僕は結婚しない
 
  僕、34歳、建築家 付き合っているけど、結婚はしない 石原慎太郎が現代の『愛』と『性』 を問う問題作 ヨットでの事故、女との濃密な一夜、売春シンジケイトを巡る犯罪、美少女の告白・・・・息もつかせぬ展開の中で描かれる、結婚しない若者の風俗、恋愛観、セックス・・・・  
著者
石原慎太郎
出版社
文藝春秋
定価
本体価格 1333円+税
第一刷発行
2001/9/30
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ISBN4−16−320380−X

─ 結婚は、ほとんどすべての人々が歓迎する不幸である─
メナンドロス


梅雨が始まる前のもう夏を感じさせる陽射しが、強くはあってもさわやかに照りつける多分一年で一番いい日和の土曜日だった。
前の晩六本木で武井と落ち合い、中野が気をもたせて連れてきたどこかのOLたちをからかったが、あんまりぞっとせずに武井といいあわせて店から逃げた。

実際のところ僕たちはいったいどれくらいの間男と女のくせに、しょせんセクスの前戯のはずなのに、手も握らず体もくっつけずにがさつに跳ね回る踊りに飽きずにきたもんだ。
僕が勤めている設計事務所の主宰者の叔父貴は器用にジルバを踊るが、眺めていてあれはなかなかイキなものだ。

もっとも夫婦してのことで、若い相手ではああはいかないだろう。
僕も手ほどきを受けてかなりこなせるようにはなったが、つき合ってる限りの女たちじゃ相手にならない。

帰り道に武井がひさしぶりに海を見たいななんていうもんだから、それじゃ明日は天気もよさそうだし逗子のマリーナに預けてある兄貴のデイセーラーにでも乗るかということで朝起きしてやってきたら、例によって整備が悪くてマストを支える肝心のワイアステイが腐食して切れかかっていた。

ワイアを取り寄せて直るのは昼すぎになると管理人がいうので、仕方なしに堤防の上で上半分裸になり、車から取り出した将棋をさし始めた。
結局のところ二人でいながらの暇つぶしはいつも将棋になっちまう。

腕のほどは二人とも素人にすればまあかなりのところだが、不思議なくらいいつも互角でどっちが急にどっちかを抜いて進歩ということがない。
片方が密かに新しい棋譜を仕入れてきて一度それで負けはしても次にはこっちもものにしてしまって、何度かそんなことをし合っていたがその内に飽きてしまい、この頃ではなれ合いでもたれかかって適当にさしているだけだ。

一局終わったら、「しかしまあ、こんないい天気なのにこんなとこでまた将棋かねえ」僕がいおうとしたことをあいつの方が先にいった。
「進歩ねえわな。でもいいじゃないかよ」

「どうして、いいんだ?」
「なまじ結婚してて、あの浜口みたいに子供がもう二人もいてみろよ、今ごろ女房と子供たちを抱いて海岸をお散歩てえとこだぜ」
「あいつんちは確か鵠沼だったよな。大学時代、あいつの家に泊まって家の前の海岸で悪いことしたことがある。後になってクラス会で紹介されて気づいたら、そん時の相手が川手の女房になってんのさ。世の中狭いよな、まったく」

なんのつもりか独り言みたいにいいながら武井はまた駒を並べ出した。
戦局半ばの頃、釣竿をかついで子供を連れた男が堤防の上をやってきて立ち止まり二人の将棋を覗きこんだ。
こいつもよほど暇なのかと思って見上げたら、「あんたらなかなかやるねえ。その陽動振り飛車は谷川がこの前やってみせたん だよなあ」いわれて武井も相手を見上げて、「あなたも詳しいですね。

このあと勝った方と一局どうです」
「いや、私はいちおう級はもらってるが、あんたらにはかなわないだろうな。それに今日はこれよ」
手にした竿をかかげて、「今ここらは大きなアジが寄ってるんだよね」

「晩のおかずですか?」皮肉ともとらずに、「そう、自給自足。健全な家庭生活よ」そのまま子供を促して堤防の先の方へ歩いていってしまった。
「いいねえ、多趣味でいらして。将棋に釣り、あの分だと夕飯の後は家の近くで家族してカラオケということですかね」
「でも家庭のために趣味活用ってのはやはり美談なんじゃないの」

「なら俺たちも午後は船の上から釣糸でもたらすか」
「うちの親は魚嫌いでね」
「なら、帰りに寿司仙に寄って獲物を下ろさせてさ」

「今夜も二人でさしつさされつかよ。あんまり変化ねえなあ」
「退屈か?」
「ということでもねえが、ま、やっぱりそういうことなのかな。なんかこう、この頃やや惰性という感じがしないでもないわなあ」
「人生に変化をお求めになるなら、もうそろそろ結婚ということでしょうよ」

「そういえばこの前の小学部の同窓会、お前はバンコックにいっててこなかったけど、眺めなおしてみたら九割は結婚してるんだよな。それでもその中の三割が離婚。俺のクラスじゃまだヒトリモンは俺と高見と藤林、そんなとこだったよ」武井がいった。
「俺のクラスも同じようなもんだろうな」
「俺の誕生日は九月、お前は十一月だっけ。お互いに今年がキリということだろう」