この日本をどうする 再生のための10の対話
『言語空間』をブチ破れ !
西村慎太郎(衆議院議員)
石原慎太郎
■西村真悟(にしむらしんご)
昭和二十三年(1948)生れ。京都大学法学部卒業後、神戸市職員、弁護士を経て、平成五年に民社党から衆議院議員に当選(現在、自由党)。外務委員、安保委員、防衛政務次官などを歴任。平成九年には尖閣諸島に上陸視察。平成十一年には「核武装の肯否を国会で検討すべき」などの発言が「失言」と攻撃され、防衛政務次官を辞任した。
■「諸君!」平成十二年十月号
事実を語るのが失言なのか
西村 昨今の政治家に対する「言葉狩り」は目に余るものがあります。私の「核武装」「強姦」云々のレッテルを貼られた発言、また石原さんの「第三国人」発言や森首相の「日本は神の国」発言などが相次いだためか、政治家の発言の言葉尻をとらえて非難する本が何冊か出ています。
本来、政治家の「失言」というものは、国益に反する発言や間違った事実に言及したり、ウソを言った時に当てはまるものです。例えば、河野洋平氏が、かつて官房長官時代に慰安婦の強制連行に政府や軍が関与した事実があったような発言をしました。しかし、この件については、何故か失言として批判する声はほとんど聞かれませんでした。
でも、これこそ失言の最たるものだと思います。
石原 あの人は外務大臣としても本質的に問題だね。僕がこの前、台湾に行った時に「中国が台湾に侵攻したら、江沢民はヒットラーだ」という、しごく当たり前の発言をしたら、表現が好ましくないと漏らしたようだけど、一体、どこの国の外務大臣なのかね。
同じ民族でも、中国と台湾はドイツとオーストリアのように別々の国として存立しているわけです。ヒットラーは武力を背景にして強引にオーストリアを併合して一つの国にしてしまった。江沢民が同じことを、台湾にもやろうとすれば、まさにヒットラーの再来というしかない。
そもそも、河野君は、以前、外相会議で東南アジアに行く時に台風の影響で、台北に緊急着陸したら、何と「中国はひとつ」というわけで機内から一歩も外に出なかったと、後に銭其深外相に得々と喋ったという。こういう政治家は、絶対にどこの国からも尊敬されないね。そんなことも分からないなら、彼の政治的IQはレベル以下というよりない。
西村 中共に媚びへつらうような発言こそ、失言の最たるものでしょう。
石原 最近の言葉狩りやら、「失言を撤回せよ」と居丈高に告発するやり方は、日本に於ける言語空間を狭くするだけだ。占領期のGHQの検閲がいかに徹底していて、そのために日本の言語空間がいかに閉鎖的になってしまったかを江藤淳がかつて「諸君!」で告発していたけど、今はGHQに代わってマスコミが検閲をやっている。まさに自縄自縛だね。
西村 政治の世界での「失言」騒動は、昭和十五年二月二日に民政党の斎藤隆夫が衆議院で軍部の戦争政策を批判した、いわゆる「反軍演説」に始まる気がします。朝日新聞は、斎藤氏が事実を指摘したにもかかわらず、翌日の紙面で「斎藤氏質問中に失言」「除名問題に迄発展か」「陸軍・各会派とも激昂」と報じたのです。しかし、斎藤氏の発言が「正論」であって、断じて失言ではない。
そもそも「失言」というのは、「過失」の「失」ですから、交通事故の業務上過失のように、前を見ずに突っ込んで人を怪我させるようなのと同じニュアンスでしょう。ですから自覚的に「王様は裸である」と、事実を事実として指摘するのは「失言」でも何でもない。そもそも、私の発言や石原都知事の発言を歪曲して「失言」扱いするのは、もっぱら左翼系です。
ですから本当の失言であっても、左っぽい人が言うと見て見ぬフリをする。マスコミの多くは左翼系ですから、商売、飯のタネとして我々の発言を弄んだだけとも言える。
石原 失言というのか禁句というのか、そういうタブー扱いされている言葉がマスコミには沢
山ありますね。だけど、ドストエフスキーの『白痴』は今だって本屋にあるでしょう。岩波文庫にも。原題は「イディオット(idiot)」だから、これを『頭の悪い人』とは訳さないよ(笑)。目の悪い人や耳の聞こえない人に向かって「盲」や「聾」という言葉は使っちゃいけないと思うけど、「盲判を押す」や「聾桟敷に置かれる」という言葉はあってもいいと思う。
でも、最近は「婦人警官」も駄目で「女性警官」としないとフェミニストがうるさいらしい。
「ペンキ屋」も駄目で塗装業といわなきゃいけない。「八百屋」も青果業になる。こうなったら、言葉に関しての伝統も文化もヘチマもないね。
