黄金の石橋
 
 
  古文書に記された言葉の「謎」 「金の石橋」 は実存するのか? 鹿児島を訪れた名探偵・浅見光彦ともう一人の浅見光彦!?  
著者
内田康夫
出版社
実業之日本社
定価
本体価格 800円+税
ISBN4−408−50376−2

依頼人は浅見光彦?

名探偵も浅見光彦!

「軽井沢のセンセ」の陰謀で俳優・絵樹卓夫氏の依頼を肩代わりさせられた「ぼく」は、生まれて初めて鹿児島の土を踏んだ。絵樹氏のご母堂が何者かに、「金の石橋」の在処を示す古文書を渡せ─と脅迫されているというのだ。そしてついに殺人事件が……。

鹿児島から熊本へ、「ぼく」は見えない恐喝者と競いあって、黄金の石橋を追う。

プロローグ

テレビドラマで浅見光彦役を演じている絵樹卓夫クンが僕を訪ねてきたのは、避暑地・軽井沢にようやく春が訪れようとする頃のことである。応接間に落ち着くと、「先生に折入ってご相談したいことがあるのですが」と、やけに神妙な顔であった。絵樹クンは本名「榎木孝明」、いま売り出しの二枚目俳優である。実際の浅見光彦よりもかなり年長だが、それを感じさせないほど若々しい。顔の皮膚は少年のように滑らかだし、少し茶色がかった眸には、やんちゃ坊主のような好奇心に満ちた輝きがある。ドラマの話が持ち込まれたとき、僕が一も二もなく絵樹クンを推薦したのは、浅見光彦と風貌が似通っているのと同時に、彼のみずみずしい感性を高く評価したからでもあった。

もっとも、本物の浅見のほうは、必ずしも納得してはいないらしい。絵樹クンに不満があるというのではなく、そもそも自分の事件簿がテレビドラマはおろか、小説のネタにされること自体、面白くないのである。せっかくドラマで自分の役を演じてくれるというのに、絵樹クンと顔を合わせようとしないほどだ。だから僕はテレビドラマ化に関しては、浅見の意向をまったく無視することにしている。ただし無視はするが、僕が浅見に抱いているイメージだけは大切にして、できるだけ浅見らしい役者を推薦したっもりなのだ。絵樹卓夫クンは本題に入る前に、ずいぶん長いこと逡巡していた。ここに到っても、相談ごとを切り出すべきか否か思い悩んでいる様子だった。端正でいかにも頭脳明晰そうな顔だちの彼が、眉根を寄せて考え込むのを見ると、理由が分からないまま、こっちまでも深刻になる。「遠慮しないで、言ってごらんなさいよ」僕は焦れったくなって、催促した。

「はあ……じつは、ご相談というのはプライベートなことでして、お忙しい先生にこんな面倒を持ち込んでいいものかどうか……」「そんなことは気にしなさんな。いや、それはもちろん、忙しくないことはないですよ。いまもJ社の書下ろしを急かされて、四苦八苦しているところです。しかし、ほかならぬ絵樹クンのことなら、プライベートでもなんでも……ははあ、なるほど、女性に関する相談ですね」僕は察しよく水を向けてやった。「えっ、よく分かりますね、そのとおりなのですが」「そのくらいは分かりますよ。僕ぐらい世の中の酸いも甘いも経験してるとね。分かった分かった、それならなおのこと引き受けますよ。で、何人くらいなんですか?」「は?何人といいますと?」「だからア、きみが付きまとわれて困っている女性の数は何人かっていうこと。いや、そう大勢では僕だって困るけど、一人や二人なら面倒見てあげてもいいですよ。ただし、あっちには内緒ですけどね」僕はリビングルームにいるカミさんの気配を気にしながら、小声で言った。

「あ、いや、ははは、それは違うのです」絵樹クンは笑いかけて、それでは失礼だと思ったのか、辛うじて真顔を保ちながら言った。「女性といっても、僕の母親のことなのです」「お母さん?……」僕は素早く計算した。絵樹クンにはお姉さんが二人いるそうだから、お母さんの年齢は七十歳前後か。いくら敬老の精神に富んだ僕でもさすがにそこまで面倒見る気にはなれない。お姉さんならいいのこ ─ 。「そうですがア、お母さんねえ。それはちょっと・・・・・」落胆が正直に顔に出たらしい。絵樹クンは申し訳なさそうに頭を下げた。「もちろん僕の母親のことなど、先生にはまったく関係がないとは思います。それを承知の上で先生のお手を煩わせ、なんとか浅見さんにご出馬いただくよう、橋渡しをお願いできないかと、こうしてご相談に上がったのですが」「えっ、浅見に?……」ここに到ってようやく、僕も話が噛み合わないことに気がついた。

