はじめに
●生まれながらの勝負師が命を賭けた戦いに挑む─
三度勝負を賭けた男・小泉純一郎
「私は、この内閣において、『聖域なき構造改革』に取り組みます。私は、自らを律し、一身を投げ出し、日本国総理大臣の職責を果たすべく、全力を尽くす覚悟であります」
小泉純一郎は、平成十三(二〇〇一)年五月七日、首相に就任して初めての所信表明演説を行った。
政権が四月二十六日夜に発足して十一日目のことである。
小泉政権が誕生し、日本の政治は、一気に急展開し始めた。
小泉純一郎・田中眞紀子政権の舵取りに国民の大多数が、熱いまなざしを投げかけている。
自民党の衰退が加速化し、自民党は「もはやこれまで」と思われていたのが、一転、国民人気が小泉首相と自民党へ戻った形である。
無党派層は依然として有権者の半数を占めているものの、国民世論の大勢は、小泉首相と自民党への期待へと変わっている。
小泉純一郎は、田中眞紀子外相をはじめ、扇千景国土交通相、森山真弓法相、遠山敦子文部科学相、川口順子環境相の「五人の女性軍団」に支えられての「パワフル内閣」を組閣した。田中眞紀子外相は、自民党総裁選挙で力強い応援団長を務め、「私は変人の生みの母でございますから、しっかりと健康優良児に育てます。私は信頼しています。
軌道修正するようでしたら、私が蹴り上げます」と保護者のように「わが子」の世話と監督に懸命だ。
私生活では離婚の辛酸を舐めつつも、三人の姉、一人の妹に身のまわりの世話を受けるなどあふれるような「女性の恩愛」を受けてきた小泉首相だけに、公私ともに女性軍団は頼もしくも恐ろしい限りである。
こうなると、ベートーベンを思わせる「ライオンヘアー」のたてがみを振り乱して、まさに火ダルマになって「構造改革」を成功させざるを得ない。
「男は三度勝負する」といって、遂に首相の金的を射止めた三木武夫元首相が好んで使っていた「信なくば立たず(無信不立)」を座右の銘とし、小泉純一郎は自民党総裁選挙で三度目の勝負をかけて圧勝した。
祖父・小泉又次郎は背中に刺青を背負った薩摩隼人の勝負師で、戦前、逓信相を務めた。父・小泉純也は、防衛庁長官に任ぜられたまさに硬派の政治家だった。
子どものときから祖父に可愛がられ、膝に抱かれて花札を学び、「勝負のツボ」を心得た慶慮ボーイでもある。
勝負事は負けることもあるから、「負けることを恐れず」と勝負に打って出て、三木元首相と同じように「三度目の正直」(ただし、三木元首相は椎名裁定で就任)を果たした。
その勝負師の小泉純一郎が今度は、自民党の蘇生をテコとする「日本経済再生」の大勝負に出たのである。
景気回復の道はハード・ランディングしかない
日本変革の第一のカギは、将来ビジョンとこれから向かうべき進路を明確に示すことである。
高度経済成長を遂げた日本が、二十一世紀の新しいステージで目指すべきなのは、「国民資産の倍増」によるクオリティ(質)の向上であることは間違いない。
第二のカギは、既得権益と権限の維持に懸命になっている中央省庁の官僚群との戦いに勝つことである。
まず持論である郵政三事業の民営化に向けて強力な指導力を発揮できるか。
続いて、「政・官・業(財)・学」の癒着の関係を断ち切れるか。
さらに進んで国立大学の民営化を断行できるか。
第三のカギは、不良債権を一気に解消して国際金融資本による日本市場への席捲に歯止めをかけ、守勢から攻勢に転じていく態勢を一刻も早く整えることである。
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