序文
キャロル・アドリェンヌと最初に出会ったのは、『聖なる予言』のガイドブックを出そうか出すまいか迷っている最中のことだった。当時、私は自分の小説のガイドブックを書くことにあまり乗り気ではなかった。小説で説明したアイデアを理論づけてしまうと、かえって人々のひらめきが失われてしまうのではないかと心配していたからである。だが、キャロルと知り合って、この不安は気に解消した。彼女には人の心を理解し、多くの人の生き方を語るすぐれた能力があった。いやそれだけでなく、どんな会話も素晴らしい文章に変え、理論だけではなく経験を大切にすることを心得てもいた。
そんな彼女と何日もガイドブックについて話し合ったあと、『聖なる予言・実践ガイドブック』はついに日の目を見、これまで世に出たガイドブックのなかでも屈指のベストセラーになった。この成功は、ひとえにキャロルの卓越した文章力に負うところが大きい。キャロルは現在着々と進行している、人間の意識の変化について最もよく理解しているひとりだ。心理学の言葉を借りれば、人間は右脳と左脳を併用することで、自分の人生の謎を解き明かせるようになるということである。
しかし、ほとんどの人は日常の物質世界に埋没し、世の中に霊的神秘など存在しないと考えながら生きている。だから、彼らは世間体のいい目標を合理的に分析し、自分からは何も行動を起こさずにチャンスが巡ってくるのをただ待っているにすぎない。しかしそれに反して、科学の世界では定説をくつがえす学説が次々に生まれ、霊的神秘を重んじる精神世界についてもベストセラーになる本が出版されるようになった。その結果、人間を取り巻く神秘について、新たなイメージが形成されはじめた。いま私たちの周りでは、奇跡や偶然の一致といった、理屈では説明できないような出来事がいたるところで起こっており、これまで自分には巡ってくるはずがないとあきらめていた素晴らしいチャンスがすぐ身近にあることを知った。そして奇跡をはじめとする神秘的な導きにより、大きな使命感を抱けるようにもなってきた。
さらに、なぜ自分は人間として生まれてきたのかという疑問に、誰もが答えを出せる状況が築き上げられつつある。歴史に大きな足跡を残した偉人たちは、崇高な使命感を抱き、神(宇宙)が自分を支えてくれていることに気づいていた。すなわち、自分がこの世に生まれてきた目的をはっきりと自覚していたのである。彼らは探偵と同じように、自分の身の回りに起こる出来事の裏に隠されている本当の意味をさぐりだし、普通の人間が見過ごしてしまうようなことにまで、希望、チャンス、虚偽のにおいをかぎつけていたのである。いま、輝かしい人生は天才だけに与えられるものではないことに誰もが気づいている。
環境、学歴、家柄や育ち方に関係なく、その気になりさえずれば、素晴らしい人生は誰でもっかみ取ることができる。肝心なのはそのための方法を発見することだ。それはあなたにとって、自分には無理だと思い込んでいた夢への挑戦ともなるだろう。本書のテーマは、日常の生活のなかでシンクロニシティー意味のある偶然の一致一が起こる回数を増やしていくことだ。この目的を達成するには直感力を養う必要がある。そのためには、直感を得られやすくする状況を整えておくことが先決だ。本書を読めばわかるとおり、自分の才能を疑ったり、人に対して復讐心を抱いたりというマイナス・イメージをもっては、いくら有効なテクニックを身につけたところで、心の奥に直感が浮かび上がってくることはない。
人間は直感という素晴らしい能力をもっている。この能力は私たちに何をし、どこに行くべきか、また新しい情報はどこで手に入るか、絶えず知らせてくれる。そして、素直にこの直感に従うとき、シンクロニシティが次々に発生して、進むべき人生の目的へと私たちひとりひとりを導き、さらに高い次元へと前進させてくれるのだ。知らず知らずのうちに植えつけられた先入観を取り除きさえずれば、本当の自分の姿が見えてきて、どんな人にも備わっている天賦の才が顔を覗かせるようになる。
この事実を理解すれば、私たちの身の回りに起こる出来事のすべてが、いま自分の置かれている状況を正しく理解するための一助となる。しかし、この知識を頭のなかに詰め込むだけでは、なんの役にも立たないのである。私たちの課題は、頭だけでなく、実生活のなかでこのような体験を味わえるようになることなのである。キャロルは本書で、このプロセスを達成できるよう、じつに巧みに読者を導いてくれる。それを可能にしたのは、彼女みずからの天賦の才にほかならないのだが。
ジェームズ・レッドフィールド
本書の目的
本書の目的「本当の自分とはなんだろう?」そんな疑問がふと頭をよぎったことがあなたにもきっとあるはずです。この本はそんなあなたのためのものなのです。本書が本当の自分を見つけだすための道具にすぎないのはわかっています。しかし、現状に埋もれていてはわからない新しい世界にあなたを連れ出してあげることができるかもしれません。言い換えれば、本書は新しい世界に旅立つための序文でもあるのです。ここではまず、人生の目的を見つけだした多くの人々の心を打つ話を読んでもらいます。
