ウエハースの椅子
 
 
  恋人の身体は、信じられないほど、私を幸福にする。 とても切なく 危険な恋愛生活  
著者
江國香織
出版社
角川春樹事務所
定価
本体価格 1400円+税
ISBN4−89456−920−5

かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。絶望は永遠の状態として、ただそこにあった。そもそものばじめから。だからいまでも私たちば親しい。やあ。それはときどきそう言って、旧友を訪ねるみたいに私に会いにくる。やあ、ただいま。まず、あの犬。そのころ私の両親ばラブラドール犬のジュリアンを飼っていたけれど、私の言っているのはジュリアンのことじゃない。

いまにも雨の降りだしそうな、曇った、肌寒い日だった。うす暗い廊下と高い天井、消毒薬の匂い。母は、小さなくるまのついた台に横たわり、しずかに運ばれてきた。なにしろ暗かった、と思うのは、どんよりした外気のせいだったかもしれないし、病院という場所に、私が怖気づいていたせいかもしれない。

外観の古さに似ず、病院内部は清潔でモダンにできていたけれど、がらんとして人けがなく、しずかでよそよそしかった。廊下にはつやつやの黒い長椅子が置かれ、よく磨かれた床は黒と白の市松模様で、壁には金色のキリスト像がかけられていた。運ばれてきた母は、私をみると微笑んで、シーツからだした片手をふった。私は唇の端を一瞬わずかにひっぱって、なんとか微笑みを返した。あとはただ黙ってつつ立って、病室に戻る母を見送った。

私の横には父が立っていて、指の長いかたちのいい手を、私の背中に置いていたはずだ。でも、この場面の私の記憶に父はでてこない。ひんやりしたうす暗い廊下には私と母だけ、がいる。ガラス越しに赤んぼうを眺めた。「ほら、ちびちびちゃんだよ」父は言い、ガラスをコッコッとたたいた。赤んぼうはぐっすり眠っていた。それから、私と父は二人でおもてにでた。「ママが欲しがっているもの」を買うためだ。夕方だった。病院の前に停めてあった車の後部座席に犬が乗っていた。

こげ茶色の、耳のたれた顔のながい犬だ。車にはほかに誰も乗っていなかった。窓が半分あいていて、犬はそこから顔をだしていた。私と犬の、目があった。青みがかった黒い目をしていた。おとなしそうな犬だった。あるいはくたびれた様子の。父が私の名前を呼んだ。私が立ちどまっていたからだ。私は走って父に追いつき、手をつないだ。あのとき、私とその犬は似たものどうしだった。近くの雑貨屋で、「ママが欲しがっているもの」はすぐにみつかった。

バターココナッツというビスケット菓子で、父はそのほかにりんごとヨーグルトを買った。私たちは病院にひき返した。道路をわたるとき、父はいつものように、前をむいたままほとんど自動的に私の手をひいた。父は交通事故をひどく恐れていた。横断歩道のない道をわたるのを嫌った。大きなオートバイに乗る人間や、高速道路で百キロ以上のスピードをだす人間はみんな頭がおかしいと考えていた。車のほとんどは狂人が運転していると思え、と、父は言った。

私はそう思うようになった。でも、それはもっとずっとあとの話だ。病院に戻ると、犬をのせた車は、もういなくなっていた。母は私たちの買物をよろこんでくれた。ベッドの傍に白い小さなテーブルがあり、時計と、すいのみと、額縁が置いてあった。額縁には私と父の写真が入っていた。すいのみの中身は、氷水だった。

「ちびちびちゃん、みた?」母は私の顔をみると尋ねた。白いネグリジェを着て、頬をすこし紅潮させていた。私は黙ってうなずいた。ちびちびちゃん、というのは、その何ヵ月も前から母のお腹のなかの赤んぼうについていた呼び名だ。父も母も私を「ちびちゃん」と呼んでいたので、もっと「ちびちゃん」であるその赤んぼうは、「ちびちびちゃん」なのだった。「ちびちびちゃん」は女の子だった。

黒と白のしずかな病院、低くたれこめた空、後部座席にのっていた犬、一九六九年四月。どういうわけか、私はあの犬の顔を、いまでもよく憶えている。そしてふいに思いだす。たとえば、性交のあと、眠ってしまった男の横で、人形のようにじっとすわって、ぼんやり前をみているときに。あの肌寒い夕方の、あの犬の、困ったような、途方に暮れたような顔を。六歳の私と似たものどうしだった、おとなしそうな、あるいはくたびれた様子の、車の窓からつきだされていた茶色い顔を。