「そう、そりゃまあ、浅見ちゃんへの橋渡しぐらいは、ことと次第によっては引き受けるにやぶさかではないですけどね。しかし、いったい何事ですか?」「じつは、母親から再三電話がありまして、身の危険を感じるというのです」「ほう、それはまた穏やかじゃないですね。まさか、近頃はやりのストーカーに付きまとわれているわけじゃないでしょうね。ははは……」僕は例によって軽薄に笑いかけたが、絵樹クンの恨めしそうな、見ようによっては軽蔑しているような目に出くわして、慌てて笑いを引っ込めた。「いや、失礼。それで、身の危険とは、具体的にどういうことなんですか。たとえば夜道で襲われたとか」「いまのところ、まだそこまではいっていないようですが、得体の知れぬ電話がかかってくるそうです」

「どんな?」「それがはっきりしないのですが、たぶん、金山に絡んでいるのではないかと、母親は言っております」「金山………というと、佐渡金山とか、そのたぐいの金山ですか?」「ええ、そうです。僕の郷里の菱刈町の近くには、かって手掘りの金鉱がいくつもありました。僕の祖父の代まで、榎木家もその一つを持っていて、そこで金を掘っていたのです」「へえ−っ、榎木家は金鉱山主ですか」僕はたちまち尊敬の眼差しになった。ことによると、物欲しそうな目つきだったかもしれない。金だとかダイヤモンドだとかいう名前を聞いただけで、条件反射的に卑屈になるのである。

「いえ、鉱山主というほどのものではありません」絵樹クンは苦笑した。 「僕の祖父の頃までは、実際に仕事はしていたようですが、祖父が戦争に引っ張り出されてからは、まったく放置されたという話です。いまでは完全な廃坑で、僕などはどこにあるのかさえ知りません」「なるほど……しかし、その金山がどうしてまた?」「それは母親にも分からないのだそうです。ただ、電話の相手が『金のことを書いた書類はどこだ』と、そればかりを言うものですから、たぶん金山のことではないかと」「ふ一ん………」僕は顔をしかめて腕を組んだ。べつに推理作家を気取ったわけではない。皆目見当がつかない難問をまえにして、どうずればいいのか分からなかったのである。「そういうことなら、やっぱり浅見に話すしかないなあ」「そうでしょうねえ、やっぱり」絵樹クンもすぐさま同調した。僕の無能を追認するような口ぶりは気に入らない。

「しかし、あいつはどういうわけか、絵樹クンが苦手らしいからねえ。なかなか会うのは難しいかもしれない」「そうなんです」絵樹クンは大きく頷いた。「何度か浅見さんのお宅に電話したのですが、いつも居留守を使われて………浅見さんは僕のことがよほど嫌いみたいです」「いや、きみが嫌いってわけじゃないでしょう。要するに、テレビで自分を演じられるのがいやなんだろうね。照れかもしれない……だけど、彼が居留守を使っているって、どうして分かったんですか?」「それは浅見さんがそう言ってましたから」「えっ?それ、どういうこと?」

「電話に出た女性たぶんお手伝いの須美子さんだと思いますが、彼女が近くにいる浅見さんに『坊っちゃま』と声をかけて、僕からの電話であることを伝えると、『留守だって言ってくれ』って答える声が聞こえたんです。須美子さんが困っていると、『本人が言ってるんだから、間違いないだろう』って………」「ははは、浅見らしいなあ。といっても、僕も編集者からの電話には、しょっちゅう居留守を使いますがね。それに、電話は失礼ですよ。こっちの都合やどういう状況かを考えずに電話されるのは、はなはだ迷惑。トイレや風呂に入っているかもしれないし、昼寝の最中だったら目も当てられない。ファックスってものもあるし、その前に手紙を書くのが礼儀というもの……あ、これはきみのことを言ってるわけじゃないですよ」

「いえ、僕もそれは承知しています。浅見さんには手紙もファックスも出しましたが、いつもナシのつぶてなのです」「なるほどなるほど、そうなると絵樹クンとしては手の打ちようがありませんねえ。分かりました。僕が説得してみましょう。きみに会うのはいやでも、お母さんなら話は違うかもしれない。直接お母さんにお目にかかってもいいんでしょうね」「もちろんそのほうが話が早いです。僕からお話しするより確かですし」「いいでしょう、任せておいてください。どうせあいつは暇人ですからね、ちょこっと行ってもらいますよ。ところで、いまお母さんはどちらですか?」「ですから、菱刈町です」

