沈まぬ太陽 一 アフリカ編 上
 
  広大なアフリカのサバンナで、巨象に狙いをさだめ、猟銃を構える一人の男がいた。恩地元、日本を代表する企業・国民航空社員。エリートとして将来を嘱望されながら、中近東からアフリカヘと、内規を無視した「流刑」に耐える口々は十年に及ぼうとしていた。人命をあずかる企業の非情、その不条理に不屈の闘いを挑んだ男の運命。人間の真実を問う壮大なドラマが、いま幕を開ける!  
著者
山崎豊子
出版社
新潮文庫/新潮社
定価
本体価格 590円+税
第一刷発行
2001/12/1
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ISBN4−10−110426−3

第一章アフリカ


濃厚なブルーの空に、雪山のような雲が動き、果てしない草原に、灼けつく太陽の陽炎が波打っている。
視界を遮る何ものもない。

恩地元は猟銃を携え、四輪駆動のランドクルーザーのハンドルを握って、ナイロビから東南三百四十キロのボイに向っていた。
草原の真ん中に、一筋通った簡易舗装の道路は、亀裂が無数に走り、少しの油断でも、車が横転してしまうから、神経が張り詰める。

突然、前方に褐色の煙がたつように見えた。
砂嵐が巻き起ったのだった。

恩地は車の速度をゆるめて、砂嵐をやり過してから、再び、時速百キロで走った。
眼前に真っすぐ延びる道路は、遥か地平線にまで延び、地面の盛り上ったところが

道路の果てかと思って行きつくと、そこは果てではなく、さらに起伏をもちながら延びている。
キリマンジャロ山の側峰が見えるあたりになると、草原の両側には、キリン、インパラ、縞馬などの野生動物が草を喰み、ところどころに、枝を大きく広げたアフリカ・アカシアに、ハタオリ鳥やムク鳥が群をなして、飛び交っている。

ナイロビを正午過ぎに出発して、ボイの狩猟区へは遅くとも午後四時までに入らなければ、今日の目的である象撃ちはできない。
恩地は、重いハンドルをぐいと握り直した。

地面の土が茶褐色から、次第に赤く変り、サバンナの緑が際だつようになった。
ツァボ地域のボイ狩猟区に入ったのだった。

恩地は監理事務所で車を停め、狩猟予約証明書を示し、備えつけの書類に名前と、時刻を記した。
午後四時十分、極力、飛ばしたつもりでも、予定した時刻より遅い。

「そいつは?」監理官が、ランドクルーザーの助手席に坐ったままの現地人のムティソを顎でしゃくった。
恩地が自分のサーバントであると伝えると、許可のスタンプを捺した。

「ブワナ(旦那)、ンドウフ(象)は撃てそうかね」
恩地の社宅の庭番兼ハンターの雑用係で、いつも連れて来ているムティソが、よく利く眼を、早くも周囲に向けはじめた。

背丈まで伸びた灌木帯には、象の道が網目のようについているが、車で探すから、なるべく太い象道を、ゆっくりときき耳をたてて辿って行く。
「足跡がありますぜ」ムティソが、灌木が踏みしだかれているところを指した。

下枝が折れ、草が地面にめり込んでいる。
確かに象が通り過ぎた様子があり、まだ、時間はそう経っていないようであった。

「ムティソ、あの岩山へ登って探すぞ」
広大なブッシュには、ところどころに岩山があり、象の居場所を探すには、恰好の場所であった。

車を岩山の近くまで着け、周りにアフリカ・バッファローや毒蛇が潜んでいないか、慎重に見定めてから、まずムティソが敏捷な足どりで登り、続いて恩地が猟銃を手に登った。
風がそれほどあるわけでもないのに、岩山に登ると、眼下のブッシュからとも、空からともなく、風音が聞える。