さらに政治空間として、「南京大虐殺三十万人は数の上でのでっちあげ」と語ると失言扱いされるのも変な話だ。西村さんの指摘する通り、事実を事実として語ったら失言になるわけがない。以前、古森義久氏が「南京事件を世界に知らせた男」一「文勢春秋」平成元年十月号一で書いていたように、ニューヨーク・タイムズの中国特派員で、南京にいたティルマン・ダーディンでさえ、当時の報道として処刑されたのは軍人約二万人、民間人数千人程度であったとしている。
日本軍はゲリラ戦に対する対策をもっていなかったので、便衣隊にヒステリックに対応したりして一万単位の殺害はあったかもしれないが、計画的に三十万もの無事の市民を虐殺したという事実はありえない。
第一あの装備、あの期間では不可能です。南京陥落後すぐに、日本からも石川達三や大宅壮一が報道班員として現地に足を運んでいますが、私が質したら虐殺など見なかったと私に答えています。石川さんは『生きてみる兵隊』を検閲された体験もあるし、どちらかといえば反体制的な人ですよ。そういう日本の良識を持った知識人中の知識人の言葉の方を僕は信じます。
そもそも、南京大虐殺というのは東京裁判で突如として言われ始めたわけで、これとて、アメリカが広島・長崎における原爆による虐殺の原罪感を引っ繰り返すために持ち出したものだと思う。
言葉尻を捕まえる恥さらし
西村永野茂門さんも、「南京事件というのは、でっちあげだと思う」と語って法務大臣をクビになったわけですね。幸い、こういう雑誌メディアの空間では、南京でも核問題でも自由に会話をすることができるのですが、ひとたび、政治の世界に戻ると、もはやこういうテーマでは自由な議論は不可能になる。
これは日本の政治をかなり麻痩させていると思うのです。さまざまな問題点を率直に語ることを排除しながら政治が動いていくと、やがてゲッベルスの政治宣伝に支配されたナチス支配下のドイツのように日本国民も目や耳や口を塞がれていく可能性が高くなる。
すでに国防や国益について率直に語ることができなくなっているし、文化的な面でも、例えば、私の好きな勝新の「座頭市」は、とっくにテレビでは見られなくなってしまった。
石原 えっ、そうなの?
西村 ”暗くなりゃ盲のもんだ”といった趣旨のセリフがいけないらしい。
石原 弟裕次郎の名歌である「狂った果実」もNHKでは放送されないみたいだけどね。”狂
つた”が入っていて駄目らしい(笑)。
西村 じゃあ、「ハンガリー狂詩曲」も駄目か(笑)。
石原 駄目ですよ。狂人といった言葉も使えない。でも、「狂人」は「狂人」なんだけどね。
西村 魯迅の『狂人日記』はまだ大丈夫みたいですがね(笑)。しかし、まあ、そうした「差別語」はともかくとして、肝心なのは政治に於ける発言の制約ですよね。「週刊金曜日」(平成十二年七月二日号)では石原慎太郎特集をしていますが、その「石原慎太郎の歩みと暴言」という年表の中に、一九六七年に石原さんが「憲法九条は改正すべきだ。核開発は必要だ」と自民党入党記者会見で語ったのが「暴言」だとしていますが、何でこんなのが失言よりタチの悪い暴言扱いになるのか。私にしても週刊誌で「核を持たないところがいちばん危険なんだ。日本がいちばん危ない。日本も核武装したほうがええかもわからんということも国会で検討せなアカンな」と発言したのを、『大失言』という本では「日本も核武装したほうがいい」と発言したと歪曲され、「意図も脈絡もない妄言。ここから日本の失言の質が変わった」とレッテルを貼られています。
石原
僕のいわゆる「第三国人」発言の時に、「不法入国した」を意識的に省いて報道したのと同様に、ちょっと単純化しすぎていますね。最初の選挙の折りにも、いざという時のために核兵器の開発につながりうる核技術の開発は進めなくてはいけない、特に高速増殖炉は必要だ
と発言しただけですよ。核の技術を日頃から高めておくことは、万が一の時には大事な抑止力になるわけですからね。
かつて昭和四十五年だったけど、アメリカの核基地を視察して、日本に対するアメリカの核の傘はないといった趣旨の論文を「諸君!」(昭和四十五年十月号一に書いたことがあったが、その時、編集部が「非核の神話は消えた」という題をつけた。僕はもう少し柔らかい題名をつけてたんだけどね。
リードには「アメリカはその核の傘で日本を守ることはできない」「外交手段としての核保有についての幅広い討論を呼びかける衝撃の論文」とあって、あたかも核武装を主張したようにうたっていた。そんなリードを付けた「諸君!」もケシカランけどさ(笑)。
僕は「日本の核保有が討論されるべき時期に来ているのではないか」と指摘した程度でしたがね。以来核兵器保有論者にされてしまった。
西村 私と同じ趣旨の発言ですね。
