パロサイ・ホテル 上
 
  孤島、密室、廃ホテル・・ホテルの部屋に残された パスティーシュ・ノベル そして自殺・失踪・地下室の財宝・・・ラビンスを彷徨う石岡と美里に、御手洗の声は届くのか?  
著者
島田荘司
出版社
南雲堂
定価
本体価格 1200円+税
第一刷発行
2001/9/4
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ISBN4−523−26395−7

あれはいわゆる「パロディ・サイト事件」が終了して三ヶ月ほどが経った、平成十年六月末のことだったと思う。
雨の季節もようやく抜けて、関内の陽射しも次第に夏のものにと変わりつつあった。

私の生活はというと、相も変わらず変わりばえのしないものだったが、たまたま欝を抜けて、気分も体調も悪くなかった。
執筆に疲れると、私は徐々に整備され、日本丸もやってきて「運河パーク」と名づけられたみなとみらい地区をよく散歩して過ごしていた。

このあたりはとても気にいって、この頃から私は、中華街とか山手方面へではなく、みなとみらいとか、赤レンガ方向への散歩が多くなった。
たまには里美と一緒に歩いたが、たいていは一人だった。
里美は司法試験の勉強が忙しくなってきていて、電話ではよく話したが、会う回数は少なくなりつつあった。

そんな頃、里美から電話がかかってきたのだ。
「先生……」そう言うなり、彼女は絶句するふうだったので、私はびっくりした。いつもの彼女らしくなかった。
「ど、どうしたの、里美ちゃん」私は言った。

電話は久しぶりだったし、彼女の近況など心得ていなかったから、何が起こったのか推察する材料がない。
「そっち、今から行っていいですかi?」彼女は沈んだ声で言った。
「え?いいよもちろん、お昼食べた?」

「食べました」彼女は小声で言う。
「あそう、じゃ、関内駅の改札出たとこで、一時間後に会おうか」私が提案すると、彼女ははいと小さく言った。
私はその日、なんとなくカレーライスが食べたい気分だったので、馬車道のキャンディ・ストリートのカウンターでキーマカリーを食べ、それから本屋に入ったり、ブティックのウィンドゥをひやかしたりしながら関内駅に行った。

すると二時すぎとなり、ちょうど頃合いの時問帯になった。
行ってみると、里美はすでに来ていた。
八景島の観光ポスターの貼られた掲示板にもたれ、しょんぼりと構内に立っていた。「里美ちゃん」私が言うと、彼女ははっと壁から身を起こし、「あ、先生」と言った。

その様子は、なんだか意外なものを見つけたというふうだった。それから二人で駅を出て、信号を待って横断歩道を渡り、馬車道をぶらぶらと歩いて、歩道橋で車道を渡った。
万国橋通りを横浜第二合同庁舎の前にさしかかるまで、彼女は少しも口を開かなかった。
正面玄関のあたりでようやくぽつりぽつりと世間話を始め、水が見え、道が万国橋にかかると、その上でついと立ち停まり、ようやくこう言った。

「先生、小幡さんの様子がおかしい」私はびつくりした。びつくりしたのだが、続いてよくよく考えたら、私が驚くのもあたらないと思った。そもそも私は、小幡さんのことを全然知らない。
おつき合いがない。会ったことといっても、以前のパロディ・サイト事件の時に一度きりで、以降は消息を聞くこともない。
驚くためには、彼女の近況に対する把握なり知識なりがこちらにあり、事態がそれらと違うからであって、そういうものがないのだからこれはおかしい。

里美の様子が異常だったから、そっちにずっと驚きがあったということだ。
「おかしいって?どんなふうに?」里美はセメントの欄干にもたれ、じっと眼下の水を見つめ、時おり顔をあげては遠くのランドマークタワーを見たりしながら、こんなふうに続ける。
「小幡さんが、口きいてくれない」

「口きかないって?」
それは確かに異常だ。
「私を避けるようにする。

近くに行くと逃げちゃうし
「へえ、いつから?」
「考えてみると、ずっと前からだったんだと思うけど、私ずっと忙しくしてて、あんまり会うことなかつたから、だから気づかなかった」

「ふうん、どうしてなんだろうな。君心当たりは?」
「解らない、ないことは……ないけど……、でも、やっぱり解らない。彼女、誤解しているって思う」
「誤解?何を?」

「私のこと」
「君のこと?」
「どんなふうに?」

「どんなって……、だから、男好きだとか……」
「男好き!?本当にそうなの?」私はびっくり仰天した。
里美が男好き!?

「まさか ! 先生、そんなわけないでしょう ? 私、合コンだってずっと逃げてるし、変なバイトなんて絶対しないし……」
「そ、そうだよね」
「でもショック。私、小幡さんのことずっと尊敬してたし、あの人がいるからセリトス楽しかったし、小幡さんとだったら私、一緒に同じ部屋で暮らせるって思ってたくらい。このまま小幡さんと、ずっと駄目になったままだったら私、セリトス続けるのだって自信ない」

「ふうん」私はそう言ったまま、なんと言葉を続けていいか解らなかった。
里美はそのままゆっくりと歩きだし、運河パークと書かれた立て札の先を左に曲がって、水辺べりに沿って歩いていく。
空には雲ひとつなく、すこぶる上天気の日だったが、陽気と対照的に彼女は落ち込んでいて、口数が少なかった。

彼女がそんな様子だから、私は周囲の様子を楽しむ気分になれず、なんとなく浮かない気分で汽車道を歩いた。
「で、これからどうするの?」私は訊いた。
「解らない。小幡さん、私のこと軽蔑してる。先生、どうしたらいいですかー?」里美が逆に訊き返してきた。
私は言った。

「一回喫茶店にでも呼び出して、膝詰めで、はっきり訊いてみたら?どういう理由で私を避けるのかって。小幡さんに」その程度しか、私には考えが浮かばない。
しかし里美は、聞いてのち、考えながらゆっくり黙って歩いていた。
汽車道を渡りきり、右折して日本丸の方に向かう。

「この辺、奇麗になりましたねー」里美は言った。
「よく女性誌なんかに載ってますよー、これからもっとよくなるって」日本丸の横をすぎると芝生の斜面がある。
そのあたり、背後のビル群の陽影になっていたので、私たちはなんとなく腰を降ろすことになった。長く直射日光の下にいるのが辛い季節に、そろそろなってきた。

里美は、黄色の大型のヴィニールのバッグを持ち、珍しく長いスカートを穿いていた。
膝を抱えるような格好にすわり、バッグを腿に置いた。
そうして、そこから水をはさんだ向かいに見える大型の観覧車を眺めていた。

川のように見える狭い水路を、龍の装飾を付けた中国ふうの船が行く。
「あああ、なんか憂欝だなー」と里美が言った。
「私、なんか、お腹へってきちゃった」

「え、お昼食べてないの?」私が訊いた。
「だって、食べる気になんてなれなくて」里美は言う。
「なんだ、食べたって言ったじゃないさっき。
そこにマクドナルドあったよね」私が言う。

 

 

 

・・・・続きは書店で・・・・