ぼくの心をなおしてください
 
  躁うつ病に苦しむ人気作家がベテラン精神外科医の門を叩く!「トホホ・・・・」の気持ちと、うまく付き合うための51の特効薬  
著者
原田宗則 町沢静夫
出版社
幻冬舎
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2002/1/10
ご注文
ISBN4−344−00145−1

 

■目次
第1章 ぼくの「うつ病」をなおしてください;第2章 「心の病」にはこんな症状と原因がある;第3章 「心の病」を持つ人とどうつきあうか;第4章 「心の病」の治療法とは?;第5章 もっと楽に生きよう

■要旨
躁うつ病に苦しむ人気作家がベテラン精神科医の門をたたく!「トホホ…」の気持ちと、うまく付き合うための51の特効薬。


プロローグ

本書の効能にかえて

自分がそうなってみてから初めて知ったのだが、ぼくの身辺だけに限ってみても、実はうつの病に悩む入の数は、驚くほど多い。
何しろ目に見えない病であるし、自ら進んでそれを告白するのもどうかと思えるものであるから、取り立てて隠すつもりはなくても、皆こっそりと控えめに悩んでいたらしい。

ところがぼく自身が明らかに病的なうつ状態に陥り、通院、投薬の必要に迫られて、仕事も休みがちになってくると、身辺にいた何人もの人たちが、「実は私も今、抗うつ剤を服用してるんです」
「実は僕も二、三年前ひどい状態になりまして」

「実はうちの父がうつでして、一緒に飼犬のペスまで犬小屋に引きこもりがちで」などと次々に打ち明けるようになった。
そこには何やら"踏み絵"を踏んでしまった隠れキリシタン同士が手を取り合うような、やや後ろめたい連帯感が感じられた。

病気なのだから、それを後ろめたく思う必要はあるまいッ、と力強く言う人は、おそらくうつなんかとは無縁の、まことに健全な精神の持主なのであろう。
彼らは「後ろめたさ」そのものが、うつの症状のひとつであることを知らない。

後ろめたく思う必要なんてないことは百も承知だが、どうしても後ろめたく感じてしまうのがうつなのだ。
思わないように努めることはできても、感じないようにすることはできない。

この如何ともしがたい後ろめたい感じが、うつという病の周辺には常にまとわりついていて、それがために誰かに打ち明けることを妨げ、病院の敷居を高くし、薬の服用をためらわせているのだ。
ぼく自身の場合も例外ではなく、「何だか調子がヘンだなあ」とか「どうしてこうもだるいんだろう」などと変調を自覚しながらも、ひどく後ろめたい感じがあって、女房や親しい友人に対してすら、なかなか打ち明けることができなかった。

もちろん自分自身の中にも、「認めたくなあい!」という強い思いがあって、何とかその後ろめたい感じをごまかそうとしていたふしもある。
後ろめたい感じが妨けとなって、誰にも打ち明けられず、病院へも行かず、ただ一人で悶々と悩むーうつに限らず、大抵の精神の病は、そんなふうにして始まるのだろう。

そして一人で悩んだからといって病が快方へ向かうはずもなく、時間を追うごとに後ろめたい感じは次第に膨れ上かってきて、やがては仕事や日常生活にも支障をきたすほどに悪化してしまう。
少くともぼくの場合は、そんなふうだった。

自分以外の誰にも分からない後ろめたい感じが、胸の裡に膨れ上がっていくのを必死で堪えながら、「ほおら、こないだこんなに面白いことがあったんですう!」という内容の滑稽なエッセイを書く─―仕事とはいえ、これほど辛いことはなかった。

読者も友入も家族も皆が、ぼくに対して「面白さ」を求めてくる。
ところが肝心のぼく自身は、何を書いてもどんなことをしても、一向に面白くない。

何もかもがつまらなくて、虚しくて、やりきれなかった。
本当はサッと身を退いて休筆してしまうか、その時の気分に見合うような陰々滅々とした小説でも書いて、「欝文学」という誰も読みたくない分野を開拓したりすればよかったのかもしれないが、やっぱり後ろめたくて、そんなふうに開き直れなかった。

だから必死になって一日中自らを煽り立て、何かの拍子に後ろめたい感じが鳴りをひそめる束の間に、大慌てで滑稽な文章を書いたりしていたのだ。
誰が言ったかは忘れたが「哀しみがなければユーモアは成立しない」などという言葉があるくらいだから、この時期に書いた文章の中には、さぞたっぶりとユーモアがあふれていたことだろう。

しかしながら自分の外側でユーモアを成立させればさせるほど、ぼくの内側にはそのもととなる「哀しみ」ばかりが堆積していった。
振り返ってみると、この時期が一番辛かったように思う。

もちろんさらに症状が悪化して、三日も四日もベッドから起き上がれずにただじっと横になっているだけの状態に陥ったのも辛かったが、それ以上にうつの初期はキツかった。
何しろ後ろめたくて誰にも相談できず、病院にも行かないから自分が「うつ病」であるとも分からずに、どうしてこんなにも虚しくて遣り切れないのだろうと一人悶々と悩みながらも、締め切りに迫られて面白可笑しい文章を書かなければならないのだ─―それは燠火の上に裸足で乗って二年も三年も馬鹿踊りを踊り続けるようなものであった。

ずいぶんと長い間、ぼくはそういうつまらない我慢をし続けてしまった。
おそらくその我慢のせいで、ぼくのうつは深く静かにしかも着実に悪化してしまったのだと思う。(本文より引用)