石原 そしたら、読みもしない馬鹿な某参議院議員が、僕が大臣になった時に予算委員会で、この昔の論文を持ち出してきて、”お前は核武装論者だ。大臣になりたくて核武装を捨てたのか”なんて言ってくるから、”論文を読んだのか。どこを読めば、核保有論者になるんだ”と反論したらロモグモグして引き下がってましたが、人の発言を批判するならフルテキスト読んでからにしてほしい。リードか題名だけチラッと見て、言葉尻を捕まえようとすると、そういう奴こそ恥をかくね。
この前の「第三国人」発言にしても、結局、共同通信社から詫び状を取りましたよ。「不法入国した多くの」を意図的にかカットした記者も、自分のホームページなどを作っていて、当初は鞍馬天狗のようにいい気分でいたらしいが、実態が知られるにつれ、脅迫もされたのか、先ず僕にお詫びめいた私信を送ってきていました。僕は共同通信社を名誉殿損と損害賠償で訴えるつもりで弁護士に相談していたんだが、その私信を共同通信社側の弁護士にも提示したら、向こうも愕然としたのかな、結局詫び状を寄越してきた。
西村 そういう風に議論というか反論しあうということが大事であり、失言したと決めつけて反論の機会も奪うような言論弾圧をマスコミがしばしば行なうことには十分注意をしなくてはいかんと思うのですが、外交の場合も、言葉は重要な要因であるのに、臭いものに蓋をして、このテーマはちょっと拙いから先送りにしておこうなどということを日本はよくやる。その典型がこの前の沖縄サミットです。結局、あれは八百億円を使った単なる「ムラ起こし」でしかなかった。
地理的、戦略的に中共、台湾、朝鮮半島の近隣に位置する沖縄でサミットが行なわれる以上、当然、アジアではまだ終焉していない冷戦構造に関して議論し、世界の眼をアジアに向けさせるようアピールする必要が日本にはあったはずです。
そして、アジアにはコソボや中東同様、中共と台湾、北朝鮮と韓国といった火薬庫が二つあるんだぞ、ここでは武力を行使する恐れがあるのは共産圏の側であって、そんなことは絶対させないぞといった趣旨の沖縄宣言を出すべきだった。
ところが、韓国と北朝鮮の首脳が仲良くなって万々歳といった程度でお茶を濁しただけでしょう。
しかし、歴史的に見ても百済、新羅、高句麗以来の朝鮮半島内の地域対立は千数百年も前から続いているわけで、一朝一夕に南北朝鮮の間で和解が進むとは思えない。
石原 あの首脳会談によって、逆に朝鮮半島の「ベトナム」化が進むのじゃないかな。
下手したらナショナリズムという錦の御旗に幻惑されて、ベトナムのように韓国が北朝鮮に併合されて、朝鮮半島からアメリカが撤退し、その背後に中国という存在が今以上に際立ってくるかもしれない。
そういうシナリオも検討する必要があると発言したら、これも「失言」にされてしまうだろうな。南北の首脳がせっかく対話をした時に何と不見識なことを言うのかって。
土井たか子みたいにピースピースって言えば、何でも解決できると多くの国民というか、多くのメディアは思っている。
日本人には国際政治を考える上でのゲーム感覚すらもない。
西村 ロシアのプーチン大統領が、中共や北朝鮮と示し合わせてアメリカのNMD(国土ミサイル防衛)やTMD(戦域ミサイル防衛一を非難していましたが、日本の首相や外務大臣はそうした「妄言」には素早く、打てば響くように反論しなくてはいかん。
産経(平成十二年七月十四日付け)によれば、中共は、NMDやTMD構想のきっかけが中国の攻撃用弾道ミサイルの増強であるとするのを批判するにあたって「日本は第二次大戦で中国領土内で中国人を三千万人も殺した」「そんな歴史の経緯を持つ日本がいま中国へのミサイルの攻撃能力への脅威を感じるなどというのはとんでもない」と感情的な暴言を吐いている。
南京三十万の次は、全土で三千万人とは誇張もはなはだしい。私は一連の発言で防衛政務次官を辞任し、その後、自由党は連立政権から離脱しましたが、もしそのまま政務次官としてサミットに関係していたなら、「純粋に防御的な研究をするのがなぜ悪いのだ。
ロシアや北朝鮮や中共が日本に照準を当てている核ミサイルが万が一、日本に発射されたら、我々日本人は落ちるのを座して傍観するわけにはいかない。また、台湾海峡、朝鮮半島で武力を行使させないためにも、TMDは戦争に対する抑止力になるんだ」と主張しますよ。
これ、失言ですかな(笑)。
石原 いや、全くその通りで、日米の新ガイドラインの適用にしても、日本の周辺地図を見れば台湾が入るのは当たり前なのに、調印した橋本元首相もふにゃふにゃですませるし、加藤紘一幹事長(当時)なんかは北京に出向いて、周辺には台湾は入りませんとご注進するんだから情けないね。
梶山静六官房長官(当時)だけが、台湾が入らないわけがないと明言したけど、自民党内でも後の連中は口を閉ざしてしまった。
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