プロローグ
「それで、なんの話だ」
「なんの話だ……は、ないでしょ」
「そうよ。わざわざ出向いてきてやったのに」
「そこが問題なんだよ。会社には来るなって言ってただろ」石崎幸二は辺りを見回した。受付の女子社員も、その奥の総務課の社員たちも石崎の方を興味深そうに眺めている。
「みんなこっちを見てるな。ちゃんと仕事しろっつうんだよ。まったく」石崎が毒づいた。
石崎は旭重科学工業というメーカーに勤めている。ここは、都内某区にある中央研究所、その玄関ホールにある来客との打ち合わせ用に設置されているスペースである。
この場所は、アポイントメントのない来客や、単なる出入り業者との打ち合わせ用に設置されているスペースであるため、他人に見られ放題である。
本来ならば、たとえ重要でない客とわかっていても、じろじろ見たりする社員はいない。それが会社というものである。そこに石崎は、御薗ミリア、相川ユリと座っていた。打ち合わせ用のスペースに、彼女たちと座って話をしていてもなんら問題ないはずである。
ただ彼女たちの格好が問題だった。二人とも高校の制服姿だったのだ。御薗ミリアと相川ユリは高校生だ。
彼女たちの制服は、マニアと呼ばれる一部の人たちでなくても知っている有名なお嬢様学校、『私立櫻藍女子学院高校』のものだ。御薗ミリアは、その夏服の白いブラウスの背中を半分隠すくらいに髪を長く伸ばしていた。相川ユリは、襟につけた黒いリボンにかかるくらいの髪の長さだ。もちろん二人とも髪は染めていないし、パーマもかけていない。
色白の顔に、おかしなメイクなどもしていないし、靴下もだぶついてもいない。二人とも入学案内のパンフレットのモデルになってもおかしくなかった。ただこれは、二人が高校の厳しい校則を守っているからではないそうだ。
石崎が以前二人に聞いたところによると、化粧や髪を染めてはいけない、などというくだらない校則のある学校も馬鹿だけど、変な化粧をしたりだぶついた靴下を履いたり、みんな同じような格好をしながら、自分たちは校則や社会の規則に縛られるのはいやだ、などと言っているのは、もっと馬鹿、だということだった。
そして、そんなわかりきった質問をしてくる石崎さんもバカなの?とバに力を入れて言われた。このように、二人とも百五十センチメートルそこそこの身長で、本人たちの言うところのかわいい外見、容姿からは、二人の性格は想像できない。
つまり今の状況では、真面目な女子高生が二人、石崎の前に座っているようにしか見えなかった。しかし、それは今のこの場所、つまり科学会社の玄関ホールには似合わなかった。
会社訪問の時期でもないし、研究所という場所柄、そのような学生たちが来研することもないはずだった。
なぜこの二人が石崎の前にいるのか?ミリアとユリの二人は、私立櫻藍女子学院高校ミステリィ研究会のメンバーである。
ミステリィ研といっても、部室欲しさにミステリィ研を設立した二人は、ミステリィにはほとんど興味はなかった。しかし『ミステリィの館』というイベントでの事件をきっかけに、二人はミステリィ好きの石崎と知り合った。
高校の部活動には顧問が必要なのだが、二人の行動と性格(いわゆる問題のある生徒?)を熟知している先生たちの中には、誰もミステリィ研の顧問になる者がいなかった。そのため二人の要請を受けた石崎が、企業の、地域社会や青少年の育成に関するボランティア活動の一つとして、特別顧問という形でその大役(大厄)を引き受けているのだった。
しかしそのような事情は、今、石崎たちを好奇の目で眺めている一般社員には知られていなかったし、石崎自身知らせるつもりもなかった。(ただ、ミステリィ好きの石崎が顧問になっても、二人は相変わらずミステリィには興味がなさそうだった)
「ふ−っ」石崎が深い溜め息をつく。「それになんだよ。クラブ櫻藍っていうのは。しかも研究所中に呼び出しをかけやがって」石崎がミリアとユリを睨む。
「石崎さんがすぐ来ないからいけないんでしょ。自分のデスクにいなかったでしょ。そこの電話から掛けたら、今、席外してるって言われたもの」ユリが頬を膨らませながら受付横の電話を指差した。
「そうよ。それで、ぶうたれてたら、あそこのお姉さんが、どうせどこかに隠れて仕事サボってるんでしょうから、わたしが所内全部に放送してあげるって」ミリアの指差す先で、受付の女子社員が、ミリアに向かってVサインを出して微笑んだ。石崎はそれを横目で確認する。
「確かに俺は仕事サボって、図書室の書棚の陰で、五年前の現代用語の基礎知識をながめてたよ。しかしなあ、なんだ?クラブ櫻藍っていうのは?なんでそんな名前を名乗って俺を呼び出すんだ。スナックの飲み代の取りたてじゃないんだから」
