リセット
 
 
  想い、時を越える・・・・希いはきっと、かなえられる・・・・  
著者
北村 薫
出版社
新潮社
定価
本体価格 1800円 + 税
ISBN 4−10−406604−4

第1章

星です。わたしの最初の記憶は、流れる星なのです。夕暮れ時、お線香を点けたことがあります。先を蝋燭に近づけ、小さな炎となるのを待つ。やがて振って火を鎮める。炎が消えると、入れ替わりに、お香の薫りが立ちます。燈色の点になった端が、手の動きに連れ薄闇の中で、すっ、すっ、と流れました。あ、これだ…と思いました。こういう光の動きを見たのだ、と。

隣の座布団に座っていた父に、「─ ね、こんな風にお星様が流れたんだよね」 と、同意を求めたことを覚えています。それが、父とわたしの共通の記憶だったからです。毛布にくるまれたわたしは、父の大きな手で抱かれ、空に引かれる何本もの線を見つめていたのです。「いいから、早く、南無南無しなさい」父は、そういいました。それも、お線香を持ったままでいるのが不謹慎だからです。仏間から、ちゃぶ台に戻ってしまうと、母に、「真澄は、あのことをよく覚えているよ」と、自慢げにいいました。わたしは五つか、六つ。その頃でも、もう思い出話でした。

二人のやり取りを聞くうちに分かったのですが、母の方は流星を見せることに乗り気ではなかったのです。

─ まだ小さ過ぎますよ。夜中に揺さぶったって、目を覚ますものですか。そりゃあよく寝るんですから。第一、まだ右も左も分からないんですもの。何も覚えちゃいませんよ。─ でも、お前、《三つ子の魂百まで》というだろう。

─ そりゃあ、少しはかり意味が違うんじゃございませんか。そんなことなすって風邪でもひかせたら、どうします。

─ この子は、利口なんだから、きっと覚えているよ。これが、四、五年に一度のことなら、無理はいわない。三十何年に一度だそうだ。

─ 三十何年なら大丈夫、この子は、また見られますよ。─そりゃあそうだが、果たして僕はどうかな。

─ まあ、縁起でもない。─ 真面目にいってるんだよ。人生五十年とすれば、危ないもんじゃないか。僕は、お前や、まあちゃんと一緒に、こいつを見ておきたいんだ。ラジオ劇風に再現するなら、こんな会話が交わされたようです。結局、母も一緒に起きていて、夜食を作ったそうです。室内用の文化竈で火を起こし、うどんに具を色々入れて煮込んだようです。その頃はまだ、燃料も食べ物も豊富だったのです。椎茸や鶏が入り、だしのよくきいた汁からほかほかと湯気がたつ

─ 考えただけで、おいしそうな匂いが漂って来るようです。父はいいます。「曇ハが一面にかかっていたからね、見えないかと心配したよ」わたしに忘れさせないためでしょう、その翌日から、流星見物の話を聞かせたようです。

─ となると、本当の記憶なのかという疑問もわきます。後から作られたものではないか。『グリム童話』の場面が《絵》として浮かぶように、聞かされた情景が《見える》のではないか。金の尾を引く星の残像は、あまりにも鮮やかです。確かにわたし自身の記憶だと思います。ただ、わたしには、星が見える前に嵐があったように思える。

─ それは、父の話のせいでしょう。家が巨人の手のひらで操まれるように揺れ、雨戸が絶え問無く音を立てる。寂しげな蝋燭の光が、部屋の中央だけを照らしている。恐怖に満ちた時間の後に、いつしか静寂が訪れ、開かれた窓の外に、数条の星が流れるのです。「あの前に台風が来たんだよ。とんでもない大嵐だった」父は、《六甲バミガキ》という会社に勤めていました。本店は神戸、支店が横浜にありました。その横浜店にいて、保土ケ谷というところに、大きな家を借りていました。もっとも、過ごした のが子供の頃ですから、何でも大きく見えたのかも知れません。仕事の関係で、よく東京と横浜を行き来していたようです。大嵐の時も、虎ノ門の方に出掛けていました。

─ 本当は、もっと色々なところに行ったのかも知れませんが、子供心には、南方にでもありそうな《虎ノ門》という地名が印象深かったのです。「凄い雨と風でね、踏ん張らないと吹き飛ばされてしまう。道路の上が水で一杯だ。大きな通りに出るほど風がひどい。一面に水煙が白く立って、それがうねる。うねって押し寄せて来る。息が出来なくなって自然と口を開いてしまう。すると、雨が口の中に叩き込まれる。真空の中にいるように苦しくなって来る。そんな中に、組み木をした出来かかりのビルジングが立っていた。

帰りも大変だった。車は、まったく捕まらない。新橋のプラットホームは、まるで船だ。暴風雨の中の甲板のようで、上がれやしない。汽車は出ないが、横須賀線は動くというので、階段の下で待った。列車も止まり止まり、やっとのことで保土ケ谷に着いた。町は真っ暗で、見渡す限り、満々た る泥水。四つ角に来ると、自動車が一台来る。かけあってみようかと思ったが、それが針金を引っ張っている。こちらの膝に当たりそうで危ない。何と看板を引きずっているんだ。とても駄目 だ」父は、大型台風にあった経験をこんな風に話したものです。「空が絶えず捻っている。停電で闇なのだが、辺りは水の光で、、ぼうっと明るくなっている。

