夫婦茶碗
 
  挫折せよ。堕落せよ。 ** すべてを失って見えてくる。 新世界の青い空。 ** あまりに過激な堕落の美学に大反響を呼んだ「夫婦茶碗」 **   
著者
町田康
出版社
新潮社文庫 / 新潮社
定価
本体価格 400円+税
第一刷発行
2001/5/1
ISBN4−10−131931−6

1

さきほどから、ソファーに並んで腰掛けて、妻とわたしが壁に向かって、巌のようにおし黙っているのは、なにも夫婦揃って座禅修行をしているのではない、金が無いから黙っているのである。
というのは、もしどちらかが口を切れば、当然、金のはなしになり、そうなれば左のごときの不毛な問答がなされるのが経験的に察知せらるるからである。
というのは、「おまえさん、いったいどうするつもりだい」

「どうするつたってしょうがねえじゃねえか、まあ、なんとかならあな」
「じゃあ、なんとかおしよ」

「なんとかおしよったって、おめえみてえにそうのべつに、なんとかおしよ、なんとかおしよ、ってやられたんじゃ、まとまるかんげえもまとまらねえじゃねえか」
「なにを言ってやがんだい、おまえさんの頭で考えたってどうなるもんかね、いい加減におしってんだよ、この西瓜野郎」

「おまえはすぐそうやって人を罵倒するだろう、そらあ、罵倒してなんとかなるなら、罵倒してくださいよ。しかしね、いまは、世界の大勢と当家の現状に鑑みですね、この 事態に立ち到った原因、経緯などを分析して、その事実に基づいてですね、非常の措置をもって時局の収拾をはからなきやしようがねえじゃねえですか」

「なにが原因よ、なにが経緯よ、あなたが昼間から酒ばかり飲んで働かないからこんなこと宏るんじゃないよ、この唐変木或は馬鹿」
「あっ、また罵倒ですか。なるほど、なるほど。尾崎放哉の『口あけぬ蜆死んでいる』ってさびしい句だね。

でも、唐変木ってどんな木でしょうね。ちょっと待ってね、調べるから。
ああっああ、なるほど、たいした、たまげた。間が抜けていて気が利かない人〔俗〕だってよ、木じゃなくて人なんだってさ。ちゃんちゃらおかし、げほげほげほ。

『咳をしてもひとり』」なんてな具合で、つまり、かような不毛な問答を百年続けたところで、得るところは無であって、それならいっそ黙っておったほうがよい。

だから黙っているというわけである。しかし、いつまでも黙っていたところで、わたしが働かぬことを主たる理由として、家に金がないという根本の問題が解決されるわけではない。
逆に言うとわたしが働きさえずれば、いくら喋ってもいい、ってことになる。

つまり、問題が解決するわけだな。なんだ、はは、簡単なことじゃないか。
わたしは働こう。

エイエイオー。

って決意してはみたものの、働く、たって、例えば、家の中を掃除する、とか、茶碗を洗う、犬小屋にペンキを塗る、植木に水をやる、なんてなことは、わたしは毎日やっているのだけれども、これ駄目なのであって、なんとなれば、そんなことをやったところで賃金を払う者がないからである。

そらあ、それ自体は立派な労働である。
本来であれば賃金が派生してもおかしくない話ではあるが、現実には派生しない。

なぜか。

簡単な話であって、それらの労働によって、生じる価値を享受するのは、わたし自身及び妻であって、蛸ではないのだから、自分の足は食えぬのである。
はは。

ちゃんちゃらおかし。

つまり、そうではなくて、例えば、赤の他人の家の茶碗、これを洗えばいいのである。
そうすれば、そのことによって、茶碗を洗う手間が省けたその家の横着な主婦は、「ごくろうさま、またお願いね」なんてなことを吐かして、わたしに千円、ってことはないな、まあ、三千は貰える。
そうなればしめたもので、わたしはもともと茶碗を洗うのは、嫌いなほうではないので、午前中だけで、まあ楽に三軒は回れるだろう。午後はちょっと頑張って、五軒も回れば、一日でなんと、二万四千円、昼飯代・煙草代・交通費・洗剤代・たわし代を引いたとしても、二万円は確実に残る。

わたしはもともと勤勉なたちだから、週休二日なんて戯けたことはいわぬ、休みは朔日と十五日だけにして、そうすると、月に二十八日ないしは二十九日稼働するわけだから、ええっと、ぎやあ、五十六万円ないしは五十八万円、という驚くべき高収入になるのである。
そして、そうして儲けたお金で、米や野菜を買ったり、新聞代やガス代・電気代を払ったりする。

 

 

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