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はじめに
なにを残すか、なにを捨てるか・・・過去の「常識」にとらわれるな
来年の今月のこの日、あなたはまだ現在の会社に勤めているだろうか。読者諸氏に、私はまず、このことを問いたい。リストラの話ではない。一年後、あなたの勤めている会社が生き残っているか、どうか、を私は問いかけているのだ。銀行がつぶれる時代日本企業を取り巻く経済環境の厳しさについては、この一語で説明は十分だろう。どんな大企業であれ、日本社会にはもはや”不沈戦艦”は存在し得ないのだ。
アメリカが日本に投下した「グローバルスタンダード」という名の”経済爆弾”によって、日本の企業はすべて、否応なく生き残りの戦いを強いられることになったのである。いまから二十年も前に、現在のパソコンのコンセプトを考えだしたアラン・ケイの「未来はわかるわけがない」という言に従えば、わが堀場製作所も二十一世紀はどうなっているかわからない。つぶれているという要素もたくさんあるし、逆に、世界一の水準を維持していると思われることもある。私が不定見なのでも、会社が混乱しているわけでもない。
規模の大小を問わず、どこの企業も事情は同じであろう。それが混沌と模索、つまり二十一世紀の企業環境なのである。では、二十一世紀に生き残る会社と、残らない会社、その線引きはいったいどこにあるのか。経営トップとして、私がじっくり考えた結論は、「社員の気概」である。古びた精神論を持ちだしているのではない。二十一世紀は、「個の時代」になると私が考えるからだ。「会社があって社員がある」のではなく、「社員があって会社がある」といったように、これまでの主客が入れ替わる時代─それが二十一世紀であり、社員の持つ個々の能力は、この気概によってのみ引きだされると考えるからだ。現在、IT革命が新産業分野として世界経済を席巻している。
十年前、いや五年前でさえ、今日の姿は想像もつかなかったろう。だが、これを技術革新という一面からのみとらえると、ものの本質を見誤ることになる。なぜなら、IT革命は、資本力や技術力だけでなく、「未来をつくる」という気概があってはじめて成し得た結果であるからだ。それはなにも一丁分野にかぎったことではない。あらゆる分野において、この気概を持ち得る人のみが、二十一世紀に求められる人材であり、企業の将来は、この気概を持てる社員をどれだけ抱えることができるか、という一点にかかっていると私は確信している。
「努力」だけで評価される時代は終わった!
仕事ができる人間には、性格にせよ、能力にせよ、考え方にせよ、なにか共通項があるのではないか。以前、テレビの経営トーク番組で「ホスト役」を務めていたことがあったが、この話をお引きうけするに際して、私の最大の関心事がこれだった。この番組は、毎回、ゲストをお招きして、経営や、文化、科学といった幅広いテーマについて語り合うというものだ。ゲストは、著名な経営者から、文化人、若手の起業家まで、じつに多士済々で、いずれもそれぞれの分野で第一人者として活躍されている人たちであった。成功のノウハウつまり、仕事ができる人の共通項の一端でも引きだすことができればと、私はひそかに期待していたわけである。
たしかに、経営手法にはいくつかの共通点が見いだせたが、ゲストの性格、能力はバラエティーに富み、共通項と呼べるものなど存在しなかった。ただ一つ、彼らに共通して言えることは「両極端」、つまり「プラスにしろマイナスにしろ、自分の持ち味を極端なまでに活かしている」ということだけであった。すなわち、それは「我は我なり」という強烈な自負心であり、短所ですらそれを活かせば強力な武器になるという「逆転の発想」と言っていいだろう。かつて、松下幸之助は「経営の神様」と呼ばれていた。一代にして”松下王国”をつくりあげたのだから賞賛されて当然である。だが、これからの時代、もはや「松下幸之助タイプ」の人間の出現は、ますます困難になるだろう。なにも残念がることはない。
時代が変わったのだ。価値観が変わったのだ。言い方を換えれば、技術、社会、製造システム、流通など、あらゆることが高度化し、複雑化した現代において、かつてのように「がんばっていこうやないか」と言って一所懸命やるだけでは通用しなくなってきたのである。「努力」だけで評価される時代はもはや終わったのだ。時代が変わり、価値観が多様化してくれば、当然、「仕事ができる人」という考え方も変わってくる。極論すれば、「昨日の成功」が「今日の失敗」を生みかねない時代なのである。過去の「常識」や「考え方」を妄信してはならない。「かくあらねばならぬ」という固定観念にとらわれていてはダメなのだ。
一人の人間の性格、能力、考え方というものは、なにも一つに特定できるものではない。いろいろな側面があるはずだ。そうであれば、そのときの状況に応じて、自分の一番いい部分を出すという柔軟性こそ、「仕事ができる人」の絶対条件となってくるはずである。そこに、共通項などあろうはずがないのだ。ただ、あえて言うならば、いまの仕事が好き
で好きでたまらない、ということだけは間違いない。本書では、どの会社にもいるようなビジネスマンを、およそ一〇〇タイプ取りあげ、私独自の「視点」からそれぞれの能力を評価した。
あなたも必ずやどれかのタイプにあてはまるはずだ。日々の仕事において、私の言葉が、なんらかの形でお役に立てば幸いである。私は相手が役員であれ新人であれ、社員には機会さえあれば気軽に声をかけるようにしている。本書を執筆するにあたって、彼らの話もおおいに参考にした。最後に、この場を借りて謝意を表したい。
堀場雅夫
結論を出すのが早い人
