどうしたらよいのか?あなた自身がマセマティシャン(mathematician)になることである。
なんて言ったら、大概の人は、あっと驚くであろう。
でも、「マセマティシャン」とは、数学者という意味だけではないのです。
「数学好きの人」という意味もあるのです。
数学が好きになって、縦横無尽に使いこなせるようになればよい。
数学ができないと二一世紀の日本は真っ暗になると絶叫し、"政府や当局を叱喧激励"して、世の中を数学に向かわせればよい。
数学教育を本当に改革すればよい。
いや、あなた自身が未だ教育を受けている身だったら?数学が好きになるだけで、大変な収 穫でしょう。
では、どうすれば数学が好きになれるかって?この本がその答えである。
もし"数覚"(数学的真理を感得する知覚)があれば、数学者になっていることであろう。
数学の論理が分かれば、経済学の名人になって日本経済の指導ができる。
そんなことが可能かって?不可能に見えることを可能にするために、著者は苦心惨塘した。
天佑神助を期待した。
数学は神の教え(神の論理)である。
なんて言えば、仰天することであろう。
だが、"歴史の神秘"を見抜けば理解できるに違いない。
数学が成長して諸科学の根本になれたのは、ギリシャの形式論理学と結合したからである。
が、形式論理学の堅苦しさは、人を後込みさせた。
人の後込みを押し切ったのが、イスラエルの神であった。
イスラエルの神は、唯一絶対の人格神である。
この神にとって、いちばん大切なことは、神が存在することを人に知らせることである。
神の存在問題がギリシャ数学が解決できなかった解法
の存在問題へと収束していくことによって、数学の論理は成立した。
なんて言ってしまえば、些かややこしい。
が、第!章の歴史的説明をお読みいただければ、必ず納得できる。
第2章は、アリストテレスの形式論理学のエッセンスを説明する。
なんていうと、これまた難しいと思うかもしれないが、そうではない。
そのエッセンスは、実は簡単明瞭。
三秒でも三〇秒でも、一見して理解できる(八四〜八七 頁を見よ)。
でも、もしも理解できないと困るので、繰り返して説明したので、少々長くなった。
が、ギリシャ人も、教育とは反復である、と言っているではないか。神髄は一〇〇頁の囲みにまとまっている。
数学の論理とは、これほど明快なことだということが分かれば、きつと数学が好きになることと思う。
第3章の「数学と近代資本主義」では、資本主義の所有とは、その他の諸経済(封建制など)にはない、その本質であることを説く。
とは言っても、要点は、所有は絶対的であり、かつ抽象的である、ということにつきる。
これだけのことであるが、特に、偉い役人には徹底的に理解してもらわないと困る。
高級官僚が理解不足だと、資本主義は滅びる。
根本的理解のために、古今東西の歴史から多くの例を引いてきたが、煩いと思う人は幸いである。頭が滅法によい証拠だから。
第4章は、数学とは絶大な威力があるんだとのデモンストレーションである。
数式なんか振り切ってしまっても、裸の論理だけでも数学はこれほど使えるのだ。
数学が好きになるための念押しである。
第5章は、ほんの少々の数式で威力は格段に増すので、特に経済学の極意が、あっという間に理解できるはずです。
方程式と恒等式の判別が正しくできる。
これだけのことで難解無比とされているケインズ理論と古典派理論が正確に理解できる。
予備知識としては中学生程度でもよいのだが、それすら忘れてしまったという人のために、あっさりと解説しておきました。
この本は、数学大好き1という東洋経済新報社社長・浅野純次氏と、常務取締役・星加泰氏の熱意が実って出来ました。
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