そして、次にはあなたに本当の自分に気づいてもらいましょう。本書を読み進むうちに、あなたの心にはエネルギーが湧き上がってくるでしょう。いまの時点では、人生の目的がはっきりしていなくても、本書を読めばきっとその手がかりがつかめるようになります。そのためには、本当の自分を知りたいと強く思いながら、本書を読んでください。そうすれば、本書の内容があなたの身にしっかりついてくるはずです。本書がそのよりどころとしたのは、人生に起こる予測できない光や影の出来事をくぐり抜けていくとき、人類が昔から利用してきた普遍的哲学です。
人生の目的を見つけだした人たちのインタビューを読むことで、心の奥深くにしまい込まれていた英知や認識に刺激が与えられ、あなた自身の人生の目的が見えてくるでしょう。本書に書いてあることは、私生活や仕事上で私自身が実際に体験したことをもとにしています。
現在、私は人々の精神性を高め、人生の目的を見つけだす手助けをする教師、作家、ワークショップの主催者を職業にしています。
第一章を読めばわかるとおり、この道にたどり着くまでには紆余曲折の人生がありました。しかし、この険しい道を経てきたことで、この世で自分本来の居場所を見つけるのにたいへん役立つ、実践的な原理とテクニックを見つけだし、みずからも体験し、身につけることができたのです。本書には人生の目的を見つけだした数多くの人々の話をのせましたが、あなたを感動させる話もあれば、まったく興味がわかない話もあるでしょう。しかし、物語は時代、地域、文化の差を超えて、互いの経験を共有する役目を果たしてくれます。神話学者のジョセフ・キャンベルによると、物語(古代神話)は、精神と肉体とを調和させ、生き方を自然の掟に従わせるために作られるようになったといいます。
物語は全体を読んで理解されるものですが、人はそれぞれ話のなかから自分に役立つ部分を選びだすものです。また、話の内容によって、人の感じ方には違いも出てくるでしょう。私が人の話を聞いて学んだことは、読者の性格、現状、言語能力、希望や恐怖、人の話を聞く能力、人生の目的などにより、共通することもあれば、まったく違う場合もあるということです。しかし、現在は自分とは関係ないように思える話でも、いざというときに、ふと頭に思い浮かぶことがあるかもしれません。
物語は直感や想像力をつかさどる右脳で、テクニック、原理、説明、段階的プロセスは合理性や推理力をつかさどる左脳で学習されます。本書では、あなたが本来いるべき場所を見つけだす手助けとするため、右脳と左脳を利用する手段を併せて紹介していきます。本書の利用法最初から順を追って読んでも、好きなぺ−ジをめくって読んでもいいように、各章は人生の目的を見つけた人々の話、原理、アドバイス、質問事項をひとまとめにして構成してあります。直感とは自分のことをもっと知りたいという欲求から生まれてくるものです。
ここで紹介する方法のいずれかひとつでも、あなたに直感が浮かんでくるきっかけをつくってもらえれば幸いです。あなたにはまず、人生の目的に気づけるようになる環境をつくりだしてもらう必要があります。そして、できるだけ早くこの環境をつくりだすためには、ふたつの精神状態が重要な役割を果たします。ひとつは、自分が生まれてきた目的をなんとしても明らかにしたいという強い決意。ふたつ目は、いまははっきりしなくても、人生の目的を見つけだしたときには、すぐにその目的を実行に移せるだけの心構えをしておくことです。
第一部人生の意味を発見するために
第一章生きる目的を発見するまで
あなたはある性質をもってこの世に生まれてきた。そしてその性質は、文字通り、あなたが生まれたとき、神様から与えられた贈り物なのである。この世に生まれてくるすべての人間には、果たさなくてはならない使命があるのだ。ジェームズ・ヒルマンある日、私は宙をにらみながら刺々しい声で叫んでいました。あのとき、叫び声をあげていなければ、いまこうしてこの本を書いていることもなかったでしょう。一九九三年八月、私はカリフォルニア州リッチモンドのイーストベイヒルにある、小さなコテージの真ん中に立ちつくしていました。いまにして思えば、このときの「叫び」は、本来の自分の姿を取り戻し、いまの仕事に生涯を捧げるための転換点だったのです。
もちろん、そのときは、自分の人生がこれほど変わってしまうとは思いもしませんでした。何かを変えなくてはいけないと感じてはいましたが、それも暮らしや健康状態をもっとよくしたいといった漠然としたものにすぎなかったのです。当時、私は五十二歳でひとり暮らしをしており、ある人に頼まれてビジネス書の執筆を手伝っていました。しかしいつのまにか、その仕事が私にとって強い束縛となっていたのです。でも、八月のこの日を境に、私は本来自分の歩むべき道を進む覚悟を決めました。この決意がなければ、いま、こうして人生の目的といえる仕事にたどり着くことはできなかったでしょう。学園闘争をはじめ、時代が激動する一九六三年、私はカリフォルニア大学美術史学科を卒業しました。引っ込み思案で、孤独で、うつぎみだったせいか、当時の世の中の動きにはまったく関心がありませんでした。
