弟切草
 
 
  角川映画「弟切草」 2001年1月27日(土)全国東宝系ロードショー! 弟切草 ・・・・・その花言葉は『復讐』・・・・・  
著者
長坂 秀佳
出版社
角川書店 角川ホラー文庫
定価
本体640円(税別)
ISBN4-04−347501−2

弟切草……その花言葉は 『復讐』。 ゲームデザイナーの公平は、 恋人奈美とのドライブで山 中、事故に遭う。二人がやっ とたどり着いたのは、弟切草 が咲き乱れる洋館だった。 「まるで俺が創ったゲームそ のものだ!」愕然とする公 平。しかし、それは惨劇の幕 開けだった……。 話題のベストセラーゲーム を乱歩賞作家の原作者がオ リジナル小説化!

頬にあたる山の冷気が心地良い。くねくねと曲る山道を、ぼくの車は軽快に飛ばしている。買ったばかりの自慢の新車ポルシェ91ーカレラクーぺ。奈美と二人のドライブでこんなに遠くまで足を延ばしたのははじめてだ。久しぶりの二人そろった休日に、とつぜん思いついて出発することになった。朝八時に東京を出て、中央自動車道を飛ばし、諏訪湖で早目の昼食をとってから、穂高の小さな美術館を見た。帰りは美ヶ原高原へ回って野外彫刻を見たあとで、どうせならもう少し冒険をして、わざと知らない道を遠回りして帰ろうということになった。

陽はだいぶ傾いていたが、奈美は反対しなかった。ぼくが標識のない分かれ道ヘバンドルを切ってから、もう一時間以上になる。静かなものだ。途中一台の車にも出会さない。ぼくの胸には期待があった。もしこのまま道に迷ったら、今夜は泊りになるだろう。二人にとっては、初めての夜になる。暗黙のうちに、ぼくらはそれを認め合っていた。 「─ねえ、夕焼けがきれい」 「ああ、ほんとだ……」 せっかく奈美がいいきっかけをくれたのに、ぼくはバ力みたいな返事でムードをこわし てしまった。会話はまた途切れた。人間下心があると無口になる。無口になったぼくは、 さっきからほかのことは一切考えられなくなっている。

「静かね。……聞えるのは、鳥の声だけ」 「ああ……」 もうすぐ日が沈む。山は深い。無人の道はどこまでも続いている。見渡す限りのこの緑 の世界の中に、いるのは、ぼくと、奈美だけなのだ。ああ。ぼくは息苦しくなる。はあ、 はあ……。 「─私ね、木の精とか草の精って、ほんとにいると思うわ」 奈美が急にメルヘンチックな話をはじめた。 「魂って、きっと浮遊してるんだと思うの。それが木に入ったとき、木の精になる。草に 宿ったら、草の精になる。生まれてくる赤ちゃんに宿ったときに、それが人の心になるの よ」 「ふうん、かも知れないな」 会話は.ぼくの頭の中で空回りしている。

この山をぬけると、たぶん蓼科あたりの温泉へ 出る。そごでまず食事をしよう。疲れたからといって露天風呂に入ろう。そこで、ムフフ。 こういうときぼくの思考には、なぜかいつも必ずムフフが入る。 「魂が宿る前のにんげんの脳って、いってみればコンピュータ状態だと思うの。高性能だ から、計算もできるし、記憶もできる。考えることだってちゃんとできるわ。でも、まだ ”心”がないのよね」 「へえ……」 ぼくはそっと奈美の横顔をうかがう。まずあの形のいいやわらかそうなくちびるをうば う。そうだそれがいい。は、はじめてのキス。ここでワンステップ上げておけばあとのハ ードルが楽だ。はあ、はあ。それはなるべく早い方がいい

そうだ、ここでいますぐ車を 停めよう。二人で夕焼けを見るふりをして…ムフフ。 「だから、キューブリックの『2001年宇宙の旅』は正しかったのよ」 「え……!?」 話が急に飛躍した。しかもぼくの大好きな映画の話だ。 「ほら。あの”ハル”ってスーパー・コンピューダが心を持つちゃうでしょ?ああいう ことって、ほんとにあると思うの。つまり、ひとの心に入るべき魂が、赤ちゃんじゃなく、 コンピュー夕に宿っちゃったわけ」「ハハ、医大生にしては、またえらく非科学的な新説だな」 こういう話はキライではない。ぼくはいっぺんに引きこまれた。 「あら、逆よ……私、病院で勉強するようになって、はじめてそんなふうに思うようにな ったの。

目の前で死んでいく患者さんや、生まれてくる赤ちゃんを見てるうちに」 「へえ………じゃあ奈美は、木や草が、心をもったり、喋ったりするっていうのか?」 「テレパジーではね。現に、外国にはそういう実験データもあるわ」 「ちがうだろ」 「え」 「それは、気のせい(木の精)」 「ばか」 ぼくらは笑い合って、ぼくはやっとふだんのぼくに戻った。 「おれ、”多重人格”ってのもソレだと思うな」 「ええ?どういうこと?」 「多重人格ってのはいま、その人の潜在意識が、逃避のために自己の中から創り出した別 人格ってことになってるだろ。

だけど、それだけじゃ説明のつかない臨床例もあるんだ」 「まあ、どういう?」 「多重人格の中に、実在する別人の人格が入り込んでいた例とか、死んでいる人の人格が 入りこんだ例とか」 「まあ公平、それ、おもしろいわ!」奈美は目を輝やかせた。「つまり多重人格は、本人 が創り出した”幻の人格”じゃなくって、私のいう”浮遊する魂”が、ひとの心へ入っち ゃったケースだっていうのね!?」 「そう。そうやって、先住者がいるのに不法侵入したヤツが、”多重人格”。どこへも入れ ずにウロウロしてるのが、”幽霊”」 「あり得るわ、それ!もともと、ひとの”心”自体が、生まれる前の赤ちゃんに入りこ んだ魂なんだから、もう一つ別の魂が入りこんだって、ちっともヘンじゃないもの!」 「ヒトダマとか、火の玉ってのも、奈美のいう”浮遊する魂”。

