幸せなひととき─ the good times
外の世界との断絶……自分自身に課した幽閉……。
葬式以来、眠ることと人生の終わりを感じながら書斎の椅子にぼんやりと座り続けること以外には、ほとんど何もしていなかった。
電話もファックスも回線を切り、外に通じる扉と窓は、すべてしっかりとロックしてあった。
友人や隣人たちからの同情の言葉は、もう、言も聞きたくなかった。
ただ、長く曲がりくねった私道に次々と乗り入れてきては戻っていく車の流れは、止めようがない。
車が静かに近づいてきては、玄関のチャイムがいたたまれないほどに悲しげな音を響かせる。
葬式以降それが毎日断続的に続き、あるとき私は発作的に、玄関のチャイムに通じる電線を引きちぎった。
それまでの十七年間、私はとても充実した人生を生きてきていた。
それは、ハードワーク、報酬、愛、成功、達成、笑い声、そして感動に満ちた、本当に素晴らしい十七年だった。
しかしその頃の私は、それ以上生きることに何の意味も見いだせなくなっていた。
まだ四十歳の誕生日も迎えていないというのにである。
ときおり机の前から離れ、書斎の中をあてどもなく歩き回ったりもした。
ふと立ち止まっては、壁のあちこちに掛かっている家族写真に目をやったりもした。
思い出……どの写真も、過去の幸せなひととき、喜びに満ちた出来事を、あまりにも鮮明に思い起こさせる。
妻と息子の話し声や笑い声が今にも聞こえてきそうだ。
望遠鏡よりも涙のほうが、遠くのものをずっと鮮明に見せてくれる……そう書いたのはバイロン卿だっただろうか。
その日も私は、樫の木製の大きな机に向かい、高い背もたれの付いた回転椅子に力なく座っていた。
ただしそれまでとは違い、ある明確な意志を持ってである。
私は意を決し、腰掛けたまま右を向いた。
そして、机の右側の一番下の引き出しを開き、中を見下ろした。
黄色い電話帳の上に無造作に置かれた「コルト社製・四十五口径自動回転式拳銃」が目に飛び込んでくる。
その前日、ガレージに積んであった段ボール箱の中から、ようやく見つけ出してきた代物だ。
十年ほど前にサンホゼの銃砲店で購入したものだが、私がそれを買ったのは、当時私たちが住んでいたカリフォルニア州のサンタクララ郡で、押し込み強盗が頻繁に発生していたからだった。
表面に艶消し加工が施されたその古い拳銃の隣には、弾丸が詰まった未開封の箱が横たわっていた。
私は銃が嫌いだった。
一度として好きだったことがない。
それが証拠に、銃砲店の地下室で三発の試し撃ちをして以来、その殺人兵器に弾を込めたことは一度もなかった。
私はその忌まわしい装置を机の上に載せ、じっと見つめた。
ザラザラとした表面を指でそっと撫でてみる。
引き金のすぐ上の平らな銃身部には、後ろ足で立つ馬の小さな彫り物と、「政府モデル/コルト/自動回転/口径四十五」という文字が刻まれている。
私は、親指と人差し指で銃口をつまんでそっと持ち上げ、その物体の表面にもう一度じっくりと視線を走らせた。
とそのときである。
ある名前が私の絶望を貫いて閃光のように走り、疲れ果てていた私の心をより一層混乱させた。
アーネスト・ヘミングウェイ!おお、神よ!子供時代の悪夢が生き生きと蘇ってきた。
私がヘミングウェイの本に初めて出会ったのは、十歳のときのことだった。ある夏の日に近所の図書館に行き偶然見つけたのだが、その後私は彼の本を次々と読みあさり、『誰がために鐘は鳴る』を二度目に読んだ頃には、あることを強く心に決めていた。
よし、大きくなったら作家になろう。
そしてヘミングウェイのように、この世界のあらゆる場所で冒険を見つけ出すんだ。
そうやって生きられたらどんなにいいだろう !
私の小さな胸は、大きな希望で満ちあふれたものだった。
ところが……ところがである !
その英雄は、すぐに私を叩きのめした。
一九六一年のある日、ショットガンの銃口を頭に当て、引き金を引いたのである !
私は樗然とするのみだった。
いったい、なぜ !
私には理解できなかった。
人間はどうやったらそんなに愚かになれるのだろう。
大人たちに尋ねても、納得できる答えは返ってこなかった。
なぜ ! なぜ !
いったい人間は、どうして自殺したりするのだろう。
しかも私の英雄が、なぜ !
