勝つ日本
 
  21世紀の戦略を徹底対論。中国、アメリカに潰されるな。  
著者
石原慎太郎、田原総一郎
出版社
文藝春秋
定価
本体価格 1143円+税
第一刷発行
2000/12/20
ISBN4−16−355720−2

祖国の姿今いかに・・・・・序に代えて

石原慎太郎

大学時代、私は大学の寮での共同生活で日本で最後の蛮カラを体験しました。今思うと涙が出るほど懐かしい。一方では消費文明の擡頭の感じられ出した時代に、弟に誘われて銀座のバーで遊んだりしながら、寮にいてはドテラを着た仲間たちと冷や酒を一升瓶からラッパ呑みしながら肩を組んで寮歌を放吟していた風俗はまったく対照的で、時代の端境期を感じさせたものです。

あれからこの国の社会を襲った変化は経済復興から発展、そして経済の高度成長に沿って歴然と新しい時代、新しい文明をこの国に招致し、その間私たちは中世ならば二、三百年かかって人類が経験したであろう膨大な量の変化と進展に晒されてきたともいえます。そして高度成長のピークとしてのバブル経済とそのあえなき崩壊の後の長い低迷の中で、疲弊したのは経済だけではなしに国民の精神までが明らかに疲れて病んで、人々は今打開の道が定かならぬまま、漠たる、しかし拭いようのない強い不安と不満の中に過ごしています。

今年西暦二千年の秋に、私たち有志が行ってきた日本寮歌祭が最後の幕を閉じたのも妙に象徴的なような気さえしますが、私の母校一橋大学の寮歌祭での定番は「一橋会会歌」で、その歌詞の最後はキャプテン・オブ・インダストリーを自負して内外に雄飛してきた一橋人の気概をこめて、「蛟龍の意気胸にして、いざ雄飛せむ五大洲」です。

そしてその後舞台の外で仲間だけで意気を揚げて歌うもう一つの寮歌の最後の文句は前者と対照的に、「祖国の姿今いかに、母校の姿今いかに」とあります。最後の寮歌祭とて仲間と肩組んでそれを口にしながら、私としては万感胸に逼るものがありました。まったく、今この国は奈辺に向かおうとしているのだろうか。我々がこの半世紀かけでつくして来た努力、あるいはそのはるか以前から先人たちが培いつくしてきた国家への思いははたしてこれから先報いられようとしているのだろうか。そんな気がふと、というよりつくづくしてきます。

くり返しいってきたことですが、中国の先の首相李鵬は五年前にオーストラリアの首相との会談の折話題が日本に及んだ瞬間に、「ああ、あんな国は後二十年たったら消えて無くなっている」と揚言していた。アメリカの国際政治学者のブリジンスキーは最近の彼の論文の中で、日本は所詮アメリカの「下僕」に過ぎぬといい放ってもいる。それについて日本の政府や出先の大使館が抗議したという話など一向に聞きはしない。傲岸無礼な話だが、しかしいわれてむべなるかなという気がしないでもない。

これは私だけの感慨ではなしに、今日多くの心ある日本人が密かに共通して抱く感慨でしょう。李鵬の発言からすでに五年がたっていった。後十五年して日本人が誰かの手で皆殺しにされているなどということなどよもありはしまいが、我々日本人が誰かからその国籍を問われ胸を張って日本人だと名乗ることがはたして出来るのだろうか。ひょっとするとどこかの国の属国、どこかの国の一州となりおおせているかもしれぬという気が、しないでも決してない。

ならばこの日本という国家にそれを防ぐべき力はないのだろうか。そんなことは決してない。力はさまざまに十分にある。ありながらも、それを自らのために十全に使うことが出来ずにいるのだという現況について我々はまず知るべきなのです。そしてなぜ自ら持てる力を自らのために使うことが出来ぬのかという訳についても。アーノルド・トインビーはその名著『歴史の研究』の中で、いかなる強大な国家も必ず衰微し滅びもする。しかしその原因は、それを強く意識して努めれば、決して不可逆的なものではないともいっている。

しかしそれら国家の衰微の原因の中で最も危険なことは、国家がものごとについて自ら決定することが出来なくなることだ、そうした国家はある場合には瞬間的にも崩壊し、滅亡すると。今日の日本に見られる、相対的に水準の高い日本の多くの国民が敏感に感じとっている不安、不満の症候群の原因はまさしくそこにあります。外国の要人が日本を軽侮する所以もそこにある。

この日本を押し包んだ閉塞感を払拭し、日本が真の自立を獲得しなおし、世界の中で強い存在感を持つ国家としてふたたび雄飛していくために必要な手立てとは、まず自らについて知ること、自らの持てる力について確かに知ることと、そして併せて、いったい何と何が足りないのか、何が欠落しているのかを知ることです。

トインビーは日本の近代化の歴史は人類の歴史の中の奇跡の一つだといいましたが、長らく続いた白人の植民地支配を覆し、今日の世界のあり様を到来させた私たちの先人の努力を、今私たちがもう一度違った形で再現し、人間の歴史を大きく規制していくことが出来ぬ訳はないと思うのは、はたして私だけなのでしょうか。

二〇〇〇年十一月

 

・従来とはまったく質の違った政治家こそが待たれている─石原

第一章さらば自民党・経世会政治

・「損か得か」で政治の基本を考えられる時代は終わった─田原

◎田中・竹下政治は終焉したか─田原二十世紀最後の総選挙で、単独過半数を取れなかった自民党は敗北したわけですが、その結果を一言で総括すれば、田中政治が終わったことを意味しています。田中政治を引き継いだ竹下政治も、竹下登氏の死とともに幕を下ろし、その遺物だけが残った。竹下氏は、田中角栄の政治手法を引き継ぎながら、角栄でさえなしえなかった戦後の保守政治を完成させた政治家だった。しかし、彼が保守政治を完成させたがための欠陥がここ十年ほどで噴出してきました。

