ジェニィ
 
  突然真っ白な猫になってしまったピーター少年は、大好きなばあやに、冷たい雨のそぼ降るロンドンの町へ放り出された。無情な人間たちに追われ、意地悪なボス猫にいじめられでも、やさしい雌猫ジェニィとめぐり会って、二匹の猫は恋と冒険の旅に出発した。猫好きな著者ギャリコが、一匹の雌猫に永遠の女性の姿を託して、猫好きな読者たちに贈る、すてきな大人の童話。  
著者
ポール・ギャリコ
出版社
新潮文庫/新潮社
定価
本体価格 629円+税
第一刷発行
1979/7/25
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ISBN4−10−216801−X

発端

ピーターはどうも自分は事故にあって、ひどい怪我をしたのにちがいないと思った。
スコットランド生れのばあやのそばにいたら、大丈夫だったのだけれど、広場の公園の柵のそばで、かわいらしい子猫が初春の日射しを浴びながら身づくろいしていたので、道路を渡ってその公園まで駆けて行こうと、ばあやのそばからぱッと飛び出してしまってからのことは、あまりよく覚えていない。

その子猫を抱いて撫でてやりたいと思ったわけなのだが、ばあやが金切り声をあげたとたんに、何かがすごい勢いでどすんとぶつかり、そのあとは、陽が落ちてあたりが真っ暗になり、昼が夜に変ってしまったような気がした。
体のどこかがずきずき痛むようである。いつかフットボールを追いかけて砂利山のそばまで駆け出し、そこでころんで、むこうずねの皮をすっかりすりむいたときとおなじ痛さである。

ぼくは今ベッドにはいっているようである。
ばあやがそばにいて、妙なのぞき方でぼくをのぞいている。つまり、はじめのうち、ばあやはぼくのすぐそばにいた。
そばもそばも、いつもは雛のよったピンク色の顔色をしていたのに、そうではなくて、何という真っ青な顔をしているのだろうと、はっきり見えるくらいそばにいた。

かと思うとこんどはその顔が望遠鏡を逆にのぞいているように、遠くにかすんでいって、とても小さく見えるといった具合である。
父も母も来ていない。そんなことにピーターは驚きはしなかった。
父は陸軍の大佐である。

母はいつもせわしなくおしゃれしながら、ぼくをばあやにまかせっぱなしにして、外出しないではいられないたちだからである。
ピーターはこれほどばあやが好きでなかったら、ばあやに腹を立てていたかもしれない。
なぜかといえば、ぼくはもう八歳になっているのだから、そのぼくをまるで赤ん坊のように扱うばあやなんか、いらないはずだということがわかっているからである。

それをまるで、自分の身のまわりの始末さえできない小さな子供のように、いつまでたっても手をひいて歩きまわりたがっているんだから、困ったものである。
しかし今はもう母が忙しがって、ぼくの面倒をみてくれないのには慣れっこになってしまった。
いつも家にいて、夜になるとぼくが寝つくまで、そばについていてくれないことにも慣れっこになってしまった。

母はばあやが自分の代りをしてくれることに、ますます頼りきってしまい、いつかも父がブラウン大佐というのだが一もうそろそろばあやにひまをやっていいころじゃないか、と言い出してみたのだが、母はばあやを帰らせることなど考えても耐えられないと言ったので、もちろんばあやはそのまま家に居ついてしまった
わけである。

もしぼくが今ベツドについているのだとしたら、たぶんぼくは病気なのだろう。
もしぼくが病気なのだとしたら、たぶん母も帰って来てそのことを知ったら、いつもよりはよけいぼくのそばにいてくれるにちがいない。
そしてひょっとしたら、ずっと前からのぼくの願いをかなえて、ぼくだけの猫を部屋の中に飼うことを許してくれるかもしれない。

その猫はぼくのベッドの足もとで体を丸めて眠り、寒い夜だったら、たぶんふとんの中にもぐりこんで来て、ぼくの腕の中に寄りそって来ることだろう。ピーターはものごころがついてからずっと猫を飼いたいと思っていた。最初の記憶は今からずいぶん前のことであるが、四歳になったころ、ジェラーズ・クロス近くのある農園に連れて行かれて泊ったことがあった。
そのとき台所に案内され、白とダイダイ色のうぶ毛の玉のような、子猫のいっぱいはいった籠を見せられたのである。

ショウガ色の母親猫はいかにも誇らしげに相好をくずし、一匹ずつ、つぎつぎに舌で子猫の体じゅうをなめてやっていた。
ピーターはその猫に触ってもいいと言われた。

母親猫はやわらかくて暖かく、体の中に何だか奇妙な、どきどき脈打つような音をさせた。あとで知ったのだが、それは猫がのどをごろごろ鳴らす音で、悦にいって満足していることを示すのだそうである。
そのとき以来ピーターはどうしても自分の猫をほしいと思った。