あれほどの知恵と、生きるために必要なものをすべて持っていたはずのあの人が、自分の命を自らの手で絶つという愚かな行為に、どうして及んだりしたのだろう……。
私は机の上の拳銃に目を戻した。
目に涙があふれてくる。
頭を強く振りながら、私は思わず自分のかつての英雄に話し掛けていた。
「許してください。あなたを愚かだと決めつけた私を、許してください!」私は拳銃から目を離し、机に背を向けた。
一枚ガラスの大きな見晴らし窓が目に飛び込んでくる。
すぐ外側に白いベランダが見える。
ケープコツド・スタイルの家の裏側全体にせり出した、巨大なベランダだ。
ベランダの先には、美しい緑の芝が一面に敷き詰められた、緩やかな登り斜面が広がっている。
数エーカーに及ぶその広大な芝生には、白いアディロンダック椅子が数脚、ヒマラヤ杉製のピクニック用テーブルとそれを取り囲むベンチ、そして蹄鉄投げ用のコートと、赤い小旗が付いた高さ六フィートのゴルフピンが二本、バランス良く配置されている。
二本のゴルフピンの間隔は百三十ヤードで、アプローチの練習にもってこいだった。
芝生の先には草原があり、植えたばかりのイボタノキの長い垣根が両者を隔てていた。
あちらこちらから顔を出した巨大な花嵐岩、背の高いブルーベリーの藪、そして元気なアオガエルたちがたむろする小さな池が、その草原に程良いアクセントを加えている。
その草原の先には、松の木や樺、楓の木などが立ち並ぶ森が、見渡す限りに広がっていた。急に落ちてきた雨が目の前のガラスを叩き始めた。見晴らし窓越しの風景がぼやけ始め、見る間にモネの絵のようになる。
四十四工-カーの地上の天国。
サリーと私はこの家を見せられて一目で気に入り、その日のうちにもう買っていた。
サリー……私は、あの土曜日と同じ場所に座っていた。
あれはわずか一ヶ月前のことだった。
一ヶ月前の土曜日、軽やかなステップで書斎に入ってきた彼女はいきなり私に抱きつき、誇らしげに言ったものだ。
「どう?故郷の英雄さん。皆さんに挨拶する準備はできてる?」
「準備なんかできてないよ。緊張は人一倍してるけどね。もう何年も会ったことのない人たちばかりなんだ。しかしこの町は、なんでこんなことするんだろうな」
「私は当然のことだと思うわ。ボーランドの人たちは、あなたのことをとても誇りに思ってるのよ、ジョン・ハーディングさん。あなたのお父さんとお母さんは、この町で」生を過ごした。
そしてあなたは、ここで生まれて学校に行き、ハイスクールの優等生で、最上級クラスでは委員長も務めた。
それからこの町を離れて大学に行って、大学野球の全米代表にもなった。
そして今、二十年ぶりに戻ってきてここにいる。
しかも、コン。ピューター業界最大の会社の一つ、ミレニアム・ユナイテッド社の新社長としてね。ビジネス界全体があなたを讃えてるわ。
それから……え-と、それから……あなたはこ
んなに若いわ!」彼女の演説はとどまる気配を見せなかった。
「この町の人たちがあなたを讃えたがるのは当然のことよ。そうしてはいけない理由なんかどこにもないんだから。こんな狂った世の中で本物の英雄を見つけ出すことは、年々難しくなってきてると思うの。このボーランドに限らず、ニューハンプシャー州のどの町の人たちにも、あなたがこれまでにしてきたことを讃える権利は充分にあるはずよ。この二週間ほどの間に、テレビや雑誌でほとんどの人たちがあなたを見てるわ。
なんせあなたは、『グッドモーニング・アメリカ』と『トゥデー・ショー』に出演し、『タイム』にも載ったんですからね。
そして今、この町の人たちはあなたを直接見たがってるの。あなたとじかに会いたがってるの。
あなたのお父さん、お母さんを知ってて、子供の頃のあなたを覚えてる人たちは、その思いが特に強いんじゃないかしら。
昨日、郵便局でデラニーさんの奥さんと会ったんだけど、彼女は言ってたわ。この町がこんなに大騒ぎになったのは、デリー出身のアラン・シェパード中佐が立ち寄ったとき以来なんですって。
宇宙に出た最初のアメリカ人になってすぐ、この町が主催した『焼きはまぐり夕食会』に呼ばれたらしいんだけど、それからもう三十年にもなるらしいわ」
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