小説作法
 
  良い文章を書く秘訣! その生い立ち、ベストセラー作家として成功する秘訣、文章極意、小説の大事な三つの要素等々、キング20年ぶりの書き下ろしノンフィクション。小説家として学んだすべてのことを伝えたい。  
著者
スティーブン・キング
出版社
アーティスト・ハウス
定価
本体価格 1600円+税
第一刷発行
2001/10/31
ご注文
ISBN4−901142−67−4

前書き

その一

一九九〇年代のはじめ、私はメンバーのほぼ全員が物書きを本業とするロックバンドに参加した。
たしか九二年だったと思うが、すっかり夢中だったので、よく憶えていない。

ロック・ボトム・リメインダーズの生みの親は、サンフランシスコのさる出版社で広報を担当し、自身、楽器をよくするキャシ・カーメン・ゴールドマークで、編成は、リードギターのデイヴ・バリー、べ一スのリドリー・ピアスン、キーボードのバーバラ・キングソルヴァー、マンドリンのロバート・フルガム。

私はリズムギターを受け持った。
これにデキシー・カップスもどきの女声トリオが加わって、たいていは、キャシとタッド・バーティムスに、エイミ・タンという顔触れだった。

もともとは一回こっきりの企てで、ABC、アメリ力小売り書店協会年次大会の余興にニステージ演奏し、物笑いの種になって失われた青春の数時間を取り戻せば、あとは解散の予定だった。
ところが、やってみると大いに愉快で、解散するのはいかにも惜しかった。
その上、玄人はだしのサックスとドラムスが新たに加わり、さらには、私たちがブルースロックの教祖と仰ぐ本職のアル・クーパーが芯となって、結成してまだ日も浅いこのグループは実にいい音がした。

金を取って人前で演奏できる腕前である。
U2や、Eストリート…バンド並みとまではいかないが、その昔、あちこちの街道沿いに店を構えていたナイトクラブ、いわゆるロードハウスのお抱えバンドに引けを取らない程度の演奏料は取れる。

私たちはどさ回りをして、そのことを本に書いた。私の妻は写真を撮り、気が向けば踊ったが、これがまた、ほとんど毎度のことだった。
こうして、ある時はリメインダーズを名乗り、またある時はレイモンド・バーズ・レッグズと銘打って、グループは今も続いている。

メンバーには出入りがあって、キーボードはバーバラからコラムニストのミッチ・アルボムに変り、アルはキャシと馬が合わずにグループを去ったが、おもだった顔触れは、キャシ、エイミ、リドリー、デイヴ、ミッチ・アルボム、私、それに、ドラムスのジョッシュ・ケリー、サックスのエラズモ・パオロ、と以前のままである。

私たちが演奏を楽しんでいることはもちろんだが、それに劣らず、気の置けない仲間意識がグループを支えている。
息の合う同士だし、折に触れて仕事の話をするのも楽しふのうちである。

何かにつけて読者から、止めないように言われている本業について話し合う機会があるのは有り難い。
もっとも、我々物書きは、どこから発想を得るか、お互いに尋ねたりはしない。

答えようもないことはわかりきっているからだ。
ある時、マイアミ・ビーチで演奏を控えて中華料理を囲んだ際、私はエイミ・タンに、作家ならたいていは経験する講演後の質疑応答で、一度として出たことのない質問があるかどうか尋ねてみた。
著者を間近に見て陶然としている大勢のファンを前に、人並みに片脚ずつズボンを穿くようなことは
ないふりを装っている時、答に窮する質問を受けたことがあるかどうか、私は知りたかった。
エイミはとっくりと思案してから言った。

「言葉について、誰も訊こうとしないわね」私はエイミのこの一言に測り知れないほど多くを負っている。
実は、前々から小説作法の本を書きたいと思っていたが、自分の動機に確信が持てず、二の足を踏んでいたのである。

小説作法の本を構想するにいたった理由は何か?書くに価するものがある、と自分から思うようになったのは何故だろうか?単純な答は、私のように小説をたくさん書いている作家はこの仕事について、多少は語るに足る素材があるだろうということだ。
しかし、単純な答が常に正しいとは限らない。力ーネル・サンダーズはフライドチキンを山のように売ったけれど、フライドチキンの作り方は、誰も知りたがっていないと思う。

私がおこがましくも小説作法を人に語るなら、世俗的な成功だけではない、もっときちんとした動機がなくてはならない。
別の言い方をすれば、本書のように短いものではあっても、内容に乏しい、まったくの無駄話で終る談義なら、私は書きたくなかった。
ただでさえ、文章論や作家の手記は世に溢れているから、今さら私が何を書くこともない。

だが、エイミは正しかった。
言葉については誰も訊こうとしない。

ドン・デリロ、ジョン・アップダイク、ウィリアム・スタイロンの文学となると人は何やかや盛んに質問するが、大衆作家にその種の質問を向けることはない。
しかし、我々三文文士の多くもまた、およばずながら言葉を磨き、物語を紡ぎ出す筆力と技芸の鍛練に努めている。