ドイツ映画にありそうな眺めだった。剥がれそうな看板やトタンは他にもあり、頭の上でばった、はったと揺れている。ひょっと釘が抜けて、飛んで来て首にでも当たったら、もうおしまいだろう。東京の新聞には後で風速が三十何メートルと書かれたが、こちらの方では四十七メートル出たそうだ。家の玄関に着いた時には、《やれやれ助かった》と思ったよ。蝋燭の火を頼りに足を洗い、顔を洗い、シャツを取り替え、ようやくさっぱりした」父は、そこでにこりとして、「お母さんが、あんまりだいしたことと思っていないので、癪にさわったね」母は、大きな目をおかしそうに瞬かせます。その辺りから、両親のやり取りになります。

父は、翌日も朝から東京に出掛けました。六郷の橋というところがら河原のゴルフ場を見たそうです。すっかり水に浸かっていたといいます。若い職工さんらしい人が、それを見ながら《ブルジョアジー、ざまを見ろ》といったそうです。わたしは、その言葉が分からなかったので、「《ブルジョアジー》って何?」と、聞きました。「まあ、お金持ちっていうことだね」「お金持ちでないと、大変なの?」 「ああ。もう、お前ぐらいから、物売りしている子はいるからね」自分には、まだそんなことは出来ないと思いました。

「うちは、お金持ちなの」父は、にこりとして、いいました。「貧乏じゃあない方だよ」そう聞いて、安心はしました。でも、一方で、落ち着かない気持ちにもなりました。それは、こちらの大金持ちのお嬢様達の中の特別な人、例えば弥生原の優子さんなどが、時に口にする皮肉な、─ 某侯爵のお坊ちゃんがいってたそうよ。いつかは、革命が起こって僕達は絞首刑だって。わたしはギロチンがいいな。といった言葉を、耳にする時に起こるものです。ギロチンが怖いというわけではないのです。

いいえ、勿論、怖いのですけれど、ただ《死》ということに関していうなら、わたし達には、もう二十歳まで生きようという未練はない。むしろ、生から死を、こちらの座敷から隣の座敷に移ることぐらいに思う、そういう気持ちがなければ、空しさに食い尽くされて、今という一瞬を生きることも出来なくなると思います。そうではなくて、人と人の対立自体が、─スポーツの試合ではなく、本気で人間が対立し得るということが怖いのです。憎しみという感情が怖いのです。父は、わたしの心の曇りを見抜いたように、すぐに言葉を継ぎました。

「その後も空はぐずついてね、見られるかどうか、やきもきしたものだよ。あの─ 」わたしは、すかさず、「獅子座の流星群を」と続けたものです。

保土ケ谷には、小学三年の初めまでいました。それから、父の仕事の都合で、神戸の芦屋に越して来たわけです。せっかく、これから東京でオリンピックがあるのにと残念な気がしました。ところが、それどころか万国博まで延期という話でした。後から、とうとう両方とも中止と決まってしまいましたから、いずれにしろ見られなかったのです。それにしても、今となってみれば、オリンピックなどといっていた頃が夢のようです。幼い日々の思い出とも別れて、わたしは、西へ向かいました。

先に芦屋に行っていた父も、数日前から色々な後始末を兼ねて、迎えに来てくれました。東海道線の旅は疲れたけれど物珍しく、楽しいものでした。その途中で忘れられない体験をしました。当たり前なら、霊峰富士を見たことが一番でしょう。でも、それ以上の事件があったのです。わたしは、まったく飽きずに、窓の外に続くパノラマを眺めていました。

昔なら弥次喜多が長い日にちをかけて旅した五十三次を、座ったままで行くのは何と賛沢なことだろうと思いました。ところが途中から、外の眺めの前景に、まるで鉛の兵隊を、大地に突き刺して並べたように、直立不動の人の姿が見えて来ました。巡査のおじさん達です。「何かしら?」と聞くと、隣の母が耳に口を寄せるようにして、「陛下が、いらっしゃるのでしょう」 たちまち、列車の中の空気が張り詰めたものに感じられました。

ちょうど列車は、見渡す限りの水田に差しかかっていました。空は大きな刷毛で塗ったように均一に青く、雲一つありませんでした。早苗の世話をする姿は、はるか遠くに見えるだけです。海のように広がった水面が、わずかな風に光っていました。目前の畦道には、機械仕掛けで打ち出されて来るように、制服制帽の姿が次々に現れては、後ろに飛んで行きます。堅い表情をした車掌さんが、後ろから入って来ます。そして、窓の鎧戸を、がたんがたんと一つ一つ下ろして来ます。向かい合って座るわたし達の間にも身を入れ、窓に手を伸ばします。

鎧戸が落ち、溝に当たった瞬間の音が、拍子木でも合わせたように甲高く響きました。 車中の人々は、次々に立ち上がって行きました。男の人は帽子を取ります。父も、勿論、そう します。ふと、列車の天井中央に一列に続く電灯が、白い山高帽子を逆さに取り付けたようだと思いました。そんな時に、そんなことを考えるとは、おかしなものです。疾駆してやって来るものの予感が、胸を締め付けます。待つほどもなく、上りのお召し列車が、初夏の雷のごとくに轟々と、前を駆け抜けました。鎧戸を洩れる明かりが、一瞬、明滅します。車中の全員が深々と礼をしました。一つ二つ数えた辺りで、列車がカーブに差しかかり、ゆらりと揺れました。

皆が、よろめきながら、それをきっかけに起き直りました。元通り、陽光の溢れた窓辺に座ると、わたしは、「今、すぐそこを、─ 陛下がお通りになったのね」と、言葉に出して確認しました。そして、一番近付かれた瞬間には、何歩離れたとこにいらしたのだろうと、まるで宮中に招かれたように、どきどきしたものでした。

 

 

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