世の中を変えるより、自分の性格を百八十度変えたいという気持ちのほうが強かったのです。私は二十歳のとき、同じ大学に通っていた学生と結婚しました。でも最初の三年間は本当につらくて、自分がなんのためにこの世に生まれてきたのかわからなくなっていました。卒業してエンジニアとなった夫は、会社の同僚をよくうちに連れてきたものです。夫たちはよく時事問題について話し合っていました。だから私も彼らと話を合わせるためだけに、大学の図書館で雑誌に目をとおしていたのです。
私はそんな生活に嫌気がさしていました。離婚して八年目に、ロサンゼルスからサンフランシスコに引っ越しました。生活は幼いふたりの子供の養育、新しい友人づくり、芸術、パートタイムの仕事を中心に回っていました。一九七四年、人生の目的を探すうえで最も重要な出来事が、三十三歳の誕生日を迎える二週間前に起こりました。それまでの一年半、私はケータリング会社の管理職として、多忙な日々を過ごしていました。文字通り、昼夜を分かたぬ仕事でした。私はほとんど家にいることができず、ふたりの子供をベビーシッターに預けっ放しにしておいたのです。それが間違いのもとでした。子供たちは手に負えないほど反抗的になっていたのです。
私はこの年の正月休暇を利用し、気分転換の意味を込めて、友人のゼノビア・パローと一週間ほどニューメキシコ州サンタフェへ旅に出ました。サンタフェに着いたとたん、私はすっかりこの土地の虜になっていました。一週間もしないうちに、ゼノビアとサンタフェに引っ越そうかと話をしていたくらいです。そして、カリフォルニアに戻ると、自分の直感を信じ、給料はよいが、忙しすぎる仕事を辞めたのです。友人たちはこの決断に驚いていましたが、私は家具をほとんど売り払い、残った身の回りの品をすべてニューメキシコに送りました。荷造りをし、子供たちを青いポンコツのフォルクスワーゲンの後部座席に押し込み、サンタフェヘと向かったのです。
私の決断は正解でした。サンタフェに到着するとすぐに、シンクロニシティが起こりはじめたのです。なかでもとりわけ大きな出来事をひとつ紹介しておきましょう。それは、一九七一年にサンフランシスコで知り合ったふたりの姉妹と偶然顔を合わせたことです。いまならはっきりと断言できますが、この姉妹は前世で私となんらかの関係があった人たちなのです。この出会いは、私の運命を新たな段階に踏みだすきっかけをつくってくれました。彼女たちはいつも私に友人のルース・ドライアーに会ってみないかと話していました。会ってみると、見るからに人のよさそうな人物でした。彼女にはちょうど私の子供たちと同じ年齢の子供がふたりいて、なんと通っていた学校も同じだったのです。
ルースと初めて話したとき、私は自分の名字を変えたいとふともらしました。離婚していたからです。前夫の名字はもう使いたくなかったし、結婚前の姓に戻すつもりもありませんでした。すると、ルースは即座に数秘術(訳注:誕生日の数字・名前の総字数などで運勢を占う)を使って、誕生日と相性のいい名前に変えれば、新しい運命が切り開けるかもしれないとアドバイスしてくれたのです。そのときは、私の人生にとってこの出来事が重要なことだとは気づいていませんでした。
しかし、この瞬間、人生の目的のひとつが目の前に示されたのです。ルースは私の旧姓と誕生日をもとに、小さな手書きのチャートを作成してくれました。それを見た瞬間、ピンとくるものがありました。本当の自分とは何かを教え、人生の目的を指し示してくれる数秘術に私は魅了されていったのです。私はふたつの名前を頭に思い浮かべ、ルースに計算してもらった末、名字をアドリエンヌに決めました。
昔からこの名前が好きで、娘のミドルネームにもつけていたほどでした。この名前の人物は、芸術、心理学、精神世界関係の仕事に向いていて、しかも講演やマスコミを通し多くの人々を励ます存在になるといいます。当時は、講演とかマスコミなど自分とは縁遠い世界だと考えていましたが、この名前が芸術や精神世界との関連が強いと聞いて、まんざらでもない気分でした。その後、私は数秘術を使って、人々の秘密を解き明かしていくことに夢中になっていったのです。サンタフェに引っ越していなかったら、ルースとの出会いも数秘術の存在も知ることはなかったでしょう。私が教師とカウンセラーの道を歩むうえでの重要な礎石をつくってくれたのは、ほかでもないこの土地だったのです。
数秘術を「発見した」瞬間、私はサンタフェを離れ、カリフォルニアに戻る決心をしたのです。一九七六年から九三年までの間、私の生活は子育て、芸術、精神世界の探求、直感を使ったカウンセリングを中心に回っていました。この長い期間、勤めていた非営利団体の事務所で手が空いた時間には、机にのせてあるアドレス帳の下に隠しておいた数秘術のチャートでクライアントの人生を占っていたのです。
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