私は無口な子供だったが、それは、自分をまるで、紅茶に添えられた、使われない角砂糖であるかのように感じていたからだ。そう感じるのは大人たちのそぼにいるときだけだったが、私は一日の大半を大人のそぼで過ごしていたし、子供近所に住む「おともだち」たちと一緒にいるよりも、大人と一緒にいる方がずっと好きだった。紅茶に添えられた角砂糖でいるのが、たぶん性に合っていたのだろう。役に立たない、でもそこにあることを望まれている角砂糖でいるのが。

「おともだち」のなかに、彼女がいた。ながい髪を三つ編みにして、いつもきれいなりぼんをつけていた。彼女は蝶ちょを恐がっていた。りんぷんがつくから嫌、と言っていた。私は平気だった。私は、蝶ちょをとるのが得意だった。そうっと近づいて、ここでいい、と決めてからまたしぼらくじっとしている。息をころして、蝶ちょをじ−つとみるのだ。それからゆっくり腕を動かす。すこしずつ、蝶ちょから目を放さずに。

ぎりぎりの場所で手を止める。親指と人さし指とをひらいたかたちで。そして、ぱっ、と。素早さというより正確さがいるのだ。つかまえた蝶ちょはすぐに放した。そしてまた次のをつかまえる。そしてまた次のを─。蝶ちょをとっていると忘我の境地だった。いつまでもそうしていられた。しじみ蝶はいくらでもいた。紋白蝶も。紋黄蝶はややすくなかった。あげは蝶はめったに来なかった。私と彼女は、彼女のうちで、お姫さまごっこをして遊んだ。

彼女の母親の服を着て、首飾りを腕にじゃらじゃらとまきつけて、ハイヒールをはいた。お姫さまごっこをするとき、彼女はきまってエリザベスという名前になった。「あたしエリザベスっ」とても急いでそう言った。まるで、そうしないと私がその名前をとってしまうとでもいうように。私は、でもエリザベスという名前に興味はなかった。ちっとも美しい響きじゃないと思った。「私はマリウス」かわりに私はそう言った。あるいは「ジョルジュ」、あるいは「マルセル」と。

男性の名前ばかりだったが、知らなかったので気にならなかった。彼女も気にしていなかった。私たちは仲がよかった。一度、彼女がおたふく風邪にかかった。私たちは会ってはいけないと言われた。やがて、彼女の母親がうちにやってきた。彼女の熱が下がり、元気になって退屈しているから会ってやってほしいと言いにきたのだ。私はでかけた。でもまだ「うつる可能性のある時期」だったので、私は玄関までしか入れてもらえなかった。三和土に立って、階段のいちばん上にすわっている彼女と話した。彼女はパジャマにガウンを着ていた。髪はやっぱり三つ編みにして、両手で頬杖をついていた。私の母は画家だった。

「成功した」画家ではなかったが、いつも絵をかいていた。それで、母の部屋のなかは、いっでもかきかけの絵の匂いがした。カンヴァスに塗りつけられて乾いた絵の具と、油を吸った布の匂いが。そして犬のジュリアンがいた。シュリアンは自分の敷物を持っていて、それは母の部屋の隅に置かれていた。母はジュリアンを愛していた。父は雑誌の記者をしていた。うちで仕事をすることもあったが、取材にでかけたまま、何日も帰らないこともあった。

「パパは高等遊民になりたいのよ」母はそう言っていた。私たち家族は東京のはずれに住んでいた。平屋だての小さな家だったが庭は広かった。庭にはたくさんの木がはえていた。夏みかん、枇杷、いちじく、椿、てんにんつつじ、あじさい。夏の夕方、私たちはよく庭にでてすごした。母が水を撒き、父はビールをのんでいた。ジュリアンがいた。赤んぼうもいた。門から玄関まで飛び石が続いていた。

私がそこにつまずいて右足の親指の爪をはがしたとき、爪のあった場所にアロエをあて、包帯をまいてくれながら、「爪はまたはえてくる」と、父は言った。「もしはえてこなかったら、パパがつくってやる」と。私は安心した。父は手先が器用だったから、きっときれいな爪をつくってくれると思った。私の足にぴったり合う特別の爪を。それから、「はしはし」のこと。父はいつもやさしかったわけではなく、むしろ機嫌のいいときはすくなかった。機嫌の悪いとき、父はよく私に言ったものだ。

「お前はどうしてそうぐずなんだ」そしてこう言う。「もっとはしはしできないのか」それを口にするときの父はほんとうに不愉快そうな、心から私を苦々しく思っている顔をした。私は「はしはし」したがった。それは何度もくり返された。もっとはしはししなさい。なぜはしはしできないんだ。私には、どうずればいいのかさっぱりわからなかった。ただ黙って叱られていた。でくのぼうみたいに。あるいはお客様の紅茶に添えられた、使われない角砂糖みたいに。