「クラブ櫻藍で何も間違ってないじゃない。だってわたしたちは櫻藍女子学院ミステリィクラブだもん。あれっ?」ミリアが首を捻る。「研究会だっけ?まつ、どっちにしても似たようなものよ」笑いながらミリアが石崎の肩を二、三度叩く。
ミリアが言うには、自分は、『にやりと笑って人を斬る(叩く)』が信条だそうだ。「そうよ。わたしたちが櫻藍女子学院ミステリィクラブって名乗ったら、あのお姉さんが、じゃあクラブ櫻藍でいいですねって言って放送したんだもん。
今、経費削減中だから、放送も短くしなきゃいけないんだって」ユリが笑いながら石崎の肩を突つく。
ユリが言うには、『叩くよりも、突いた方がダメージは大きい』が信条らしい。二人に叩かれたり突つかれたりしながら、石崎が顔をしかめて眩く。「くそっ!女子社員は全部俺の敵だっけな。忘れていた」石崎が受付の女子社員を睨む。睨まれた彼女は、あからさまに石崎に向かってあかんべえしてきた。
「石崎さん、人気あるね」ミリアとユリが嬉しそうに笑う。「ちえっ、どいつもこいつもふざけやがって。そういやあ、以前フィリピンパブのお姉ちゃんに、飲み代を会社に取りたてに来られた奴は、今ここにいないな。たしか長万部の方で、試験サンプルに使う牛の世話やらされてるって言ってたな」
「セクハラここに極まれりってやつよね。どうした
らそこまで女子社員に嫌われられるのかしら。話に聞くのと実際に見るんじゃ大違いだわ」ミリアが、徐々に石崎たちの周りに集まり、ひそひそ話をしながらこちらを眺めている女子社員たちの姿を眺めている。
ミリアとユリの二人は、以前から、『石崎さんはセクハラをして会社では嫌われているんじゃないの』とふざけて話していた。そしてそれをネタに、石崎は二人に常にからかわれていた。もちろん石崎本人は、セクハラに関しては強く否定をしている。
「石崎さんの会社って誰も仕事してないの?ここ研究所なんでしょ。研究してないの?研究?なんかどんどんギャラリーが増えてきているみたいだけど……」ユリも不思議そうに周囲を眺めている。
「まいったなあ。みんなどうせ、ロリコンクラブかイメクラかなんかから取りたてが来てると思ってるんだろうなあ」石崎が咳く。
「甘い、甘すぎるわ、おお甘よ。そんな五年前の現代用語の基礎知識なんか読んでるから駄目なのよ。どう考えてもここに集まった人たちは、石崎さんがわたしたちと援助交際してると思ってるわよ」ユリが真面目な顔をして言う。
「げっ!なんでそうなるんだよ。くっそ−場所を変えるか、ここはオープンすぎる。どっか応接室空いてないかな」「でも、逆にそんな部屋の中で話してたら、それこそいろいろ疑われるんじゃないの?」立ち上がりかけた石崎に対してユリが指摘する。
「そ、そうだな。相変わらずおまえら賢いな。それで、何なんだ用件は?早く用件を言え。だいたい用件があったら電子メールしろって言ってただろ」「なにが電子メールよ。石崎さんとこにメール繋がらないわよ」ミリアが口を尖らせて石崎に食って掛かる。
「あっ、そうだ、忘れてた。おまえらに文句言おうと思ってたんだ。おまえら、俺にコンピューターウイルス送り付けただろ」
「うん」二人が素直に頷く。「うんじゃない。おかげで俺はひ、どいめにあったんだぞ。画像ファイル全部失って、慌てて回線引っこ抜いたら間違って電源引っこ抜いちゃって、おかげで他のデータも消えちゃって、しかも社内のLAN回線からウイルス広めちゃって、結局俺が出元だってばれちゃって、システム部にいやみ言われてハー、ディスク全部強制的にフォーマットさせられて、ウィンドウズを最初から入れなおして、マックならこんなことはないだなんて言ってマックユーザーのふりして、最後は部屋の中にバルサンまで焚かれたんだぞ」
「しゃれでしょ。しゃれ」ミリアが笑顔で石崎の肩を叩く。「だいたい石崎さん、ウイルス発見ソフトとか対応ソフト入れてるでしょ。ブレンバスターとかグラビトロンカノンとか、そんな名前のやつ」
「そうよ。それが礼儀ってもんでしょ」ユリが石崎を突つく。「それに知らない人からメールが来たら怪しいと思わなきゃ」「知らない人じゃないだろ。おまえらの名前で来てたよ」
「あれ、わたしたちの名前だった?おかしいなあ」二人がわざとらしく首を捻っている。「とぼけやがって」「でもそれなら、なおさら注意しなきゃ」ユリが指摘する。
「注意してたんだよ。画像ファイルが消えるウイルスだってわかってたから、気がつかないふりして、仕事で使う画像ファイル消しちまえば仕事やらなくてすむかなって思ってさ、必要なファイルだけMOに入れようとしてたんだよ。そしたら知らない間に上司が後ろに来てて、慌てて操作したら、おまえらが送り付けてきたウイルスの入っているファイルを間違ってクリックしちゃったんだよ」
