ガングロ学
留学したかった!
ドレスを着るために体型改善せねばと、二週間ダイエットに励んでいた私であるが、パリ行きの飛行機に乗ったとたんに気がゆるんだ。機内食をどっさり食べ、椅子から動かない十何時間かを過ごし、着いた日は深夜においしいタイ料理をたらふく口にした。そして罰はすぐに下った。
次の日の夕方、ドレスのファスナーが上がらなくなってしまったのである。
「そんなあ、一日半で人間がそんなに太るはずありませんよ」
なんとかファスナーを上げようと一生懸命手伝ってくれた、ほっそりと美しい三枝成彰夫人は笑う。こういう人は、肥満の怖七き強大さを知らない幸福な人である。
私は帰国後、こわごわと体重計にのった。そしてああと天を仰いだ。わずか八日間で三・五キロ太っていたのである。外国は治外法権という感じで、フルコース全部いただいた。当然ワインもデザートもだ。パリの秋に行くのだ。カロリーのことを考えるなんて、美食の国に対して失礼ではないかと、まあ素晴らしい言いわけをつくった。
この報いがこの数字なのである。が、そんなことはどうでもいい。体重なんか落とせば済むことではないか(ちゃんと落としたことがあったっけ)。
私はパリでおいしいものを食べながら、素敵な人と会う、という至福の時を過ごしたのである。
それにしてもパリの食事は時間がかかる。ちょっとしたレストランへ行くと、昼食三時間ということが珍しくない。
昼食に三時間、夕食に三時間半、合わせて六時間半という時間をテーブルの前で過ごした日もあった。東京ではこんな賛沢はちょっと出来ないであろう。
久しぶりで千代菊さんにあった。彼女はその美しさと聡明さとで、新橋の売れっ子芸者だったのだが、三年半前にすべてを整理して。パリに留学したのである。今はフラワーアレンジメントの勉強をしていて、もうじき日本にスタジオを持つという。
「十年後どうなっているかわかる自分の人生に、ピリオドをうちたかったから」
と彼女は言った。三十代のうちに何かを始めなくてはと決意して、このパリにやってきたという。私は千代菊さんとお座敷で親しくなった、というよりも、日本舞踊を通しての仲だ。私と同門の赤坂の芸者さんが彼女の親友だったのである。以前から頭のいい素敵な女性だなあと思っていたが、。パリに来てから本来の彼女のよさが、どんどん出ている感じだ。
黒い髪をまっすぐにして、ちょっとアイラインを入れているのが、日本人形みたいでとても縞麗。もちろんフランス人にももてもてで、とても楽しい留学生活のようだ。
そういえば若い頃、。ハリに留学しようと本気で思ったことがある。今から二十六年前、大学生になったばかりの私は初めてパリにやってきた。あの頃はフランスも学生運動の火がまだくすぶっていた頃で、カルチェ・ラタンには不思議な熱気があった。
すごい人だかりがして何だろうと見ていると、当時世界で大流行していたストリーキングが始まるところであった。目の前を素っ裸の男性が駆け抜けていったのを今もはっきりと思い出すことが出来る。
それに釣られたわけではないが、絶対にソルボンヌ(の付属の語学学校)に留学しようと決意し、帰るやいなやリンガフォンを買いに走ったものだ。が、私のことだから二章以上は進まず、もはや年代もののテープとテキストがこのあいだ引越しの時に出てきたつけ。
私は今でも口惜しい。大学を卒業してどこにも就職出来なかった時、どうしてアメリカなりフランスに行かなかったのだろう。日本でバイト人生をおくるなら、ニューヨークの日本人経営の店でウェイトレスでもすればよかった。そうすれば英語ぐらいは身につけられたかもしれない。この年齢になって、いろいろ恥もかかずに済んだのではないか。
あれこれ考えながら帰国したら、一冊の本が届いていた。『パパとママの娘』という懐かしい本で、著者からの丁寧な手紙も添えられていた。これにはいろいろなエピソードがある。昨年のこと、ニュースキャスターの安藤優子さんと対談で喋っている最中のことだ。安藤さんのアメリカ留学に触れて、「私もアメリカに行こうと思ってたの。『パパとママの娘』が愛読書だったから」
というようなことを私が言ったとたん、
「え、私もそう」
と安藤さんが嬉しそうな大声をあげた。
「あの本が、アメリカ留学のきっかけになったのよ」
『パパとママの娘』というのは、昭和三十六年に発行されたアメリカ留学記である。昭和三十二年、AFS(アメリカの交換留学生制度)の試験に落ちた能勢まさ子さんは、ショックでかなり落ち込んでしまったものの、どうしてもアメリカへ行きたいという気持ちは日増しに大きくなるばかりだった。
いろいろ問い合わせた揚句、彼女はインディアナポリス・スター新聞に投書する。
「誰か私をアメリカにひき取って留学させてください」
という文章が載り、彼女はとてもよいホストファミリーを得ることが出来たのだ。
そこで彼女は夢のように楽しいハイスクールニフイフを経験する。ピクニックにパジャマパーティー、そしてダンスパーティーにデイトだってあるぞ。田舎の中学生だった私が憧れたように、何年か後、都会っ子の安藤さんもこの本を読んでアメリカヘの夢を募らせたという。
本の冒頭を読むと、この時の私たちの対談がきっかけで、今年復刻版が出来たというのだ。
とても嬉しい。
私は三十年ぶりにこの本をめくったのであるが、昔のお嬢さんの知性、美しい言葉遣い、両親に対する敬い方などに驚いた。あの頃はこのくらいのレベルの人々が留学していたんだ。
アホな田舎娘の私は、能勢さんのまるっきり真似っこをして、インディアナポリス・スター新聞に同じような投書をした。もちろん返事は来なかった。
しなかった人生のことを考えると、この年になっても、つう一んと鼻の奥が痛くなる。千代菊さん、頑張ってね。
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