すべての男は消耗品である Vol.6
 
  村上龍の肉声がここにある。誰も作家のメッセージなんか必要としていない !  
著者
村上龍
出版社
KKベストセラーズ
定価
本体価格 1380円+税
第一刷発行
2001/4/20
ISBN4−584−18029−6

夢日記は小説に役に立つが、旅行日記はどうなるのだろう ?


イタリアに行ってました。ペルージャという町で、中田選手とかなりの時間を一緒に過ごした。時差でボーっとした頭でこれを書いている。
中田は現地の日本メディアに悩まされていた。話を聞いたが両者の溝は深い。
日本メディアの側からの話は聞いていない。だが両者は別に喧嘩をしているわけではないので、双方から話を聞かなくても、コンフリクションの原因は想像がつく。

日本を支えてきたあらゆるシステムが「金属疲労」を来している現在、メディアもその例外ではない。
メディアも変わらなければいけないのだが、まったくその兆しはない。

八五年のプラザ合意以来、円高が容認されるようになったわけだが、その際、日本の製造業はドル建ての輸出価格を上げようとしなかった。
二四〇円から二〇〇円に、さらに一七〇円から一〇〇円に円が高くなっていったとき、その都度、額面通りドル建ての輸出価格を上げ、輸入価格を下げていれば、為替レートは一七〇円あたりで落ち着いていたという説もある。

だが日本企業はドル建ての輸出価格を上げようとしなかった。コスト割れをしてもいいから売りまくれ、というような戦略だったという。
なぜか?
日本のトップ企業は円高について、他社を潰すチャンスだと考えていたのだ。
これで下位メーカーに勝てると考えて、低価格競争に入ってしまった。
つまり日本企業のライバルは同じ日本企業だったわけである。

こういった構図はたとえば福岡のデパート競合などにも見ることができる。
福岡の中心地である天神では一昨年あたりから大型百貨店の進出が相次いだ。
わたしは何度かそのあたりのデパートに入ったことがあるが、ものすごい売り場面積と品揃えで、いったい誰がこれだけの商品を買うのだろうかと不思議に思ったものだ。

そして今、天神の百貨店街では共倒れの噂が流れている。
共倒れは予想できたはずなのに、どうして各百貨店はそれでも大型デパートを造ったのだろうか。
それは、他がやるのにうちが黙ってみているわけにはいかないという日本的な心情からだと思う。

共倒れの危険性はわかっていても、もし他が成功した場合には、メンツも潰れるということなのだろう。
六〇年代から七〇年代にかけて邦銀が外国に進出したときも、他がやるならうちもというような発想だったと聞いている。

ではそのような国内での競合とゼネコンに代表される談合はどう結びつくのだろうか。
答は簡単だ。
邦銀も百貨店も建設業界も世界を視野に入れたビジネス戦略など持っていない。
ライバルはあくまで国内の他社なのだ。

したがって、他社にたとえ勝てなくても、負けることは許されない。
そこで共倒れ覚悟の過剰競合や負けを回避
するための談合が行われることになる。

そういった体質は企業だけにとどまらない。
メディアも同じだ。『週刊ポスト』のライバルは『週刊現代』であり、『朝日』は『読売』、フジテレビのライバルは日本テレビでありTBSでありテレビ朝日である。
ライバル同士は日本の文脈内で競争するが、その競争そのものが自分たちの利益に明らかに反する場合は談合というやり方になる。

中田を巡るイタリア現地の日本メディアも同じだ。
彼らが送る記事は日本人だけに向けられたものだ。
彼らのライバルは日本国内の他誌・他紙であり、当たり前のことだがよその国のスポーツ紙ではない。

だから彼らは他紙を抜こうとするし、抜かれることが何よりも恐いので、抜かれるよりは談合を選ぶ。
同じような記事や写真を載せるのである。

中田は日本の文脈を飛び出してしまった選手だ。
彼はセリエAという世界最高峰のサッカーリーグにごく普通に受け入れられた。
そういうことはこれまでほとんどなかった。

海外で活躍する日本人は、移民がそうだったように、必ず苦闘しなくてはいけなかった。
習慣・生活が違う外地で日々苦闘し悩み、手にする名誉は日本の肉親や世間に捧げる、それが海外で活躍する日本人のわかりやすい姿だった。
それを逸脱する人間を紹介する言葉を日本のメディアはまだ持っていない。

だから、中田をどのような方法で取材すべきかというマニュアルのようなものはない。
中田が提出するルールを守る、くらいしか解決策はないだろう。

 

 

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