欧米掃滅 上
 
  "憎悪”が欧米を危機に陥れた!?好評の国際謀略 サスペンス 第三弾 !!  
著者
トム・クランシー / スティーヴ・ピチュニック / 伏見威蕃 訳
出版社
新潮文庫 / 新潮社
定価
本体価格 590円+税
第一刷発行
2001/3/1
ISBN4−10−247217−7
映画のロケ中だった。各地で右翼団体が集結し暴徒と化しているドイツで、
旧ドイツ軍の遺物を満載したトレイラーの襲撃事件が発生。
乗っていたアメリカ人女性も誘拐された。
折しも、最新鋭のハイテク機器購入のためドイツを訪問20していたオプ・センター・チームは、
米国と欧州を同時に陥れる、憎悪を利用した邪悪な陰謀に挑むことになったが。
好評の国際謀略サスペンス第三弾!

木曜日 午前九時四十七分 ドイツ ガーブセン

つい数日前まで、二十一歳のジョディ・トンプソンは、戦争と縁がなかった。
一九九一年にはもっと幼くて、男の子や電話やニキビに気をとられ、湾岸戦争にはたいして注意を向けていなかった。おぼえているのは、テレビで観た、緑色の夜空を白い閃光が切り裂く映像と、イスラエルとサウジアラビアに向けてスカッド・ミサイルが発射されたという話だけだ。記憶が貧弱なのは自慢にならないが、十四歳の女の子にはそれなりに優先しなければならないことがある。

ヴェトナムは両親の世代の出来事だし、朝鮮戦争については、大学一年生のときにようやく記念碑ができたことしか知らない。
第二次世界大戦は祖父母たちの戦いだ。とはいえ、不思議なことに、いまはそれをいちばんよく知りつつある。

ジョディは五日前に、めそめそ泣いている両親や狂喜している弟、身近いボーイフレンド、悲しんでいるスプリンガー・スパニエルのルースを残し、特別映画〈ティルピツツ〉の撮影助手見習として、ロングアイランド州ロックヴィル・センターからドイツヘやってきた。機内で台本を読むまでは、アドルフ・ヒトラーや第三帝国や枢軸国のことは、ほとんど知らなかった。ときたま祖母がルーズヴェルト大統領のことを恭しく話し、原子爆弾のおかげでビルマの捕虜収容所で悲惨な最期を遂げずにすんだ祖父が、折々トルーマン大統領について敬愛をこめて語る。その収容所で、祖父は拷問した兵隊の耳を噛み切ったことがあった。どうしてそんなことをしたのか?それではよけいひどく拷問されたのではないか?とジョディがたずねると、温和な祖父はこう答えるのだった。

「人間は、ときには必要なことをやらなければならないんだよ」そうしたことをのぞけば、ジョディが目にする第二次世界大戦といえば、MTVにチャンネルを変えるときに一瞬通り過ぎるケーブルニァレビの美術娯楽チャンネルのドキュメンタリーぐらいのものだ。

そんなわけで、いまは世界を呑み込んだその混沌について、一夜漬けで勉強している。ジョディは活字を読むのが嫌いだ。《TVガイド》ですら、記事を半分読んだあたりでわからなくなる。ところが、米独共同制作の台本には、すっかり引き込まれた。危倶していたのとはちがって、軍艦や大砲ばかりが出てくるのではなかった。人間について書かれていた。北極海の凍てついた海で軍務に携わった数十万の乗組員、そこで溺れ死んだ数万の乗組員のことを、それを読んで学んだ。戦艦ティルピッツの姉妹艦ビスマルク─ ”七つの海の恐怖”についても知った。ロングアイランドに本社のある工場が、連合軍の軍用機の製造に誇るべき大きな役割を果たしたことも知った。兵士の多くは自分のボーイフレンドのデニスと変わらない年頃で、おびえていて、そういう立場に置かれたらデニスもきっとおなじようにおびえるだろうということを悟った。

そして、セットに到着してからは、その力強い台本が生命を持ちはじめるのを目にしてきた。
きょうはハノーファー郊外のガーブセンの山小屋で、名誉を傷つけられた元突撃隊将校が、家族を捨て、身のあかしを立てるためにドイツの軍艦に乗り込む場面を見た。一九四四年、ノルウェーのトロムセフィヨルドでティルピッツを転覆させ、乗組員干名を海に葬った英国空軍のランカスター爆撃機の編隊攻撃の手に汗握る特殊効果場面も見た。そしてこの小道具用トレイラーで、じっさいに戦争の道具に触れている。

ジョディは、こうした正気の沙汰とは思えない出来事がじっさいにあったというのが、いまもって信じ難かったが、その証拠が目の前のテーブルにずらりとならんでいる。古びた勲章、飾り紐、襟章、袖口の金モール、武器など、ヨーロッパやアメリカで私蔵されていた記念品を借り出し、これまでにない分量の陳列がなされている。棚にきちんと保管されている革装の地図、軍の書籍、万年筆は、フォン・八一ボウ元帥の書斎にあったのを、その子息から借り出したものだ。クロゼットの書類箱には、偵察機と小型潜航艇が撮影したティルピッツの写真が収められている。

プレキシグラスの陳列ケースには、ティルピッツに命中したトールボーイ一万二千ポンド爆弾の破片が収められている。長さ六インチのその錆びた破片は、映画の終りのクレジットが流れる場面の背景の画像に使われることになっている。それらの貴重な記念品に皮脂がつくおそれがあるので、すらりとしたブルネットのジョディは、映像芸術学校のスウェットシャツで両手を拭ってから、目当てのほんものの突撃隊(SA)の短剣を手に取った。