ソレなんだヨな、きっと」 「そうよ。私たちの説、ピッタリだわ!」 「よし、二人で学会で発表しよう」 「フォーカスとフライディも呼んでね」 話はもり上がったが、ずいぶんと色気のない方向へ行ってしまった。 「ねえ、公平」奈美がいたずらっぼくぼくを見た。「もしも私が、二重人格だったら、ど うする?」 「ハハ、もう一人の別人格がどんな女の子かによるよ」 「悪い子よ。とってもイケない私。八レンチで、エッチで、あぶない女」「だったら、縛って、転がしておくさ」 「─え」奈美はビクンと首をすくめた。「ど、どっちを?」 「もちろん、コッチの奈美を」 「いうと思った」 奈美はコロコロと笑った。 こういうときの奈美はまさにビーナスの美しさだ。半年前に出会って一目でイカれて以 来、ばくは奈美に首ったけだ。ぞっこん。ベダ惚れ。焦がれ死にしそう。

奈美に対するぼ くの想いは、なぜか古い云い回しの方がしっくりとくる。その奈美と、ボ、ボクは今夜、 ツイに、はあ、はあ。ムフフ。 「─ねえ、あの花、何かしら?」 みだらなぼくの視線を避けるようにして奈美が訊いてきた。見れば、道ばたのところど ころに小さな黄色い花が群生している。 「ああ、あれ。弟切草だよ」 とつぜんぼくの中を、殴りつけるような背信の思いがかすめる。 弟切草−オトギリ草科の多年草で、山地に広く自生する。夏秋に小さな黄色い五弁の 花を開き、実を結ぶ。その実の成熟期に全草を乾燥させて、止血薬、含漱剤とする。葉に 細かい油点があり、これが血しぶきのように見えるところがら、その秘伝の薬効を洩らし た弟を斬り殺した鷹匠の伝説がある。花言葉は、”復讐”─。 ぼくはその「弟切草」にまつわる話をゲームドラマに仕立て、企画会議に提出して社長 賞をもらった。

企画はすぐに商品化され、やるたびにストーリーが何十通りにも変る”世 界初の”新しいゲームとして、爆発的な大当りをとった。原作者ゲームデザイナーとして、 ぼくは業界のステーダスを得た。─そのアイデアは、恋人明美からの「パクリ」であっ た。 「公平って、何でもよく知ってるのね」 弟切草に関するうんちくを要領よく話したぼくに、奈美はいった。 ぼくはゲームドラマ『弟切草』には触れずにおいた。奈美はゲームに関心がない。ゲー ムデザイナーというぼくの職業についても、実のところよくわかっていないようだ。それ でいいと思っている。.ジョン・レノンとオノ・ヨーコが出会ったとき、彼女はビートルズ の名前さえ知らなかった。

遠くの空が光って、低い音が響いた。 「あら。カミナリかしら……」 「ああ、うん………カミナリだ」明美はなぜか、カミナリの好きな女だった。 高松明美ぼくが裏切った女。 そして、死んだ恋人。明美を紹介してくれたのは、弟の直樹だった。弟はぼくと同じ会社に勤める営業マンで、 明美は出入りの雑誌記者だった。明美はハスキーな声が特徴の魅力的な女だった。ぼくと 明美は最初の飲み会で意気投合し、すぐ恋におちた。ぼくらは夢を語り合った。ぼくは日 本一のゲームデザイナーになるといい、小説家志望の明美は直木賞をとりたいといった。

二人がはじめて結ばれた次のデートの夜、明美はなぜか興奮気味にぼくへ作品のアイデア を語った。ゲームにしても面白いかもといった。一つの設定でいくつものストーリーが浮 かぶといって、夢中で話してくれた。”復讐”という花言葉を使いたいといった。斬新で 画期的な内容だったそれが、『弟切草』だった。 ぼくはそのすべてを、タイトルから設定、変化するストーリー、登場人物の名にいたる まで、そっくり盗んで、翌る日の会社の企画会議に提出した。社長は即決で商品化を決め た。その瞬間からぼくは盗作者となり、『弟切草』の”原作者”となった。

弟直樹の話では、それを知った明美はまつ蒼になったという。ぼくにはたった一本の電 話をよこしただけで、明美はその日から行方不明となった。一ヶ月後、明美は雪の中で死 体となって発見された。なぜか裸身であったという。ぼくは葬式には行けなかった。警察 はその死を「自殺」であると断定した。その原因がぼくだったとは思いたくない。 それから一年 ある.バーで、偶然菊島奈美と出会った。どこか明美に似た面ざしがあった。会うなりぼ くは強く惹かれ、すぐさま熱暴走した。一方では死んだ明美に申し訳ないと思いながら、 ぼくはもう奈美のいない人生なんて考えられなくなっている。

お奈美にはまだ明美のことは話してない。これからもたぶん話さないだろう。ぼくが実は 恋人のアイデアを盗むような卑劣漢で、しかもその恋人は自殺したのだと知ったら、奈美 はおそらくぼくから去るだろう。ぼくは奈美を失いたくない。 「あ、また………」奈美が小さくくちびるを開いた。 遠雷だ。 行手の黒雲が瞬くように光ってふるえ、重低音が轟いてぼくらを包む。それはまるで、 明美の死霊がぼくへの怒りを伝えているような感じだ。 じつはさっきから、ぼくは死んだ明美にどこかから見つめられているような気がしてい る。

 

 

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