星界の戦旗 V 家族の食卓
 
  待望の最新刊 ! ジントは王女ラフィールとともに故郷ハイド星界へと向かったが!? スペースオペラの新世紀を切り開く <星界>シリーズ  
著者
盛岡浩之
出版社
早川書房
定価
本体価格 560円+税
第一刷発行
2001/3/15
ISBN4−15−030660−5
ジントとラフイールを乗せた軽武装貨客船<ボークビルシュ>は、一路ハイド星系めざし平血宇宙を航行していた。<三カ国連合>艦隊の撤退により帝国領に復帰したハイド星系を、ジントが伯爵として正式に統治するためだ。だが、故郷である惑星マーチィンの領民政府は、頑強に帝国への帰属を拒んでいた。方、新たな艦種襲撃艦によって構成された第一躁欄戦隊もまた、戦技演習のためハイド星系へと向かっていたが……。

〈星界の戦旗U〉あらすじ

帝国暦955年、<人類統合体>の領域を分断する幻炎作戦を成功裏に終えた帝国星界軍は、残存する敵艦隊を制圧すべく狩人作戦を開始した。いっぽう狩人第四艦隊に所属する<バースロイル>艦長ラフイールは、艦隊司令長官ビボース提督によって領主代行を命じられ、惑星ロブナスUへと向かった。だがそこは、〈人類統合体〉の犯罪者を強制移住させた流刑惑星だった。しかも惑星の支配権をめぐって、管理者と受刑者の間で戦闘が勃発、管理者と受刑者の一部が移民を要望してきた。狩人作戦により追い立てられた敵艦隊が迫りくるなか、ラフイールはからくも住民の脱出を成功させる。敵艦隊の降伏後、ラフイールは傭兵団を組織し、救出作戦のさなかに地上で行方不明となったジントを無事発見した。

 

序章

自分で望んだことではなかったが、ディアーホは生まれてこのかた、幾たびも住処を変えてきた。
どの場所にもそれなりの美点があり、よそへ移りたいという欲求と彼は無縁だった。それでも、旧い住処を懐かしく思いだし、戻りたくなることはあった。
だが、猫という種族の記憶は移ろいやすく、実際にその場所を肉球で踏んだのか、それとも昼寝のあいだに見た夢に出てきたのか、すぐはっきりしなくなる。

はっきりしない記憶と夢の光景はあっというまに薄れ、圧倒的な現実に流されてしまうのが常だった。だがここでは、かっての風景はいっこうに脳裡から去らない。
ひどくあの場所に戻りたい。猫も人も礼儀を心得ていたあの場所が心地よかったこともある。しかし、それよりも、ディアーホはここが気に入らないのだ。人はそれなりに行儀がいいが、どこか心ここにあらずといった風情で浮ついて見える。ディアーホは雰囲気を読むのに長けている猫だったので、敏感に空気を感じとっていた。

雰囲気が悪いだけではない。ここの人間たちは不注意だ。しっぽを踏まれたことさえ一度ならずあったのだ。もっと問題なのは猫だ。秩序というものが感じられない。
小さな頭蓋のなかを嘆かわしい思いで満たしつつ領地の巡回をするディアーホの行く手を一匹の牡猫が塞いだ。

黒い毛を逆立てて威嚇をしているが、怒っているというよりは怯えているようだ。見かけない猫だ。おそらく追われて逃げたかなにかで迷いこんでしまい、帰ろうにも帰れなくなってしまったのだろう。
他者への思いやりを示すことは、猫の美徳に含まれない。まして相手が侵入者なら容赦は無用というものだ。ディアーホも毛を逆立て、牙をむいた。どちらが爪を先に出したのかははっきりしない。
猫の流儀からいえば、それはさしたる問題ではないのだ。とにかくディアーホは牡猫ともつれ合い、鋭い爪を突き立ててやった。ときどき毛繕いなどして休憩しつつ長時間闘い、ディアーホは若い牡猫を追い払った。

噛みつかれて傷ついた右の前脚を舐め、傷をいやす。同居人が見つけたら、恩着せがましい口調でなにごとか咳きながら、べたつくものを塗布しようとするだろう。
あれをつけると傷の治りが早いことには、ディアーホもおぼろげながら気づいていたが、その利点を考えてもあの匂いは我慢ならなかった。そろそろ腹が空いてきたディアーホは塒に帰ることにした。
アーヴの住処には昼も夜もない。時を告げるのはゆいいつ胃袋のみだった。いくつもの猫専用の扉をとおり、お気に入りの隙間に潜りこもうとする。そこには先客がいた。セルクルカだ。

純白の牝猫はこのところ機嫌が悪く、きょうも攻撃的だった。ディアーホが塒に入ろうとすると、牙を見せて威嚇する。なぜこんな仕打ちを受けないといけないのかディアーホにはわからない。ほんのちょっと前まで快く隙間を共有してくれたのに。変な匂いのする泡だった湯以外は何者をも恐れぬディアーホだったが、セルクルカを前にするとどういうわけか闘争心が萎えてしまう。