大きな黒い目が、銀の錨のついた茶色い金属の鞘から茶色い柄へと視線を動かしていった。柄頭近くの丸のなかに銀の字でSAとある。その下にドイツの紋章と鷲と鉤十字が象られている。鯉口が硬いので、ジョディはゆっくりと刃渡り九インチの短剣の鞘をはらい、じっくりと眺めた。

短剣は重く、恐ろしげだった。これが何人の命を絶ったのだろう、とジョディは思った。何人の妻を未亡人にしたのだろう。このために何人の母親が泣いたのだろう。裏返した。刃の表に〈アレス・フユール・ドイチェラント〉と黒で彫られている。昨夜のリハーサルではじめてその短剣を見たとき、ヴェテランのドイツ人俳優が、それは〈すべてはドイツのために〉という意味だと教えてくれた。

その俳優はこういつた。「当時のドイツで生きていくには、すべてをヒトラーに捧げなければならなかった。自分の会社も生命も人間性も」ジョディのほうに身を乗り出した。「自分の恋人が第三帝国に逆らうようなことを瞬いたら、その女を密告するほかはなかった。それどころか、密告するのを誇りに思わなければならなかった」
「トンプソン、短剣は!」ラリー・ランクフォード監督の甲高い声が、ジョディの物思いを引き裂いた。ジョディは短剣を鞘に収め、急いでトレイラーのドアに向かった。「ごめんなさい!」ジョディは叫んだ。「お待ちだとは気がっかなくて!」ステップを飛び降りて、警備員の前を駆け抜け、トレイラーを走ってまわった。

「気がっかなかっただと」ランクフォードがどなった。「われわれが待てば一分間に二千ドルもの大金がかかるんだぞ!」監督が顎を赤いアスコット・タイから突き出し、手拍子を取りはじめた。「これで三十ミドル」手を打つごとにいった。「六十六ドル、九十ドル」

「すぐ行きます」ジョディが息を切らしていった。「─百三十ニドル─」ランクフォードはあと十分は撮影をはじめないはずだとホリス・アーリンナ助監督がいったのを信じたのが馬鹿だった、とジョディは思った。プロダクションの助手に前もって注意されたとおり、アーリンナは大きなエゴを持った小男で、他人を卑屈にさせることでそのエゴを養っている。

ジョディが近づくと、アーリンナが監督とのあいだに出てきた。荒い息をしているジョディが立ちどまって短剣を渡した。アーリンナはジョディと目を合わせず、背を向けて、監督までの短い距離をちょこまかと駆けていった。

「ありがとう」若い助監督が短剣を渡すと、ランクフォードが愛想よくいった。監督が俳優に、息子に短剣を渡すときのそぶりをみずからやって見せるあいだ、アーリンナはすこしあとにさがった。ジョディのほうは見ず、彼女が立っているところよりだいぶ手前で足をとめた。

まあこんなものだろう、とジョディは思った。ロケ地に来て一週間とたたないうちに、ジョディは映画界の仕組みを早くも見抜いていた。頭がよく野心的な人間がいると、みんながその人間を間抜けで気が利かないように見せて、脅威ではないようにする。そして、しくじった人間とは距離を置く。

どんなビジネスでも似たり寄ったりなのだろうが、映画界の人間はその点、芸術的なまでに意地が悪い。小道具トレイラーに歩いてひきかえすとき、ホフストラ大学にいたころは自分や友だ
ちにはちゃんとした支援体系があったのを、ジョディは懐かしく思った。

しかし、なんといってもそこは大学だし、ここは実社会なのだ。自分は映画監督になりたいのだし、この見習の仕事を得られたのは、とても運がよかった。もっと強くなり、利口になって、最後までやり遂げようと、ジョディは決意した。

生き残るために必要ならば、みんなとおなじように図々しくなろう。ジョディがトレイラーに近づくと、年配のドイツ人警備員がなぐさめるようなウィンクを送った。
「あの威張りくさった連中は、俳優にはどなれないものだから、代わりにあんたたちをどなるんだよ」警備員がいった。「あまり気にしないことだ」「気にしていません、ブーバさん」ジョディがにっこり笑い、嘘をついた。トレイラーの車体に吊るされているクリップボードを取った。

そこにはきょう撮影されるショットと、場面ごとに必要な小道具が記入されている。「どなられるのがここでいちばんひどいことなら、べつに死にはしないし平気よ」ステップをあがるジョディに、ブーバが笑みを返した。

ジョディは、煙草一本のためなら人殺しも辞さないような気分だったが、トレイラーのなかで吸うのは禁じられているし、表でぶらぶらしているひまはない。いまはそれより些細なことのために人殺しも辞さない気分だというのは、認めざるを得なかった。たとえばアーリンナを厄介払いできるなら。ドアまでいったところで、ジョディが不意に動きをとめ、遠くに目を凝らした。「ブーバさん。森のなかでだれかが動くのが見えたような気がしたんですけど」ブーバが爪先だって、そっちを見た。

「どこだ?」「四分の一マイルぐらい離れたところ。まだショットの範囲の外だけど、ランクフォードの撮影を台無しにしたらどんな目に遭うか」「まったくだ」ブーバが、ベルト・ストラップから携帯無線機を抜いた。「どうやってはいりこんだのか、わからないが。だれかに調べさせる」

ブーバが無線機で報告し、ジョディはトレイラーに戻った。ランクフォードとその立腹のことを忘れようとつとめながら、見習い助手を責める監督という名の暴君ではなく、武器を帯びて国家を攻撃する暴君たちの暗い世界へとはいっていった。

 

 

 

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