いつも自分を見失っていたい
辻仁成
僕にとってぱ非常に珍しい真実の友の一人、江國香織さんとこうして向かい合うことで、今、なぜ人間ぱ愛に生きるのか、という問題について考えていきたいと思います。
最初にお断りしなければならないことば、僕達は二人とも恋愛(というより人生観そのものと言った方がよろしいでしょうが)に対して偏った考え方を持った作家という人種なのだという点であり、だからこそ僕達の発言がそのまま世の中の道徳的な愛の模範回答に当てはまることば極めて少ないということです。
しかし一方で、愛や恋などという絶対的な形が存在しないことを語り合うわけですから、他人の庭を覗くような気軽な気持ちで読んでいただければ、こちらも話しやすいわけです。
或いはそういう気楽さの中から真実が浮かび上がる可能性を、十分に本書は秘めているとも言えるかもしれませんね。
特に、江國さんとば先にも「非常に珍しい」と述べましたが、異性では貴重な友人という関係にあり、同世代の競い合い、尊敬し合う作家でもあり、ともに小説『冷静と情熱のあいだ』を上梓した仲でもあるわけで、そういう二人だからこそ、本音で愛や恋について語ることば、世の常識からは外れているとしても、勝手ですが、多少は意味があるものと思われるのです。
江國さんとの出会いは不思議でした。
とにかく懐かしいというのか、無理しないで向かい合えるというのか、自然というのでしょうか。
あんなにすうっとなんの購購いもなく、会った途端に深い信頼を持つことができた女性というのぱ、かつていませんでした。
彼女の成功を自分のことのように喜べるのも不思議です。
彼女の悲しみを自分のことのように悲しむのも不思議。
元気がないと、どうしているかな、と心配になります。
妻でも恋人でもないのに、どうしたことでしょう。
無償の愛というものが、あるんだとしたら、そうだなきっと、彼女にぱ無償の愛がある。
前世でぱ兄妹だったのかしら。或いぱ恋人だったのかな。
さて、どうでしょうね。僕と江國さんとのこの不思議な関係についてもどこかで述べなければならないでしょう。
なぜなら、これば本当に稀なくらい素晴らしい間柄だからです。
さて、愛や恋といきなり述べてしまいましたが、愛と恋の違いというのが僕にぱ常々大きな問題、というのか謎としていつも眼前に立ちはだかっていました。
愛と恋の違いとは何か。
そもそも愛と恋を区別して人を好きになる人なんて滅多にいませんし、区別したところでそこからは何もはじまらないとは思うのですが、僕にはここに何か大きな秘密が隠されているような気がしてなりませんでした。
しかしこれらを一言で説明するのは困難なことであり、だからこそ江國さんの冷静な意見をお借りして、僕も読者のみなさんと一緒に少しずつ考察していきたいと思うのです。(注:ただね、愛と恋を全て区別することはナンセンスなことで、元々無理なこと。本書の中でも時々混ざって発言をしています。愛の中に恋も入るでしょ。力説している時はぐちゃぐちゃになっています。その程度の違いだと苦笑しつつ読み進んで下さいね)
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