我が身に降りかかった不条理を嘆きつつ、あまり気に入っていない隙間でくつろぐことにする。運悪く同居人に見つかった。さりげないふうにその傍らをとおりすぎようとしたが、彼はディアーホの前脚に気づいた。

抱きあげられたディアーホはつぎに来ることを予想して、懸命の抗議をした。だが、それも虚しく、傷跡に刺激的な匂いのするものを塗りたくられてしまう。
「アーヴの七不思議のひとつだね」同居人がいう。

「なんで匂いのしない猫用傷薬を開発しないんだろう」「そんなことしたら、猫が舐めてしまうじゃないか」同居人の同居人がいう。
「だからわざと猫のいやがる匂いをつけてるんだ」
「それだったらまずい薬にすればいいのに」
「これはちゃんと苦いぞ」同居人は指を舐めた。

「苦いというより、しょっぱいな」
「その味が猫は嫌いなんだ」
「そうなの?」同居人は指をディアーホの鼻先に持ってきた。

この暴挙にたいして、ディアーホは爪を彼の手に突き立てた。


1マーチィンの花

その惑星は多くの同類がそうであるように、誕生したときは煮えたぎる溶岩の塊だった。
やがて、表面を覆っていた溶岩は冷え固まり、岩盤となった。気温が下がると、大気中の水蒸気が凝集し、生まれたばかりの岩盤に降り注ぐ。
降り注いだ水は集まり、巨大な海となった。海のなかでは、ごくありふれた化学物質が平凡な反応を繰り返し、蛋白質や糖に転換していった。ここまでは珍しくもない物語だ。

たしかに、その惑星は銀河のなかでも稀な型の存在だったが、なにしろ惑星というものは絶対数が多い。
高い活性を持つ細胞状構造をかかえた海はいくつもあった。奇跡と呼ぶには値しない。

だが、滅多にないことがその惑星の海で起こった。自己複製分子が発生し、細胞状物質とくっついたのだ。こうして誕生した原始生命は有機質を摂取し、増殖し、惑星の海を満たした。
増殖していった者どうしにも闘争があった。いくつかの種類は、活発な活動を保証する酵素を体内にとりこむことに成功し、ほかのぼんやりと動く生命を圧倒した。

ここまで辿りつくことのできた惑星はほとんどない。賭け値なしに奇跡的な出来事といってよかった。さらに、原始生命のなかには特殊な能力を獲得したものが出た。
ある意味で彼らは裏切り者だった。なぜなら、その光合成と呼ばれる能力の結果によって産みだされる遊離酸素は、原始生命にとって猛毒だったからである。
光合成のできる一族の繁殖力はすさまじく、たちまち大気も海も遊離酸素に汚染された。その結果、多くの生命が死に絶えた。死を免れたのは、酸素を頑強に拒む環境に居合わせた者と、酸素を利用する術を獲得した者のみ。

前者はともかくとして、後者は先祖たちよりも活発で、惑星の生態系をさらに豊饒にした。星たちにとっても長い時間を経て、惑星の生態系はまた奇跡を起こした。
多くの細胞によって構成される生命を発生させたのである。それまでも多細胞生物はいた。しかし、その細胞は機能が分化しておらず、ただ単に集合しているに過ぎなかった。
だが、新種の生命の細胞は単独では生きることができず、ひとつの存在の部品に過ぎないものだった。

多細胞生物は繁栄した。様々な形態が現われ、種の生き残りを賭けて戦った。浅海では光合成のための糸状体を毛皮のようにまとった魚類が泳翼をひろげ、深海では外骨格を持つ生物が放射状に並ぶ八本の足で闇歩した。

柔らかな身体を持つ巨大な腔腸動物は深い海底に定着しっっも触手を海面近くにまで伸ばしていた。球状の海木が深海から浅瀬まで潮流のままに転がっていた。
球状海木は生物学的に空白であった陸に打ちあげられた。陸は球状海木の生存には適さず、浜辺で枯れはてるしがなかったが、その種は風に吹き飛ばされて内陸に散った。
発芽した者のほとんどは成長できなかったものの、ある者は陸に適応した。その過程でさらに多様な変化を起こし、またたくまに地表を制覇した。なかでも多くをえたのは活動的な種子をつける木々だった。

ある者の種子は脚をはやし、ある者のそれは翼を持っていた。脚を持つ種子は大地を覆わんばかりの群となって内陸へ行進し、翼を持つ者は滑空機さながら風に乗って旅した。
やがてほかの植物も内陸への進出をおずおずと始める。その列には目端の利く動物たちがこっそり紛れこんできた。しかし、その惑星の奇跡はここで打ち止めだった。
あるいはこれから起こるのかもしれないが、それにはずいぶん時間がかかるだろう。奇跡を起こしたのは遥か離れた惑星だった。