「ははあ一ん」ミリアが頷キきにやりと笑った。「なんだよ」「どうもおかしいと思ったわ。なんで石崎さん、いつもより怒っているのか不思議だったのよ。打たれ強い石崎さんにしては怒りすぎだもの。本当は、仕事の合間にこっそりインターネットで集めたエッチな画像を、全部失ったから機嫌が悪いんでしょ」
「ええ−っ、エッチな画像をっ!」ユリが驚いたように大声を上げた。それと共に周りで見ている社員たちにどよめきが走る。「こ、こら!ユリ。声が大きい」石崎が慌てて周りを見る。ギャラリーは石崎と目が合うと、顔をそむけ、隣りどうしでひそひそ話を始める。
「くそっ!と、とにかくそのコンピューターウイルスの後始末で、電子メールのチェックが出来なかったんだよ。原因がわかるまで使用禁止だなんて言いやがって、システム部がよ。だから自宅の方にメールは入れといてくれよ。アドレス知ってるだろ。
なっ、そういうわけだから、今日は帰れ」「自宅の方も通じないわよ」ミリアが頬を膨らませて石崎を睨む。「ああ、そうか、そうか。おまえらに言うの忘れてた。自宅のプロバイダを変えたんだっけ。
自宅に誰もメールなんかよこさないから、変更したって誰にも言ってなかったんだ。わりいわりい」石崎は、ポケットから手帳を出してメールアドレスを書き、そのページを破ってミリアに渡した。それを見てギャラリーがまたどよめいた。
「まさに、その一挙手一投足が注目されているって感じね」ユリが嬉しそうに周りを見る。
「ちえっ、じゃ、これでいいだろ。メール入れといてくれ」石崎が立ち上がりかける。
「なに言ってるのよ。まだ本題に入ってないでしょ」ミリアが石崎を止める。
「なんだよ本題って?」
「合宿のことよ。夏の合宿」
「なんで俺が、おまえたちの夏の合宿の話を会社でしなければいけないんだよ」
「だって石崎さん、一応うちのミステリィ研の特別顧問だから」
「顧問っていったって、先生たちが誰もおまえたちの面倒なんか見るのがいやだって言って、引き受ける人がいなかったから、俺が名前だけ貸したんだろ」
「そんなこと言って逃げるつもりなのね」急にミリアが声を張り上げ泣き出した。ユリがすぐにハンカチを出してミリアの涙を拭く。
「おお一つ!」ギャラリーにどよめきが走る。
「わ、わかった。や、やめろミリア、泣きまねなんかするな」石崎が慌ててミリアの顔を覗き込む。
「泣きまねじゃないもん。石崎さんは、わたしたちミステリィ研のことなんかどうでもいいんでしょ」
「そうよ。誰か責任者がいないと合宿にもいけないんだもん。この前の『ミステリィの館』のときに、
領収書偽造したのがばれちゃったから」ユリも一緒になって泣き出した。
『ミステリィの館』というのは、石崎がミリアとユリの二人と初めて出会った、ミステリィ関連のイベントである。石崎は、そのイベントでの謎を解いたことで二人に気に入られたのか、それをきっかけに、二人の所属するミステリィ研の顧問までやらされているわけである。
「わ、わかった。わかったから二人とも泣くな。合宿でもなんでも行ってやるから」石崎があわてて二人をなだめる。
「でも、お金がないんだもん。部の活動費、全部お菓子とか買って食べちゃったから」ミリアが泣きながら話す。
「わかった、わかった。活動費くらい出してやるから」「ほんと?」ミリアとユリが泣くのをやめて石崎を見る。
「ああ、ほんと、ほんと」「よかったね」二人がにっこり笑った。「じゃあ、石崎さん。詳しいことは明日話すわ。寮まで来てよ。明日、昼間は舎監の先生いないし、部活の指導に来たって言えば、警備のおっさんも通してくれるから」ミリアが席を立つ。
「それじゃあ、明日ね」ユリも立ち上がる。
二人は、あっけに取られている石崎に軽く手を振ってから、出口に向かって歩き出した。
「そうそう、石崎さん」ミリアが玄関ホールの扉の前で石崎の方に振り返った。「なんだ?」「お客さんにはお茶くらい出した方がいいわよ。わたしたちは大人だから文句言わないけど、普通の人なら怒っちゃうわよ。こんなことじゃこの会社も先行き暗いわよ」大声で言うと、二人は悠然と去っていった。
二人が帰るとすぐに、同じ課の後輩が石崎に近づいてきた。
「石崎さんやばいすつよ。東京都条例ひっかかりますよ」「そんなんじゃないよ」iじゃあ、新手の総会屋かなんかっすか?」
「そんな上等なもんじゃないよ。ひらがな五文字だよ」
「い・や・が・ら・せ……ですか?」
「いや、ひ・ま・つ・ぶ・し……だろ」
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