![]() |
||||||
再生 続・金融腐食列島
|
||||||
著者
|
高杉良
|
|||||
出版社
|
角川書店
|
|||||
定価
|
本体 1400円(税別)
|
|||||
|
ISBN4−04−873256−0
|
第一章 見えざる敵 1 平成九年(一九九七年)七月十五日午前十一時四十三分に電話が鳴った。 「はい。協立銀行プロジェクト推進部の竹中です」 「相原だが、昼食を一緒にどうかと思って。ちょっと、折り入って話したいことがあるんだけどねえ」 「わかりました」 「すぐ出られるのか」 「ええ」 「じゃあ、五分後に”門”で会おう」 「承知しました」 きかんきなきりつと締まった竹中治夫の表情が撃った。厭な予感を募らせながら、竹中は電話を切 った。 「ちょっと」と「折り入って」は矛盾している。後者が本音に相違ない。ろくでもない話に決 まっている、と竹中は思いながら、腕まくりしていたワイジャツの袖を元に戻しながら、”竹中班” 付女性事務員の清水麻紀に話しかけた。 「少し早いげど、食事に行ってくる。なにかあったら”携帯”に電話して」 「はい。行員食堂ですか」 竹中は、麻紀のデスクに近づいて、小声で言った。 「"門"だよ。部長から呼び出されたんだ。内緒だからね」 「部長はうなぎがお好きなんですねえ」 麻紀は、大きな瞳を見開いたが、声量は落としていた。麻紀も、相原から”門”に誘われたことが あるのだろうか。 麻紀は今年、平成九年四月に入行した。女子大の英文科を出ている。四月一日付で”竹中班”に配 属された。前任者が結婚で五月末に退職したためだが、ほんのヒヨッ子にしては仕事の呑み込みも早 く、気働きするほうだった。そのうえ、美形でグラマーときている。さぞや独身行員のターゲットに されていることだろう。 竹中は昭和四十九年(一九七四年)の入行組で、四十五歳。入行して二十三年になる。ずいぶん多 くの女性事務員と接してきたことになるが、印象的な女性はほとんど記憶になかった。 麻紀は別格だ。もっとも、仕事にかまけて、同僚の女子行員に無関心であり過ぎたせいもある。 営業本部プロジェクト推進部は、大口の不良債権および利払いが六か月以上滞納している要注意債 権を取り扱うセクジョンだ。 不良債権を放棄するか、償却するか、その方法は破産処理なのか等々、ぎりぎりの判断を求められ る。竹中は副部長だが、ヤクザが絡む案件もままあるので、命がけの仕事を強いられる過酷なポスト である。 事実、広域暴力団に絡まれた案件もあった。”戦車”をかます、とは、右翼を騙る反社会的勢力が 街宣車を繰り出すことだが、”戦車”の怖さは、経験した者にしかわからない。生きた心地がしない、 とはこのことだ。竹中は二年ほど前、自宅に”戦車”をかまされて、妻子がノイローゼになり、家庭 崩壊寸前にまで追い込まれたことがある。 大物フィクサー・児玉由紀夫の助けがなかったら、確実に家庭は崩壊していただろう。 協立銀行は、比較的体力のある都銀大手である。 営業本部プロジェクト推進部のメンバーはきょう平成九年七月十五日現在、総勢四十二名。取締役 プロジェクト推進部長の相原洋介は平成八年十月に就任した。まだ九か月しか経っていない。昭和四 十三年(一九六八年)に慶大経済学部を卒業した。 副部長は七名。”竹中班””岡崎班”などは部内の俗称だが、”竹中班”は麻紀を含めて七名で構成 されている。 日中は、班長と麻紀以外は外出していることが多く、デスクワークは午後五時以降になる。 竹中自身も、しばしば対外折衝で外出する。 竹中は現職に就いて丸三年経った。七月一日付の大幅な人事異動で、プロジェクト推進部からおさ らばできるのではないかと、期待していたが、当てが外れた。それだけ戦力になっているのだから仕方がない、と思うしがなかった。同期の岡崎政彦も期待を裏切られた口だ。 七月一日の夜、岡崎と二人でヤケ酒を飲みながら、「早慶戦で仲良くやるっきやないか」と、竹中 はやけ気味に言ったものだ。 竹中は早大法学部、岡崎は慶大商学部の出身だ。 竹中は、空席の岡崎副部長席に目を投げてから、ワイシャツ姿で七階フロアのプロジェクト推進部 を出た。 ”門”は老舗のうなぎ屋で、大手町センタービルの地下一階にある。協立銀行本店ビルとは目と鼻の 先だ。 ”土用のうなぎ”で、夏場は混んでいるが、昼前だったので、二人用のテーブルが空いていた。 竹中が坐って二分後に、相原がスーツ姿であらわれた。相原が、会議後”門”へ直行してくること はわかっていたが、竹中はあえてワイシャツ姿にこだわった。 蒸し暑さもさることながら、どうせ厭な話に決まっているのだから、恰好をつけることはない。 「”和田倉”を二つお願いします。 それとビールの中瓶を一本」 相原はメニューも見ずにオーダーした。よほど、うなぎが好物なのだろう。 ”門”のうな重は、”桔梗”二千五百円、”和田倉”三千円、”桜田”三千五百円の三種類。いずれも 肝吸い、新香付きだ。 ”和田倉”とは気張ったものだと思いながらも、竹中は切り口上で訊いた。 「折り入って話したいことがあるとかおっしゃってましたが、なんでしょうか」 相原は一瞬伏し目になったが、背広を脱ぎながら面を上げた。しかも、整った顔に愛想笑いを浮か べている。 「悪い話じゃないと思うよ。竹中に”特命”でやってもらいたいことがあるんだ」 「やっぱりねえ。また”特命”ですか。部長に、うな重をご馳走になるのは、これで二度目ですけど、 厭な予感がしたんですよ」 「二度目……。厭な予感ってなんで」 相原は眉をひそめて、小首をかしげながら運ばれてきたビール瓶を持ち上げた。 竹中は、ビールの酌を受けたグラスをロへ運ばずに、テーブルに置いて、きつい目で相原をとらえた。 「ちょうど丸四年前です。忘れもしません。当時、虎ノ門支店長だった部長から、総務部の”渉外 班”へ飛ばされることを伝えられたんです。 あのときもうな重をご馳走になりました」 相原がひとロビールを飲んでから、気まずそうに右手で胡麻塩の後頭部を撫でた。 「うん、思い出した。そんなことがあったねえ。”渉外班”は総会屋対策の専任ポストだけど、竹中 は、”特命”だったんだっけ。永井常務から多少のことは聞いてるが、”鈴木天皇”の尻ぬぐいをやら されたらしいじゃない」 「本チャンの”渉外班”のほうがよつばどましでしたよ。協立銀行なんかに入行するんじゃなかった と後悔しましたもの」 永井卓朗は、相原の前任者で、企画部長を委嘱されていた。いまや斎藤弘頭取のブレーン中のブレ ーンだ。 鈴木一郎は、平成八年十月一日付で代表取締役会長から取締役相談役に退いたが、先輩の頭 取・会長経験者の相談役三人が辞任したため、うっとうしい存在がなくなった分、逆に気楽になり、 いまなお権力者として君臨していた。いまだに”鈴木天皇”で通っている。 会長職は空席のままだが、斎藤頭取も負けん気の強いほうなので、協立銀行には人事権者が二人い る、と傍から見られるのも故なしとしなかった。 「きみは、あの佐藤に見込まれて、”特命”やらされたんだから、ツイていたとも言えるんじゃない のかね。”鈴木天皇”が頑張ってる限り、佐藤にも次の次の頭取の目はあるからねえ」 相原は「あの」にアクセントを付けて、皮肉っばく言った。 ”カミソリ佐藤”の異名を取る東大法学部出身の佐藤明夫は、取締役営業本部第一部長で、昭和四十 三年(一九六八年)入行組の相原と同期だ。鈴木の頭取、会長時代、企画部次長、秘書役、取締役秘 書室長として、辣腕をふるった。斎藤頭取とソリが合わないので、往年のパワーは半減したとはいえ、 佐藤と相原との力関係は歴然としていた。つまり、佐藤は、”鈴木天皇”の懐刀的存在であること には変わりがなかったのである。 竹中がビールをひと口飲んで、訊いた。 「”カミソリ佐藤”がまた絡んでるんですか」 「ちがうちがう」 相原は首と右手を左右に振ってから、話をつづけた。 「”特命”には違いないが、永井常務と高野常務のお声がかりだから、安心したらいいよ」 高野繁は、人事部長を委嘱されている。 、わたしは”カミソリ佐藤”の一派と見倣されてるわけじゃないんですね」 うな重が運ばれてきたことをいいことに、相原は竹中の質問をはぐらかした。 「食べてからにしよう。”門”のうなぎは、蒸しかたとたれがいいから、美味しいよ」 相原に続いて、竹中も重箱の蓋をあけて、底に重ねた。本文P.5〜11 より
|
|||
http://www.books-ruhe.co.jp/ ****** ・・・・・・HOME・・・・・・ |