そこでは生命がついに知性をえ、宇宙にまで進出をはじめたのである。奇跡続きの惑星から知的生命体が来訪し、わずかに後れをとった惑星をマーチィンと名づけて住み着いた。
原住生物は自分たちの住む大地に名前をつけることなど思いつきもしなかったので、この命名に抗議することはなかった。歓迎したわけでもなかったろうが。
異星起源の生命がこの地に足をおろしたのはそれほど昔のことではない。彼らは原住生命に敵意を持っておらず、それどころか好意すら持っていたので、その惑星で生まれた生命たちはそれまでの生活を乱されることはなかった。

たとえ知性があったとしても、自分たちが侵略されてしまったことに気づかなかったかもしれないほどだ。原住生物たちが太古よりつづく日常を送っているあいだ、異星からの生物たちはせっせと自分たちの生活基盤を築いていった。
やがて、新しい住人たちと起源を同じくする者たちがやってきた。知的生命体たちが故郷で培ってきた歴史のなかでは、第二の侵略もまたごく穏やかなものだったが、最初の侵略者たちはいたく誇りを傷つけられた。

だが、自尊心への衝撃よりももっと重大な問題があった。彼らは宇宙が動乱の時代にあることをはじめて知ったのである。孤立していて静寂の保障されていた生活がもう戻ってこないことを悟らざるをえなかった。
激動に彼らはなす術もなくのみこまれた。そして、その激動は暢気な原住生命たちにも及ぶ。本来ならその惑星の上で朽ち果てるべきはずだった生き物が星々の狭間に持ち出されたのだ。

「ジント、花が咲きそうだぞ」
「うん?」リン・スユーヌ=ロク・ハイド伯爵・ジントは食卓から顔をあげた。
「やあ、ラフイール、おはよう。朝食は済んだの?」

「まだだ」帝国王女にして休暇中の星界軍副百翔長アブリアル・ネイードゥブレスク・パリューニュ子爵・ラフイールは首をふった。
「じゃあ、いっしょにどう?」ジントは椅子を勧めた。
「わたしは」ラフイールは立ったままで、「花が咲きそうだといったんだぞ」

「ぼくにもそうきこえた」妙り卵を刺し匙で掬いながら、ジントはこたえた。
ここのところ睡眠不足気味だ。頭の芯が癖れたような感じがするし、食欲もあまりない。
「じゃあ、なぜまだ食べてるんだ?」ラフイールは非難の眼差しをむける。

「なぜって、まだ食べおわっていないから」ジントは簡潔明瞭な論理をもって説明した。伯爵という身分にもかかわらず、彼は慎ましく育ったので、食べ残しの料理を見捨てることに良心の呵責を感じるのだった。
「ばか」ラフイールは簡潔明瞭に評価した。

「花は咲く。猫は生まれる」ジントは部屋の片隅にしつらえられたセルクルカの産床を一瞥した。純白のアーヴ猫は生まれたばかりの三匹の仔猫たちに乳を飲ませていた。アーヴ猫は活発なわりにその性格はいたって温順なのだが、出産前後は例外らしい。

日用品倉庫の棚で出産の準備に入ったセルクルカをこの産床に移すにも苦労したし、出産後も仔猫に触ろうとすると、平静を喪う。
仔猫たちの身の振りかたはジントが決めることになっていた。ラフイールとの相談の結果である。だが、このぶんでは新しい飼い主を見つけてやるのはもうしばらく待ったほうがいいだろう。
なにより、ジントがもうちょっと仔猫といっしょにいたかった。ジントは視線をラフイールに戻し、

「花はすぐには枯れないよ。なにを慌てているのさ?」
「そなたにとって特別な花ではなかったのか」
「ああ」ジントは椅子から腰を浮かせた。
「あの花か。 「そなたがそんなに鈍いとは思わなかったからだ。ふつうの花が咲いたぐらいで、わたしがわざわざそなたに告げるものか」

「それはそうだけど、いまは起きたばかりで頭がうまく回転しないんだ」ジントは弁解した。じっさい普段なら、どの花のことをいっているのかを訊くぐらいのことは思いついただろう。
「嘘をつくがよい。そなたはいつでもそんなふうだぞ」王女は断言した。
「じゃあ、ぼくの鈍さがわかってないきみはなんなんだい?」

「そなたはときどき奇跡のように人並みになるんだ。鈍いなら鈍いままでいるがよい」
「理不尽な」
「どうするんだ?花を見に行くのか、それともまだ食べるのか?」

「見に行くよ」朝食の皿をジントは押しやった。「さげてよろしゅうございますか?」食卓が訊いた。
「ああ。お願い」罪悪感に苛まれながらジントがいうと、朝食の残りを載せた食卓の中心が沈んだ。
ジントは未練たっぷりの思いで朝食の消え去った食卓を眺める。

「そなた、意外といやしいな」ラフイールが呆れたようにいう。
「そんなに空腹なら、焦らずともよかったのに。花はきゅうには枯れぬのであろ」

「いや、あの花は咲くときがいちばんきれいで、それも咲きはじめたらあっというまに満開になってしまうんだ。それに、ぼくは腹が空いているんじゃなく、義務を果たせなかったことを悲しんでいるんだよ」「なんだ、その義務って?」
「きみにはきっとわかってもらえないよ」説明するのが面倒くさくて、ついはぐらかす。


 

 

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