この『バターはどこへ溶けた?』の裏話を書いている今、私はやれやれという気分である。
なにも本にすることはないのである。
話の内容もたいしたことはないし、第一、これくらいの話は適当にいくらでも作れる。
さしてありがたいものではないのである。
現に、これだってきのう私がちょちょっと……いや、失礼失礼。
私がこの物語にはじめて出会ったのは……まあ、細かいことはどうでもよい。
たしか数十年前のことだったと思う。
それ以来、思い出したことなど一度もなかったのだが、なにやら似たような話が世のなかに出まわっておると聞いて、二匹目のどじょう……いや、世の人の助けとなればと思い、今回、ご紹介の運びとなったわけである。
さて、この物語には、二匹のネコと二匹のキツネが登場する。
彼らがバターをめぐって、すったもんだするのである。
ネコにとってのバター、キツネにとってのバター、バターにはちがいないのであるが、気持ちひとつでどうにでも変わるのだ、というところを読んでほしい。
そして、すったもんだの世のなかに、やはりすったりもんだりしながら生きている私たち人間も、気持ちの持ちようで幸福にも不幸にもなり得るのだ、という当たり前の真理を今一度、かみしめてもらいたい。
よく考えれば、この物語は悟りへの道の第一歩といえなくもないような気がする。
世のなかは、幸か不幸か移りゆく。
前にすすむ者もいれば、そこへとどまる者もいる。
前にすすむ者が、とどまっている者を見ると、ずいぶんと臆病に見えることだろう。
しかし、それはあまりに一方的なものの見方だ。立ち止まっているように見えても、内なる苦しみと向き合い、逃げることなく立ち向かっていることだってある。
たしかに、走りつづけている者は、かっこよく見えるかもしれない。
しかし、それは修行が足りないだけのことだ。古来、走りまわって、悟りを開いた者はおらん。
釈尊を見よ。
達磨を見よ。
みな心静かにすわっていたではないか。
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