シーズ ザ デイ Seize The Day
 
  謎はいまも 海のそこに沈んでいるのか ・・・・ 南太平洋で沈んだ一艘のヨット。16年間、恋人たちを呪縛しつづけた謎、狂気を孕んだ愛と憎しみ・・・この運命はどこへ続いているのか・・  
著者
鈴木光司
出版社
新潮社
定価
本体価格 1800円+税
第一刷発行
2001/4/10
ISBN4−10−378606−X
「物語の王者 」が3年ぶりに贈る 感動の大作 !


第一章

ある期間をおいて、あるいは数日続けて、同じ夢を見ることがある。
夢とは、いつか果たすべき願望のことではなく、文字通り、睡眠中に連れ去られる架空世界のことだ。
船越達哉の場合、それは海の夢だった。
いや、もっと正確に言えば、波の夢といったほうがいいかもしれない。

マリーナを取り囲む堤防の上を歩きながら、船越は、いつもの癖でつい何度も足を止め、海の色を観察してばかりいた。
今日という日は、ドックヤードに向けて、もっと歩度を速めてもいいはずなのに、海面に浮かぶ浮遊物を眺めては、その越し方にストーリーをあてはめるという遊びを休もうとはしない。

昨夜からの雨も上がり、七月末の夏空は晴れ渡っていた。三日降り続いた雨のせいか、マリーナの外側にある運河に、浮遊物の量と種類はいつもより多い。
港内を航行する船の引き波で海面が乱れ、帯状に集合して漂うゴミの中でも大きめのものは、横腹を出してプカプカと揺れていた。
ぺットボトルや発泡スチロールの小片、水筒、電灯の笠、椅子の足、スリッパ……、数え上げれば切りがない。
引き波にふらふらと揺れるスリッパは、それ自身小さなヨットのようにも見える。

船越は、昨夜見た夢の内容を部分的に覚えている。いつも見る波の夢のバリエーションのひとつだった。
夢の中で、海岸の砂浜に立っていることもあれば、堤防越しに海を眺めていることもあった。

打ち寄せる波は、最初のうち一定の波高を保っているのだが、ある一瞬を境にリズムは崩れ、次第に大きくなっていく。
海水がすぐ足もとにまで迫っているのに、動くこともままならない。
動けないのか、あるいは動こうとしないだけなのか。

海面を数メートルの高さに盛り上がらせ、押し寄せてくるエネルギーの塊にとことん魅せられ、呪縛されていく。
身体ごと海にさらわれるかもしれないという恐怖より、波の砕け散る様を最後まで見届けようとする意志の力が勝り、仁王立ちでこれを迎えようとする。
壁のごとく覆いかぶさる水の圧力をすぐ間近に見ながら、巻き起こる風を全身に受けると、毛穴という毛穴が開き、逆立つほどの興奮を覚えるのだ。

足もとから海水が引き、沖のほうで一際大きく海面が山となって盛り上がる。
身長の十倍はあろうかと思われるその波が、すぐ眼前に迫ったところで夢から覚めるのが常だった。
初めて自分のヨットを所有する日の前日に見たのが、巨大な波の夢であるというのは、一体何を暗示しているだろう。

普段は、波に飲まれる直前、夢から覚めるのだが、昨夜は、海水の壁に正面からぶつかり、天地左右もわからない暗黒の領域に連れ去られてしまった。
それでもなお、夢から覚めることはなかった。なす術もなく水に翻弄された後、身体が浮上していくという確かな感覚があった。

力を抜いて身を任せていると、海上の光が目に届いてきた。
あれほど強引な力で押したり引いたりしていた波は、今はすっかりおさまり、まったくの凪に支配されている。
ゆっくりと浮上しながら見上げると、静かな海面の様子が知れてきた。

晴れ渡った空の色が、水中からでもはっきりとわかる。海面には小さくさざ波が立つだけだ。
差し込んでくる太陽は、屈折して揺れるせいか、光そのものが帯となって見えるような錯覚を抱く。
もうすぐ海面に到達しようかというとき、船越は、太陽に向かって手を伸ばし、光の帯を丸ごと掴み取るアクションを起こした。

心の底から湧き上がる欲求。
そして、握った瞬間、彼は叫んでいた。
「キャッチ・ザ・サン!」
太陽を掴み取ったという確かな手応えを得たところで、船越は、夢から覚めたのだった。
彼としては、この夢を、今後の人生をいい意味で暗示するものと思いたかった。

波にさらわれるのはぞっとしないが、穏やかな海へと浮上しながら太陽を掴み取った瞬間の満足感は、今もまだ手の中に残っている。
船越は、てのひらを広げて、その感触を確かめた。
……おれは、この手で、太陽を掴んだ。本当は太陽と一緒に、最愛の女性の身体も掴みたかった。

しかし失ったものを悔やむより、これから手に入るかもしれないものに向かって邁進するほうが、生きる意味をより多く発見できるに違いない。


引き波がすっかりおさまり、海面の浮遊物だちが落ち着きを取り戻すのを見届けると、船越は、堤防の手摺から離れて、ドックのほうへと歩き始めた。
ドックの中には、これからの人生をよりょく導いてくれる相棒が、鎮座ましましているはずだった。
東洋一を誇る規模のマリーナには、三つのドックが用意されていた。その一番北の端にあるドックは、海に向けて間口が高く広く取られてある。
内部は、四メートル程度の高さで、ぐるりと取り囲むようにして回廊があり、高所での作業がしやすくなっている。

 

 

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