ふぐママ
 
  「あんた、女優やめなさい!」 育ての親、ふぐママがムロイに叫んだ! おばけを見る、警察につかまる、よく泣き、熱く語る。  
著者
室井滋
出版社
講談社
定価
本体価格 1280円+税
第一刷発行
2001/8/24
ご注文
ISBN4−06−210749−X

ああ、女優になりたい!

私に言われても困るんだけれど、女優志願の人から、よく声を掛けられる。
「ム……ムロイさんですよね。あの、アタシ、女優になりたいんですけど……」
突然、私の肩や二の腕をむんずと掴み、目をカッと見開いて顔を寄せて言ってくる。

駅前で……商店街で……公園で……パチンコ屋で……映画館で……デパートで・…:病院の待合室で……。
「ちょっとでいいから、お時間もらえません?私の話、聞いて下さいよ」その口調ときたら、皆、とても一途で熱く、どこかの新興宗教の勧誘の人のフレーズによく似ている。

私は一瞬ウッとなって言葉に詰まるが、すぐに我に返り、「あっ、ごめんなさいね、今、急いでるんで。が……頑張ってください」と言って踵を返す。
「頑張って……」とは、何と都合のよい言葉だろう。

希望に胸ふくらませている若人に、不親切なこととは自分でも思うが、これまでの何度かの経験から、この手の相談はコリゴリになってしまったのだからしようがない。
以前、サウナでこんなことがあった。

「あの、ひょっとして、室井滋さんですよねえ」
体中からダラダラ汗を吹き出させている私に、二十代後半ぐらいのカンジの女性が声を掛けてきた。

「うわあ嬉しい。こんな所でお目にかかれるなんて。あのお、実は私も女優になりたいんですけど」女性は現在貿易関係の会社で事務をとっているとのことだったが、子供の頃からお稽古事が大好きで、どうしても女優になる夢を諦めきれずにいると、私に訴えてきた。

道路っぺりじゃないので、さすがにソソクサと帰るわけにもゆかず、私はついつい相槌を打ち始めてしまう。
彼女がどれほどまでに女優というものに憧れを抱いてきたかを聞くうちに、私の体が火を吹かんばかりに熱くなってゆく。

「スミマセン、ちょっと、水を浴びないと熱くって……」と言ってサウナ室から中座させてもらうが、それでもダメだ。
その後を彼女もササッと追いかけてくるのである。

私が冷水の浴槽に入れば彼女も入り、ジャグジーにつかれば、彼女もつかる。
洗い場では、すぐ隣に引っ越してきて、私の背中まで流してくれた。

彼女の生い立ちから、家族の話、現在の恋人との問題点まで聞くにつけ、まるで旧知の仲のような雰囲気になってしまい、私はいよいよ逃げ出すきっかけを失ってしまった。
そして、何度目かのサウナ室に入った時だ。彼女がいきなり、切羽詰まったような表情になって、決定的な意見を求めてきた。

「丁度今、裸で良かったです。ムロイさん、あるがままの私の姿を見て、率直なところをお聞かせ下さい。どうなんでしょう、私ってば、女優になれるんでしょうか?」
サウナ室の中には、私と彼女、二人ッきり。

彼女はすっくと立ち上がり、体に巻きつけていたバスタオルをハラリと床におとして、私の前に全裸で立ち尽くした。
サウナ室は突然、映画『潮騒』で山口百恵さん演ずる初江が、「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら……」と言って、三浦友和さん演ずる新治の前で立ち上がった、あの海辺の漁師小屋みたいにガラリ変わった。彼女は爪先立ちをしながら、自分の両手をゆっくりと天井の方にあげてゆき、まるで白鳥の湖のバレリーナスタイルになる。さらにその手を頭の後ろの方で組むと、その胸を今度はハトのように突き出し、顎をクイッとのけぞらせてピタリ止まった。同じ姿勢のまま、彼女は空中を見つめる。

長い長い沈黙。正直言って、私はとても気持ちが悪かった。
さっきまでだって、ずっとお互い裸だったのだから、今さらそう改まられても困ってしまうというもんだ。
紙と鉛筆があれば、スケッチでもして誤魔化したくなるところだが、ここではそれも叶わない。

一体、敵は私に何を求めているのだろう?
「うわあ、すんごくキレイよ〜。あなたならぜったい女優になれると思うわ」
多分、そんな言葉なのであろうけど……。

何か適切なコメントはないものかと、必死で探すが、それもなかなか上手に口から出
てこない。
私が迷っている間も、彼女のほうはキッと息をつめ、お腹の賛肉をギューッと締めまくっていた。

一分……一分半……二分……半……三分:・…三分を過ぎたあたりで、彼女の全身がプルプルと震え始めた。
ボタボタ大粒の汗が滴り落ちる。
何だか随分体が赤くなってきちゃったなあ……と思って、「大丈夫?」と声をかけようとした。

が、その矢先……。
彼女のほうが「ハヒィ!!」という妙な擬音を漏らした。
目をカッと見開き、さらにはエビ反りになって、その場に崩れ落ちてしまった。

無理をし過ぎて、足がつったのだ。
一瞬にして弛緩した体は、まるでプシューと音をたてて空気が抜けたタイヤみたいに見えた。
私は初めて自分のほうから彼女に駆け寄り、こむら返った彼女の左足の裏を、ギューッと押してあげた。

 

 

・・・・続きは書店で・・・・