イチローUSA語録
 
  大リーグ挑戦一年目にして首位打者等のタイトルを獲得、MVP、新人王にも輝いたイチロー。アメリカでは、寡黙な彼がみずからの野球について語った一言一言を、「サムライ・プレイヤー」の深遠な言葉として受け取る人も多かった。そんな、アメリカの新聞、雑誌等に掲載された彼のコメントを、マリナーズの本拠地シアトル在住の作家が丹念に拾い集めたイチロー語録。日本では知られていない意外な一言も多い。日米二ヶ国語で同時収録。大活躍した二〇〇一年シーズンの全記録付き。  
著者
デイヴィット・シールズ
出版社
集英社新書/集英社
定価
本体価格 660円+税
第一刷発行
2001/12/19
ご注文
ISBN4−08−720123−6

はじめに

わたしはケーブル・テレビを引くべきかどうかでひと春悩みつづけた。
八歳になる娘のナタリーをアニメ漬けにしたくなかったからである。
だがすばらしいスタートを切ったシアトル・マリナーズの試合も見たかった。

圧倒的に勝ち試合が多いだけでなく、(マリナーズにとっては)まったく新しい、みごとなチーム・べースボールを展開しつつあった。
スリーラン・ホームランよりは犠牲バントというのがマリナーズの野球だった。
わたしはケーブル・テレビ会社に電話をかけて、パッケージの見積りを出させ、二度まで取付け工事の日取りを決めたが、結局二度ともキャンセルした。

シーズン開幕から一〇日たったころ、わたしはラジオでオークランド・アスレチックス対マリナーズ戦の実況を聞いていた。
何イニング目かに入るともう矢も楯もたまらなくなって、酒も飲まないのに角をまがったところにあるスポーツ・バーに駆けこんだ。
アスレチックスのテレンス・ロングが一塁にいた。

つぎのバッターがライトにシングル・ヒットを打ち、ロングがファーストからサードまで進もうとしたとき(比較的当り前の試みだ)、マリナーズの右翼手イチロー・スズキーメジャーリーグ第一号の日本人野手で、マドンナやシェールやペレと同じようにファースト・ネームだけで知られている─が、ライトの真ん中から三塁手に低い矢のような送球をして、楽々とアウトにした。
店内は歓声で沸きかえり、アナウンサーは熱狂し、わたしは一〇年に二度ぐらいしか経験しない背筋がぞくぞくするような感覚に襲われた。

それから二四時間は、試合後のテレビ番組でも、ラジオのスポーツ・トーク番組でも、翌日の試合前のテレビ番組でも、誰もが"あの送球"ばかりを話題にした。
数人の選手、コーチ、アナウンサーなどが、あんな神業のような送球は後にも先にも初めて見たと語った。
「まるで大砲の弾だった。速くて力強かった」

「イチローがサード・べースにコインを投げたかと思ったよ」
「まるでレーザー・ビームだった」
「あれは『スター・ウォーズ』の一場面だよ」

テレンス・ロングでさえつぎのように語っていた。
「おれをアウトにするには完壁な送球が必要だった、ところがあれはまさに完壁な送球だったんだ」
説明を求められて、イチローは答えている。

「打球がまっすぐぼくに向かって飛んできた。ぼくがアウトにしようとしているのに彼はなぜ走ったんだろう?」
その週末にはケーブル・テレビが入った。
来る日も来る日もダイヤモンドでは同じシナリオが演じられることになる。

イチローはグラウンドで超人的な離れ業人間業とも思えない送球や捕球や盗塁やヒット等を演じ、あとでそれについて質問されると、彼の答ときたら…驚くほかはない。
そのプレーを問題にもしないか、否定するか、異を唱えるか、前提から否定してかかるか、あるいは他人の手柄にしてしまう。
ケーブル・テレビが入ったところで、今度は定期購読の新聞を《シアトル・タイムズ》一紙からもう一紙ふやして、《シアトル・ポスト=インテリジェンサー》もとることにした。

毎朝待ちきれずにベッドから起きだし、朝食をとってナタリーのお弁当を作る間に(その間彼女はアニメを見ている)、イチローが前夜のプレーについて今日語ったことを読んだ。
彼はわたしがこれまで見慣れているスポーツマンたちのようには自慢しなかったし、かりに自慢したとしても、偏らない事実を淡々と述べるその口調は新鮮で覇々としていた。
これはほめすぎだったろうか?

わたしはすぐれた運動能力にすぎないものに哲学的な意味を与えようとしていただろうか?
日本語から英語に訳される過程で、言葉が詩的な美しさを獲得したのだろうか?
通訳たちがイチローのありふれた言葉を心に残る警句に変貌させてしまったのだろうか?

これは異文化伝達の問題であって、わたしたち西欧人の耳には禅の公案のようにきこえるものが、イチローにとっては自明の真理であり、唯一可能な意志表示にすぎ
ないのだろうか?

わたしはそれを徹底的に分析することもできるが、そうはしたくない。
そのかわりに数分の時間を割いてイチローの発言と言外の意味を読むことを読者に勧めたい。
みなさんもわたしと同じように、それによって刺激され、鼓舞されることを祈る。

デイヴィッド・シールズ

シアトル、二〇〇一年

01/4/12 AP通信

01/4/11、12 KIRO局のマリナーズ番組