「菱刈町っていうと、どこでしたっけ?」「鹿児島県です」「鹿児島県……そうか、絵樹クンは薩摩っぽでしたね。鹿児島じゃちょこっていうわけにもいかないかなあ………」僕は安請け合いをしたことを後悔したが、心配そうな絵樹クンの顔を見ると、すぐに胸を叩いて言った。「なに、鹿児島だろうと香港だろうと、たとえ天竺の果てでも、彼は僕の頼みには逆らえないはずです。まあ、大船に乗ったつもりでいて大丈夫ですよ」「よろしくお願いします」絵樹クンはほっとして、深々と頭を下げたのであった。しかし、請け合ったものの、今度ばかりは浅見を説得できる自信はさすがになかった。なにしろ鹿児島は遠い。埼玉県や軽井沢に出掛けるのとはわけが違う。何よりも浅見の大嫌いな飛行機に乗らないと、ちょっと行けそうにない距離だ。それでもとにかく、だめもとの精神で電話をしてみた。電話には例によって、お手伝いの須美ちゃんが出た。

浅見家に電話すると九割方は彼女が受話器を取る。運の悪いときは浅見の母堂の雪江未亡人が出ることもある。その場合は「あ、番号を間違えました」と電話を切ることにしている。うっかりこっちの名前を名乗ろうものなら、「光彦は当分のあいだ留守をいたしております」と、けんもほろろに撃退される。須美ちゃんは少し離れたところにいるらしい浅見に『坊っちゃま、軽井沢のセンセですけど、お留守って言いましょうか』と言った。故意にそうしているのか、送話口の覆い方がいいかげんだから、筒抜けに聞こえる。まったく、雪江さんといい須美ちゃんといい、僕に対する剥き出しの敵意はなんとかならないものかねえ。浅見はすぐに電話に出た。「しばらくですね、お元気ですか」やけに愛想がいいと思ったら、「……奥様は」とつづけた。「ああ、お蔭様で元気ですよ」「そうですが、それは何よりです。じゃあ失礼します」

「あ、ちょっと待ちなさいよ」僕は慌てて大声を出した。受話器から離れた浅見の耳にも、これなら十分、届いたにちがいない。「はあ、何でしょう?」「きみに頼みたいことがあるんだけど」「だめです」「おいおい、用件も聞かずにだめはないでしょう」「聞いても無駄なんです。ぼくは当分忙しいし、それに取材に出掛けますから」「ふ一ん、珍しいねえ、曲がりなりにも仕事にありついているんだ。で、取材って、どこへ行くの?」「遠くです」「遠くって、どこさ」「ものすごく遠くです。先生とは当分お目にかかれそうにありませんね」「遠いったって、南極へ行くわけじゃないでしょうが」「ははは、まさか、九州ですよ。熊本県と鹿児島県にまたがって。石橋を訪ねるルポの仕事が入りましてね」

「えっ、鹿児島県て言った?」「そうですよ、遠いでしょう。遠い上に、これがけっこう時間を要することになりそうなのです」「そうか、鹿児島か、それはちょうどよかった。鹿児島へ行くんだったら、ぜひ頼まれて欲しいのだけどね」「分かってますよ、お土産はちゃんと買ってお送りします」「いや、土産はいい………そりゃもちろん期待はしてるけどね。しかし頼みっていうのは別のことだ。鹿児島県の菱刈町ってところに寄ってもらえないかな」「いいですよ」あまりにもあっさり言ったので、僕は聞き違えたかと思った。

「きみの忙しいのはよく分かるけどさ、ほんのちょっと時間を割いて、立ち寄ってくれればいいんだから」「ですから、いいですよと言ってるじゃないですか。菱刈町なら、鹿児島から熊本へ行く取材ルートの道筋ですからね。で、何をすればいいんですか?」「えっ、いいの?ほんと?そう、それじゃ頼みますよ。菱刈町に住んでいる女性に会ってくれればいいの。女性といったって婆さんだから、面白くもなんともないけどね」「またそういうことを………それで、その女性がどうしたんですか」

「うん、じつは、彼女が生命の危険を感じるような事件が起こっているらしい。電話だから詳しいことは分からないが、僕に涙ながらに頼むんだ」「生命の危険」などとは言ってないのだが、僕はかなりの脚色を加え、かつ絵樹卓夫の名前を出さないように注意して、大まかなことを説明した。「分かりました。その女性の名前と住所を教えてください」「名前は絵………いや、えーと、榎木……そう榎木っていったな」僕は巧妙にごまかして、住所と電話番号だけは正確に伝えた。なに、いくらいやがっていても、向こうへ行って絵樹クンのお母さんに泣きつかれれば、その気になって相談に乗るに決まっている。浅見光彦というのはそういう男なのだ。本文P.5〜13

 

 

 

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