熱血ポンちゃんが来たりて笛を吹く
アントニオな年の瀬
題名も新たに再スタートを切ろうとしている熱血ポンちゃんである。な一んと今回は、あの横溝正史先生のお力を借りようという魂胆である。この連載って再スタートのたびに、どの文豪、どの大作映画の虎の威を借りるかで、編集者と私は、ほ一んと大変。今回も、昔担当だった森山の知恵まで総動員しちゃってさ。ちなみに、彼女が出したアイデアは、「十二人の怒れる熱血ポンちゃんたち」。怒ってるポンちゃん十二人もいたらめちゃ恐いですよね−とか言っていた。ほんと、私だって恐い。結局、「熱血ポンちゃんが来りて笛を吹く」に落ち着いた訳であるが、私自身が最初に考えたのは「病院坂の熱血ポンちゃんの家」。
ひゃー、これも恐い。幻冬舎の石原の提案したのは「愛の熱ポンコリーダ」。何 だか、どんどん意味不明になって行く、ざんす。まあ、これから二年間、せいぜい笛を吹か
してもらうわ。この雑誌の編集長と私の担当の金田は、締め切り間際にタイで遊んでいたらしいわね。ぴーっ、ぴっぴっぴーっ。と、行きたいところだが、私はイタリア旅行で、グッドウィル・ハンティングをして来たばかりで、とても大らかな気持になっている。
おいしいワインと食事と親切な殿方たちのおかげで、すっかりダラーツェな奴になってしまったのである。で、あるからして、原稿が遅れようが、担当者が作家を放って遊んでいようがへ−っちゃら。え?年末進行?そういやそんな言葉もあったわね。さて、ヨーロッパにあまり縁のない私には、初めてのイタリア旅行。私は、この旅行中、ひとつのことを自身に課していた。これだけは死守する、という厳しい規律。それは、今が旬のポルチ一二茸を一日も欠かさず食すこと。呑気過ぎる?かもしれない。しかし、日本では乾燥でしかお目にかかれないこのきのこ、生で死ぬ程食べたいじゃありませんか。実は、私は大のきのこフリーク。
ほとんど毎日、日本でも食べている。八百屋さんに行くと、私の買い物かごは、きのこでいっぱい。おいしくって低カロリー、ダイエットにも有効である。私のお得意のダイエットメニューに、挽き肉の代わりにえのき茸を細く刻んで大量に入れたなんちゃって麻婆豆腐というのがあるが、粉山椒をたっぷり振りかけて女友達に出してあげたら大好評であった。パスタのラダーに応用するのも結構。鮫子もいけるよ。
ベジタリアンレストランでも開こうかしら。もちろん、今回は、ダイエットのことなんか考えない。ただただポルチ一二を食べてや
る。同行した新潮社の小林加津子に、私が言ったことには、「ここまで、ポルチ一二に我が身を捧げている私ってストイックだよね」返事はなかった。きっと、トスカーナの田舎食堂の兄ちゃんに思いを馳せていたのだろう。彼の名はマリオという。本名は知らないので、私たちで勝手に名付けた。小さな食堂で働く体のでかいあんちゃんである。その無口でありながらキュートなたたずまいに、小林はひと目惚れしたようだった。
食事をした翌朝(!)にも、そこに立ち寄り、私たちは、地ワインの試飲をさせてもらった。私は単なるおつき合い。しかし、それだけではつまらない。何たって、性愛を描く作家と言われるわたくしですもの。通訳をしてもらい、マリオ(仮名)に伝えた。「もし独身だったら、この女を嫁さんにしてもらえませんか?」度肝を抜かれた表情のマリオ(仮名)。そりゃそうだろう。それまで話したこともなかった日本人に、いきなり結婚申し込まれてもねえ。こうして、私の小林を田舎食堂のかみさんにする大作戦は失敗に終わった。思いを残したまま旅行を続けることになった小林は、「私のマリオン」と叫び続けていた。泣かせる前に終わった恋で良かったわ、とかほざいてたけど、あんたねえ。
読者の皆さん、もし数年後、キャンディ地方を旅行していて山道の途中にぼつりとある食堂に立ち寄った際、そこにもし「GTO」の鬼塚みたいな髪形の東洋人の女が働いていたら、それは、晴れてマリオ(仮名)の嫁さんになる夢を果した小林ですからね。彼女に触発された私は、「私のアントニオ」を捜すことを宣言した。しかし、どうも、ど田舎に私のアントニオは存在していないようなのである。仕方がないので、ホテルで飼われていた猫にアントニオという名を進呈した。それだけでは物足りないので、すっかり好物になったちびのパンにも、アントニオと名付けた。