いまや私は中年にさしかかっている。恋人はいるが、結婚はしていない。古いマンションの四階に一人で住んでいる。青い瓦屋根のついた白い漆喰のマンションで、どの部屋にもテラスがついていて、テラスには白いまるいテーブルと、お揃いの椅子が置いてある。全部の部屋がそうなっているので、外からみたら奇妙だろうと思うのだけれど、せっかくついているので、私はそこで朝食をとる。母は料理が好きだったが、私は料理ができない。つい先週も、友人が送ってくれたれんこんを揚げようとして、あんまり油がはねるのでやめてしまった。

れんこんは、翌日訪ねてきた恋人が、全部きれいに揚げてくれた。私の恋人はときどきやってきて泊っていく。彼は私の首と左の乳房を好きだと言い、私は彼の唇が、そこにおしあてられるのが好きだ。ここには私の妹─かつての「ちびちびちゃん」─もやってくる。みんなやってくるのだ。やってきて、帰っていく。「姉さんって、ほんとうにいつまでも子供みたい」とか、「姉さん、あなた、変わってるわ」「姉さんは孤独ね」とか、勝手なことを言って。勿論私は孤独だ。あの日病院の前で会った犬とおなじくらい。でも私は「変わって」はいないし、まして子供ではない。朝。朝は好きだ。

コーヒーとパンを食べる。恋人がいるときは、完壁な半熟卵をつくってくれるのでそれも食べる。私は朝がいちばん食欲がある。子供のころは朝が苦手だった。朝食はいつも無理にのみこまなければならなかった。朝食のあと、母は毎日私の髪を梳かした。私は、髪をあごのあたりで切り揃えていた。母はまず、小さなガラスの壜のふたをあけ、アクアマリンを溶かしたみたいに淡く青い透明の液体を、ほんのぽっちりだけ手のひらにとる。両手をかるくこすりあわせて、それを私の髪全体に、両手のひらでごくうすくなじませる。この液体は、ふうわりといい匂いがした。

「ちびちゃんの頭はちいちゃい頭」うたうようなふしをつけ、母はそう言いながら髪を梳かした。櫛の柄の先で分け目をつけて、細くからみやすい毛を丁寧に梳かす。頭を動かすと叱られるので、そのあいだじゅう首に力を入れていなければならない。私は目をつぶり、櫛の歯がくり返し頭の皮膚をひつかくのを感じていた。「はい、できあがり」母は言い、最後にもう一度、両方の手のひらを私の頭にすべらせる。「するする」髪の感触に満足して、うれしそうに母は言う。私はそうされるのが好きだった。頭蓋骨をなでる母の手。壁に、森の絵がかけてあった。

毎朝髪を梳かしてもらうのは、その絵の前ときまっていた。墨色に近い深緑の森の絵、いい匂いになった頭。マンションの庭に、ときどきのら猫たちがやってくる(恋人、妹、のら猫、そしてれんこんを持ってくる宅配屋。ここに来るオールスターキャストだ)。のら猫のノミをとってやりながら、私は自分が首に力を入れてじっとしている立場ではなくなったことに気づいて誇らしくなる。いまやノミをとってやる立場なのだ。近所においしいパン屋があって、私は散歩がてら、よくそこにパンを買いにでかける。パン屋の店員はかわいらしい女の子で、私の好きなパンの焼き上がりが遅れると、ひどくすまなさそうに謝る。ごめんなさい、あれ、きょう、まだなんです。

私は、いいのよ、とこたえるが、がっかりしてしまう。パン屋は近所ではあるが、いったん帰ってまた来る気持ちにはなれないからだ。でも、たいていの場合、私はそこで、あたたかいぽりばりのパンを手に入れることができる。絶望と親しくしているお陰で、私の生活は平和そのものだ。私は画家で、でも主な収入は、スカーフや傘のデザインで得ている。そういう仕事は私の生活を安定させてくれる。生活の安定は大切なことだ。私の恋人は私を天性の画家だと言い、画家以外の職業は何も向かないと言う。どうしても別の仕事を考えなくてはならないとすれば、煙草屋だな、と、彼は言う。日がな一日、すわっていればいいから、と。私の恋人はとてもやさしい。

とてもやさしく、私の髪をなでてくれる。でも、私は彼が、私の髪のちょうど三ミリ外側をなでているように感じる。私の髪の、ちょうど三ミリ外側の空気を。たぶん、私のからだはどこもかしこも、三ミリ外側にみえないまくがあるのだ。それから。私の恋人は車を持っていない。私はそこも気に入っている。かつて私のつきあった男たちは、みんな車を持っていた。彼らは私をそれにのせようとした。紺色のルノーや黄色いホンダ、奇妙なジープやグロテスクなオープンカーに。彼はそんなことはしない。私たちは自由だ。そして、歩いてどこにでもいくことができる。

 

 

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