竹下氏のパートナーだった金丸信氏が私に語ったことがあります。「俺だって好きな奴にはカネを出して面倒は見る。しかし、嫌いな奴、裏切る奴にはカネはやんないよ」ところが竹下氏は嫌いな人間でも、明らかに裏切っていた政治家にまでカネを配っていた。しかも自派閥ばかりでなく他派閥、さらには野党にまでカネを出していた。これは竹下氏から聞いた話ですが、彼がもっとも気を遣ったのは野党、とくに社会党(当時)で、それも落選した大物議員について、「これは効くんだよ」と言っていました。

たとえば雨の日、その落選した野党議員のところにカネを持参する。相手は竹下氏の心遣いに、門前で竹下の黒塗りの車が見えなくなるまでずっと頭を下げて立ち続けていたといいます。この気配りは政治家に限ったことではなかった。竹下氏から見せられたことがあるが、竹下氏は長い巻紙に官僚の現職とOBの氏名とポスト、任期などが一目で分かるように列記したものを作成し、常にそれに手を入れていた。さらに天下り先や、さらなる天下り先での定年が迫った官僚たちの、次の就職先まで斡旋し、動向を把握していた。さらに、過去に何度もあった乱闘国会についてもこんなことを話していた。

竹下氏によれば、全部シナリオが決まっていて、最初に誰が「異議あり」と発言するか、誰が委員長席に駆けつけるか、誰が委員長の右腕を、誰がネクタイを締め上げ、誰がごみ箱を蹴とばすか、段取りはできあがっている。竹下氏は野党から事前にシナリオを手に入れて、あの男はあそこで間違ったななどとほくそ笑んでいたという。政治家ばかりか、官僚も含め、すべて己の掌中に収めていたといっていいでしょう。そういう意味で、まさに竹下氏は保守政治を完成させた人物といっていいし、カネと人間関係で成り立った方程式を作り上げた。

一方、保守政治を完成させたがための欠陥も露呈した。それがリクルート事件です。リクルート事件では、旧河本派を除く自民党の全派閥の領袖や二番手までがリクルートに汚染された。もちろん戦後、自民党には金銭スキャンダル事件が何度も起きている。しかし、自民党の強靭さ、懐の深さは、スキャンダル事件が何度起ころうとも大きな影響は受けなかったことです。

党内にいくつもの派閥が存在し、首相を戴く主流派が金権スキャンダルで倒れれば、反主流、非主流から総裁が出た。象徴的な例がロッキード事件で、田中派が汚染されれば、それにとって代わって三木武夫、福田越夫、大平正芳の各氏が出て、自民党政治は安泰だった。ところが竹下氏によって保守政治が完成し、自民党はオール主流派体制になり、弱小の河本派を除き全派閥が汚染されてしまった。本来ならば、竹下辞任後の次の総理は宮沢喜一であり安倍晋太郎、そして渡辺美智雄であったが、リクルート事件は宇野宗佑が首相になる状況を生みだしてしまった。宇野氏は、本人が総理になる心積もりも、気構えもなく突然、首相に担ぎ上げられた最初の総理大臣でしょう。

準備もなく身辺整理もしていなかったので、つまらない女性スキャンダルが出てしまった。宇野以降、宮沢喜一を除いて海部俊樹、細川護煕、羽田孜、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗に至るまで、首相になる心構え、覚悟、決意はもちろん、政治力さえも身につける前に就任し、それが当たり前となってしまった。これによって自民党の脆弱さが一気に加速していったのです。一般に、「悪い」といった意識を持ちながら悪を実行してしまうことを「腐敗」と言う。そして、”悪い”という意識すら失われた状況を”退廃”という。

その意味で現在の政治は「退廃」と言わざるをえない。竹下は亡くなったが、彼が完成させた保守政治、いわば竹下氏の呪縛だけが残ったのです。竹下型保守政治にはもう一つの特徴がある。中曾根さんまでの総理経験者は、それぞれ政治家として総理大臣になるための何らかのメッセージを持っていた。田中角栄は日中国交回復、中曾根は行革、竹下は消費税と、それぞれ大きな仕事をやっています。竹下さん以後、メッセージがなくなってしまった。あの田中角栄にしても列島改造論などメッセージを持ち、自分の言葉で語っていた。

ニューリーダーと言われた竹下、安倍、宮沢の三氏がポスト中曾根を争ったときに、僕は三人と座談会をやったことがある。そのとき、「あなた方は今後の日本をどのような国にするつもりか」と質問をした。が、まともに答えられた人はいなかった。で、宮沢氏に、「国家論が何にもないじゃないか」と迫ったら、「当たり前ですよ。私たちは自民党という株式会社の専務三人なんです。社長はメッセージを持っているけれど、専務にはそんなものはない。そもそも専務に考え方の違いがあったら会社はうまく行くわけがないじゃないですか」と答えた。

竹下氏も、「そのとおりだ」と深々と頷いてみせたものです。つまり中曾根さん以後はメッセージがない。まだ竹下さんはメッセージがなくても、「十年経ったら竹下さん」という歌まで作って意欲だけは見せていましたが、竹下さん以後、そういう用意もなければ決意もない人が次々と首相になってきた。中曾根さんは、行管庁長官になる以前から、総理になろうと思って一生懸命努力してきた。「総理になるためには少なくとも十年か十五年ぐらいの布石と努力が必要だ」と自ら言っています。

 

 

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