それでも収まらないので、夜空に輝く一番目立つ星にも同じ名を付けた。こうして、私のまわりは、アントニオだらけになった。猫が寄って来ても、パンが出されても、夜道を歩いても、私の台詞は同じ。「ああ、アントニオ、あなたは何故、いつも私を追いかけて来るの?」小林が横で呆れたように私を見ていた。「それって、追いかけて来てる訳じゃなくて、ただそこに存在してるって言うんじゃないの?」ふん。
猫もパンも星も私のために存在してるのよ!ほっといてちょうだい。あ、そう言えば、ポルチー二には、アントニオと名付けなかった。きーっ、口惜しい。滞在中、常にあなたは私の中にいたというのに。そう、目出たく私は、一日も欠かさずポルチ一二を食べ続けるという初志を貫徹したのである。ポルチー二のラザニア、ポルチー
ニのタリアテッレ、ポルチ一二のソテー、ポルチー二のステーキ……。皆に呆れられていたけど、まだ飽きない。途中で、トスカーナ名物白トリュフにも心は動かされたけれど、やはり、アントニオと来たら、ポルチ一二である。あの豪快なお姿。私は、日本で乾燥のものを調理しながら、しいたけ程の大きさであろうと予測していたのだが、大きなものは、ほとんど猿の腰かけ状態。それをステーキのように焼いてたっぷりのオリーブオイルをかける。
一ヵ月ここにいたら、ものすごく体重が増えそうだ。と、思ったのだが、夜中まで続くディナーをたらふく詰め込んだ筈なのに、日本に戻って計ってみたら一キロ減っていた。もしかして、オリーブオイルは体に良い?パリで二週間同じように食べ続けた時は五キロ近くも増えたのに。私は、大食漢である。特に旅行中は、土地のものすべて食べたくなつちゃう。インドに旅行中もカレー食べ続けて五キロ増えて、珍しい人だと言われたぐらい。それなのに何故?わ−い、オリーブオイルさまさまである。もしかして、これもアントニオと呼ぶべき?
「でもさあ、私のアントニオは皆、人間じゃない。ちょっと悲しい」「ふふふ、私のマリオは人間」誇らし気に笑う小林。ちえっと思った私は、帰りの飛行機に期待をかける。並びの喫煙席を取れなかった私たちは、離れたシートに座ることになるのだ。「ねえねえ、お会い出来て嬉しいですって何てイタリア語で言うんだっけ」「…。もしかして、きみのアントニオが隣に座ったことを想定した質問?」「そう!!あんたのマリオは過去だけど、ほら、私のアントニオは未来だからさあ」「……。猫とかパンとかで終わってんじゃないのかなあ」そうは問屋が卸さないざ−んす。しかし、そんなに事が上手く運ぶなんて、やはり、ない。
私の隣に座ったのは、イタリア人のおじさんだった。アントニオではないのが直感で 解った。仕様がないので、ニコラと名付けるが、しかしながら、そのニコラ(仮名)は、私に興味津々の様子であった。機内食の皿は、勝手に下げてくれるし、灯りを点けたままうとうとしていれば、勝手に灯りを消して、おまけに毛布までかけてくれた。誰が頼んだ、え?ニコラ(仮名)は、どうやらイタリアのTV局のプロデューサーか何かだったらしい。周囲の人たちも、皆、クルーみたいだった。数少ない喫煙席を唯一確保したらしいニコラ(仮名)の周囲にはいつも五、六人がたむろして、煙草を吸いながらグラツパを立ち飲みしていた。初めて行く日本なのか皆興奮気味だった。
私が、日本人の乗務員に、コーヒーいただけますか、と頼むと誰かが復唱した。すると、全員で、コーヒー、コーヒーと合唱するので、思わず吹き出してしまった。陽気なおっちゃんたちだ。もしかして、この中のひとりは、アントニオ(本名)なのでは、と思うとますます笑えて来た。しか
し、私が追い求めるのは、仮名のアントニオなのである。仕方ない。次回のイタリア旅行に期待しよう。その日まで、アントニオよ、アリベデールチ!それにしても、大酒飲みと女には生きやすい国だぜ、イタリア。あ一、これって、昔、森山と大阪のジャンジャン横丁でも言いながら悦に入ってた言葉。結局、私って、どこに行っても同じなのね。イタリアと言えば、私の友人の作家、大岡玲はイタリア通である。おいしいもの大好き、ワイン大好きで女性に優しい彼は、なる程、イタリア人の男に通じるところがある。
