糸井重里より、はじめに。
どんな人でも、得意なことや不得意なことを、持っているでしょう?
「俺はアレをするのが得意だ」
「私はこれをできる」……。
その得意なこと「だけ」を仕事にしていればいいという時代が、かってはあったと思います。
持ち場の仕事を丁寧に一生懸命やってさえいれば、うまくいった時代。
でも、自分の仕事をきちんとやるためには、他の人と組んで何かをする仕組みをつくらないと、本当の意味での完成にはとどかせることのできない時期になってきたように思います。
逆にいえば、他の人とうまく組んでいく仕組みをつくらないと、いつのまにか自分の仕事がなくなってしまいかねない、そういう時代なのでしょう。
いつのまにか、ほとんどの人が、その時代にさらされている。
会社員の人も、職人さんも、もちろん商売をしている人も。
努力をして、コツコツやっていれば絶対に大丈夫、なんていうものがなくなってきて、
「じゃあ、どうずればいいんだろう?」と、いろいろな人が少しずつ模索をはじめている時期だとぼくは思います。
そのことと、今回の対談をひきうけたいと思ったことは、重なってくるんです。
「今までのやりかただと、ダメかもしれない。でもそこで、人間やものごとを流通させて循環させて活性化させるには、いったいどうしたらいいのだろう?」そこでまず、次の方法への模索として、いろいろな人が飛びついたのは、いわゆるマーケティング的な理論でした。
アメリカですでに研究されたマーケティングの考え方を日本流にアレンジしょうという動きが、今でもあちこちで見られるように。
それさえずれば新しい時代についていけると思った人たちが、いつもの通りに、先に悩みを抱えたアメリカに、範を求めました。
株式上場をすることやMBAをとることや外資系の企業に行くようなことが、ここ数年はかなり流行しているように。
この流行は「ひとりで自分を磨いていけばいい」という原則がなくなって、別の方法をみんなが探している途中に見られる現象で、ぼくとしては、あくまで過渡期のものだと思っています。
つまり、アメリカの企業のやりかたを真似することは、ゴールではない。
アメリカだって、まだ悩んでいる。MBAをとることや外資系企業に就職することで自分の不安を解消するかのような流行がだいぶ続いたけれども、その流行がひと段落しそうになっている今、「俺はこんなに勉強したのに、何でうまくいかないんだろう?」そう思っている人も、多いのではないでしょうか。
ある指標やある組織に自分を依存させて生きていくだけでは、もはやうまくいかないのかもしれない。
それを、カラダで実感できる時期になってきていると思います。マーケティング的な方法は、「うまくいかないとしたら、これが足りないからですよ」と、あらゆる角度から教えてくれているように見えるんだけど……。
ところがそれは、まるで「理論のクスリ漬け」のようなものだと思います。
「このクスリが効かなかったら、これを使うといいです」「新しいクスリができました。今度こそよくなりますよ」クスリ漬けの生活の中で、「そのときどきにいちばん効くらしいクスリ」を手に入れて、ほんの短い時間だけ「うまくいっている」と感じていても、気持ちが悪い。
ただ、目先の情報にふりまわされるだけだから。
以前、ある婦人雑誌の「お金について考える」という座談会で、邸永漢さんをゲストにお招きしたら、ものすごく面白かったんです。
奥深いところをきちんと考えながら、今までの長い時代を、そのつど自力で泳いできた人のように思えました。
「お金をどう得ようかと考える人はいくらでもいます。ところが、お金と一口にいっても、入ってくるお金と使うお金とがあります。それが両方あわさって球面体のようになっているのだから、入るお金と使うお金がまるくおさまっていないと、お金ではないんです」そのときの邸さんは、そんなことをおっしゃっていました。
秀才的な勉強家だったら、「何をまどろっこしいことをいってるんだ。俺は稼ぎかただけを学びたいんだ」というかもしれない。
でも、ぼくは、その球面体としてのお金という考え方を聞いて、かなりびっくりしたんですよ。その後何かとお会いするたびに、邸さんは、奥ゆきがありながらも具体的な話をしてくれました。
「人間はいっからこういうことを考えているので、こうです」
「人間はこういう動物だから、ぼくはこういうように考える」
「社会の仕組みはこうなっているから、結論はこうだと思う」邸さんのしゃべる内容は、思考の筋道や社会の仕組みの発生するところがら考えられたものでありながらも、実際に通用する話になっていました。ぼくはそこに、とても感心させられたんです。徹底的に時間をかけて、邸さんにいろいろなことを聞いてみたくもなっていました。
だから、「邸永漢さんと対談をしてみませんか?」と編集者の方からお誘いを受けたときに、「ぜひ」とお応えしたんだと思います。
テーマは、お金のことを「とっかかり」にしました。
邸さんは「お金の神様」といわれているわけだけど、この「お金」って、あらゆるパワーを代表するいちばんの魔物だとされながら、いまだにどうとらえていいか、多くの人にはわからないものになっているでしょう?
けれども、今は、ぼくも含めて、「職人としての腕だけを磨くぞ」と、お金について考えることから逃げまわっていた人たちですらも、お金についてまじめに考えたいと思いはじめている時期なんです。
それならば、お金のことを軸に、邸さんが今まで素手でつかんできた考えかたをゆっくりと聞いていけば、いろいろな人の聞きたい話になるのではないだろうか。
それはぼくも聞きたいことだし……。
ふりかえってみれば、そんなことを考えながら対談に臨んでいたような気がします。今までお金から逃げまわってきた人にこそ、ぜひ読んでもらいたいと思います。
糸井重里
<イ> お金は怖いものでした
ぼくは相変わらず、お金に不自由なままで暮らしていますが、やっぱりそれは、今まで、お金について考えることから逃げまわっていた、ということも関係するんじゃないかと思うんです。
なんでお金について考えてこなかったのかと自己分析をしてみると、たぶん、それは……怖かったんじゃないかなあ。
お金について考えるのも、それはそれで大仕事だから、それをしていると、ぼくの持っている力のほとんどを吸いとられてしまいそうで。
だから、怖かったのかもしれないです。
それに今まで、お金にひきずられて生きている人を、たくさん見てきました。
「ああは、なりたくないなあ」という思いを、自分の防衛本能のように、いつも体の一部には持っていたわけです。
でも、よくも悪くも、そこでぼくは、お金から少し離れちゃった。
お金に対してナナメを向いているぐらいならまだよかったんだけど、ぼくの場合は、もうほとんど完全にお尻を向けてしまっていたわけです。
とにかく、お金に関してだけは考えないようにして、しかもラクして生きられる方法はないだろうか?そう考えながら、この年まで生きてきたような気がします……。
邱
お金はね……怖いですよ。
糸井
やっぱり、怖いんですかあ!
邱
「もしかして自分は、お金のことに対して、あまり能力がないのではないか?」それは誰でもが、おそれている事柄だと思うんです。
糸井
え、誰でもですか?
邱
うん。だから、お金を扱うことについては、避けて通れるものなら通りたい、という心理が、はたらくのではないでしょうか?
糸井
あ!ぼくだけじゃないわけですね。
邱
そうそう。そうだと思いますよ。
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