いまやるべきこといまやらざるべきこと
ビジネスの要諦は「見切り」にある。見切りとは、これまで注ぎこんできた資金や時間や努力、あるいは手にするであろう利益のいっさいを捨てさることだ。継続することに危倶を感じたなら迷わず見切ること─これが会社も社員も伸びるコツなのである。たとえば以前、わが社でこんなことがあった。技術陣が、医療機器メーカーと共同で、赤外線センサーを使った鼓膜体温計を開発した。鼓膜は脳に近いため、正確な体温を測ることができる。画期的な新製品だった。これは売れた。堀場製作所の独占技術ということもあってもうかった。
ところがその後、この分野にブラウンや松下電工などいろいろな企業が参入してきたのだ。精度の高さから、鼓膜体温計が主流になったのである。さて、堀場製作所としては、これら他企業の参入をどう迎えうつか。社内で論議した結果、社長の下した結論は「撤退」であった。先発メーカーとして技術には自信があり、かつ売れている製品を「見切った」のである。なぜか。需要と価格は反比例の関係にあるからだ。鼓膜体温計が普及すれば、それにつれて価格は当然下がってくる。
電卓がそのいい例だが、価格勝負になれば、量産ノウハウと設備を持つメーカーが勝つのは自明の理だ。ベンチャー企業である堀場製作所が、量産による価格合戦で大手家電メーカーと勝負するのはけっして得策ではない。そう判断したのである。社内の意見としては、いますぐ撤退しなくても、売れているのだからもう少し稼いでからにすべきだという声もあった。だが、社長に言わせれば、もうかっているいまだからこそ、あえて撤退すべきなのだ。これが「見切り」なのである。バブル期に多くの企業が”土地転がし”で濡れ手で粟の大もうけをしたが、見切ることができず、結局、バブル崩壊で倒産した。会社も社員も、根拠のない「あともう少し」という欲が墓穴を掘ることになるのだ。
一度決めたことは最後までやろうとする人堀場製作所の社員は、良くも悪くも、あきらめの遅い人間が多い。創業者の私と正反対だ。私は、極端にあきらめの早い人間なのである。得意がっているわけではなく、これを短所と反省し、自戒し、そして直らぬ性分を嘆いてきた。だが振りかえってみると、もし私のあきらめの早さがなかったなら、おそらく今日の堀場製作所はなかったろうと思う。堀場製作所がベンチャー企業として分析機器の世界トップグループのメーカーに成長したのは、まさに私のこの”短所”を抜きにしては語れないのである。私の夢は原子物理学の研究者になることだった。高校時代にこれを一生の仕事と定め、あこがれの京都大学理学部物理学科に進学を果たすことができた。
ところが入学の喜びもっかの間、戦況は日を追って激しさを増し、私が三回生であった昭和二十(一九四五)年八月、ついに日本は無条件降伏したのであった。そして終戦から日をおかずして、大学の核実験施設は米軍に破壊され、研究の継続は不可能になった。卒業後も大学に残って研究を続けるという私の人生設計は、この時点で大きく狂ってしまったのである。だが、若かった私は青雲の夢断ちがたく、ならば自前の研究施設をつくろうと堀場無線研究所(堀場製作所の前身)を旗揚げした。終戦からわずかニカ月後のことだった。しかし、小なりといえども会社である以上、維持していかなければならない。研究を続けるためにつくった会社であったが、いつしか金儲け第一の日々になってしまっていたのである。
さて、私の”短所”が顔を出すのは、ここだ。もし私が信念の人間で、研究のためにつくった会社であるという初志を貫徹していたなら、堀場無線研究所はどうなっていたろう。倒産は必至であり、そうなれば今日の堀場製作所は存在し得ない。多少、強引な理屈ではあるが、あきらめの早い人間であるという”短所”がプラスに作用したのである。結果オーライと言うなかれ。しょせん、人生は結果こそすべてなのだ。一般的に、ビジネスの世界では「あきらめの早い人」という評価は、「あいつは使えない」と言われているのと同じことだ。ある意味では”落伍者”の烙印であると言ってもいいだろう。なぜなら、ビジネスでは、ねばりにねばって成功を勝ちとることこそ賞賛されるからだ。
「やりました。ダメでした」では、根性のない落ちこぼれ社員というわけだ。たしかに、そのとおりだと思う。私も経営者として、根性のない社員はいらない。よしんば入社できても伸びるわけがない。第一、そんな連中が出世するようでは、その会社に未来はないだろう。「あきらめの早い人=ダメ社員」という定説に異議を唱える人はいないと思う。ただし、この定説は、「いままでは」という注釈をつけるべきだ。なぜなら、経済が右肩上がりであったこれまでの時代は、ねばればなんとかなった。経済成長というパイがどんどん膨らんでいたのだから、ねばり強さはたしかに力であった。ところが、マイナス成長という未体験ゾーンに日本経済が入り、価値観が多様化するにつれて、「仕事ができる人」という定義が大きく変わってくるのは、むしろ当然と言っていいだろう。つまり、これからは「あきらめが早い」からといって「仕事ができない」とは言いきれなくなってくるのである。
むしろ、「一つのことがダメだったら、すぐ次の手を打つ」といった機転の早さ、発想の豊かさは大きな武器になるはずだ。このように、自分の”短所”をプラスに転じ、仕事に活かすことが「仕事ができる人」の大きな条件になってくるように思う。それにしても、わが堀場製作所の社員はあきらめが遅すぎる。ねばり強い社員が多いと評価してくださる人もいるが、それは誤解だ。私に言わせれば、新しいものにチャレンジする勇気がないのだ。
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