好きこそものの上手なれで、彼は、ワインにも美食にも詳しいので、私も色々と辞書代わりにこき使うこともある。その大岡が、な、なんと!!ファッションモデルとしてデビューしたのである。うお−、何考えてんだ、あいつは。会場に足を運んだ私と幻冬舎の石原は、ほとんど恐いもの見たさの気分であった。毎年、鳥居ユキさんのコレクションでは、文化人やスポーツ選手、芸能人などから選ばれた人々がメンズモデルを務めるらしいのだが、今回は、羽田元首相やサッカーの中山選手や日野皓正さんなどが出演した。
私の仲良しは、アーティストのクマさん(篠原勝之さん)と、そして、う一、大岡がモデルに変身。開演前から冷汗をかく私と石原である。「イッシー、私、非常に恥しいんですけど」「おれも、ものすご一く照れるんですけど」などと言っている内に、日野さんのトランペットに続いて男性モデルが続々と登場。大岡くんが出現すると、私たちは二人共、プログラムに顔を埋ずめた。しかし、やはり、私たちのリストランテ大岡の主人の晴れ姿をしっかりと目に焼き付けて置かなくてはならない。後で、からかうためにも。大岡くんは、終始、にこにこしていた。まあ、あの人は、普通にしていても笑い顔なのだが、いつも以上に笑み崩れていた。
「なんか、嬉しそうだねえ」「ほんと。あ一、おれもモデルになりたい」勘違いさせるファッションショーではある。しかし、出演者は勘違いしていないようであった。誰もが全員、非常に照れているのが伝わって来る。そりゃそうだ。本業をしっかり持っている人間程、それ以外のことに関してシャイなものである。終了後のパーティでクマさんが言った。「詠美、下手な小説読まされた、みたいに感じただろ」え?そんな滅相もない。「違うよ一。大岡くんもクマさんもいつもと全員違う服着てるから照れたんだ−い」そう答えたものの、Tシャツとジャンパー姿に戻ったクマさんの方が、やはり、「らしどというか、安心するというか。
洋服って、本当に、着る人によってものにされるべきだなあと感じた次第である。でもねえ、同い年の大岡には、ばしっと言ってやりましたよ、ばしっと。「本物のモデルさんたち、私が素人の小説読まされたような気分になったと思うよ−」だろうね−、とか相槌を打ちながら、大岡くんは、やはり、にこにこしていた。大物である。彼の社交性って、ひとつの才能ではないかと、私は常々思う。私みたいに、好き嫌いをはっきり出してしまうわがままくんには驚異的に、時に思える。しかし、こうも思う。本当は、はるかに私なんかより自分の内側で線を引いていたりするのかもしれないなあ、と。だって、それは当然。物書きですもの。
ちょっとぐらいは根性曲げないとね。でも、私って曲りっぱなし。大岡くんを見習って笑顔の練習をしてみよう。笑う門には福来たる。あ、そういや、ショーを見る時にかぶっていた私の黒い帽子は姪とおそろいの私の母が編んだものである。黒ベレーの変形で、後ろがびろ−んとたれ下がっている。私ではなく大岡玲がかぶったら、彼の姿は途端に七福神に変身するであろう。パーティ会場を後にした私たちは、恵比寿にある大岡くん行きつけのとってもおいしいフレンチレストランで食事をした。こっそりと秘密にしておきたいような素敵な場所だ。石原も、今度女の子連れて来たらポイント高いよね、などと言っていた。私も、やがて、アントニオでも連れて来るか。
あれ?アントニオは確かイタリア人でしたわね。それじゃ、ジャン・フランソワ(仮名)でも拾って来るとするかい。そんな私たちの思惑とは別に、大岡くんは、すっかり作家の顔に戻っていた。雑談の中に上手い具合に潜む彼の比較文化論は、いつ聞いても楽しく、勉強になる。やっぱ、モデルじゃなくて、物書きでしょ。ところで、私は、この間、な−んと、DJ用のターンテーブルを購入した。
今さらDJなんて出来る筈もないので、単に眠っていた大量のLPレコードを楽しむためなのであるが、嬉しい“私のレコードコレクションは、若いDJから見たらお宝の山ですよ、はっきり言って。七〇年代、八○年代の遊び場音楽なので、ソウルミュージックマニアには、けっ、てなものだろうが、オールドスクールはすべてそろっていると言っても過言ではない。もうじきおうちに届くターンテーブルの上で、懐しの音楽が息を吹き返すと思うだけで最高の気分である。でも機械音痴の私には、それをつなぐことが出来ない。
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