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豆炭とパソコン
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著者
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糸井重里
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出版社
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世界文化社
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定価
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本体 1400円(税別)
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ISBN4−418−00520−X
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プロローグ ここは秋葉原だ。 晴れた日だったか、曇った日だったか、地下鉄で行ったのだった。 子どもを抱えたお父さんとリュックを背負ったお母さんが、真剣なまなざしで。ハソコソ の画面をのぞき込んでいる。何に使うつもりなのか、訊いてみたいような気もする。いま 風の、安いけれどおしゃれってなファッションの学生が、売場のあちこちに貼ってある値 段表をかたっぱしからメモしている。初老の男性が店員の説明を熱心に聞いている。制服 の女の子は学校帰りなのか、雑貨店にいるような感じでゼリーのような色をした。ハソコソ の品定めをしている。外国人のカップルの男性が、大きな段ボール箱を毛深く太い腕で軽 がると抱えてうれしそうに店を出ていく。 電気街のパソコンショップは、何年か前とすっかりちがった景色になっている。マニア やおたくと呼ばれる人たちの街だと思っていたのに、いつの間にか、郊外のショッピング センターのようになっていた。「へ一え」自分がいかに外の変化に気づいていなかったか、 ということなのかもしれない。 そういうある日だ。思いがけなく.ほくは新しい.ハソコソを買って、それを前橋にいる母 Aに送ることになる。「母にAもBもあるのか?」と思われるかもしれない。あとで詳し く説明するけれど、ぼくには母がふたりいる。 ここで母Aというのは、いわゆる生みの母 のほうで、ぼくがまだものごころつかないうちに離れてしまったために、50年間生きてき た中で10回ぐらいしか会ったことがない。その母Aにパソコンを送ることになるなんて、 想像もせずに、ぼくは人の波やぴかぴかの新製品をながめていたはずだった。 しかし、この日をきっかけに、ぼくはパソコンという「未来の家電」を母の住所に送り つけ、それをまたきっかけに、ぼく自身がいままで感じたことのない何かを見つけること になる。思えば、とてもいい日だったのだ。ぼくのお調子者ぶりが、めずらしく役に立っ た日だったとも言える。 1999年の春、ぼくがインターネット上で運営している『ほぼ日刊イトイ新聞』とい うホームページが、ちょうど1周年を迎えていた。それで大なり小なりいろんな特別企画 を催していたのだげれど、そのなかのひとつに”イケショップ”という。パソコンショップの店頭画面をすべて『ほぼ日刊イトイ新聞』にする、というものがあった。もちろん、。パ ソコンショップに大勢で押しかけてゲリラ的に画面を切り替えるなんてことではなく、イ ケショップさんに全面協力してもらって、店内に置かれたすべてのパソコソの画面に『ほ ぼ日』が表示されるようにしてもらったのだ。 初めてハソコソを買ってインターネットを始めようという人が訪れる場所で、『ほぼ日』 の画面がアピールされているというのは、なかなかいい企画だ。だいたい、店内のすべて の画面に自分のホームぺージが映っているなんて、ちょっと悪くないでしょ。それがどの くらいの宣伝効果を上げるのかは定かでないけれど、とりあえずその当日、ぼくはご協力 へのお礼を兼ねてイケショップさんに出かけていった。 いろんなお客さんでごつた返す店内をぐるぐる回りながら、ぼくは考えていた。そのこ ろ、いつも気になっていたのは、まだインターネットを始めていない人にどうずれば上手 にインターネットの世界を楽しんでもらえるのか、ということばかりだった。ふつうの人 が、ふつうにインターネットにつながるようにならないと、ほんとうのインターネットの おもしろさは見えてこないのだ。 ぼく自身は、自分の誕生日に最初のパソコンを買った。詳しくいうと、1997年の11 月10日の午後のことだった。 きっかけといえるほどのものはなくて、ぼくは何か始めてみたかったのだと思う。元旦 に日記を書き始めてみたり、30歳になったことを記念してヒゲを伸ばしてみたり、引っ越 ししたその日からジョギングを始めてみたりするように、ぼくは何かをしてみたかった。 だから秋葉原にコンピュータを買いに行くことになったのも、いろいろ説明すればできる のだけれど、本当は、「いまが、その時だ!」と思ったというくらいのことだったと言える。 誕生日の前日に仕事場の人たちに「明日、パソコンを買いに行くんだ」と言いふらして、 「じゃあつきあいますよ」っていう暇なやつを見つけだして、待ち合わせして、それで最 初のパソコンを買った。要するに、誕生日だということで勝手に自分に勢いをつけて、え いや!とパソコソを始めたわけだ。 あのとき、ぼくはパソコンショップで、もっとおびえていたような気がする。 さて、イケショップの人たちにお礼を言って、 際、ぼくはこう見えても無礼なりに礼儀正しく、 いちおうの用事は終わった。それで帰り 人には余計な気を遣うことで迷惑をかけているような人間なので、何か買い物でもしていかないと協力していただいたイケショッ プさんに悪いかな、などと余計なことを考え始めた。ぼくは店内を物色して、ちょうどい い買い物ができないものかと思案した。しかし、。パソコンに精通しているわけではないし、 そもそも本当に買い物がしたいわけでもない。しょうがないから、そのへんにいる店員さ んをつかまえて、「ぼくはいま何を買ったらいいですかね」なんて聞いてみることにした。 まるで深い意味もなく質問したのだが、店員さんにしてみればそれはちょっとしたプレッ シャーだったのかもしれない。もちろんぼくにとっては、「どうよ?このごろ」くらい のなにげない質問にすぎなかったのだけれどね。 それで考えぬいて彼がぼくに薦めてくれたのは、。パソコンの冷却台だった。ぼくが使っ ているノート型。パソコンの下にそれを敷くと、放熱している。パソコンの温度を見事に下げ てくれるというスグレモノらしい。彼が言うには、長時間使用するとコンピュータは熱を 持って安定しなくなることがあるからこれは便利ですよ、と。 アルミの削りだしでなかなかの逸品ですよ、と。 本当に申し訳なかったげど、それは要らないなあ、というの が本心だった。なんだか、野球の道具を買いにきて、パットで もグローブでもなく、ラインを引く道具とかトンボを薦められたような感じだった。いい んだろうけど、それをわざわざ買う気にはならないなあ、と思った。 でも、アルミの削りだしの冷却台を薦めてくれた彼の立場もぼくにはよく理解できたの だ。接客のプロフェッショナルとして、そこに彼の健闘があることは痛いぼどわかった。 なんというか、彼の提示した冷却台という回答に対して、ぼくは勝手にホロリときてしま った。 それでぼくはとっさに「じゃあ一 iMac 買うわ」と言ってしまった。いろんな、バラン スをとるために、「じゃあオレンジ色のiMacを1台買います」と言ってしまったのだっ た。ほんとに、それは自分で、ちょいと欲しくなっていたものでね。 とは言うものの、ぼくはすでにパソコンを2台持っている。言いながら漠然と、ぼくは このiMac をどうするんだろう、と考えた。いつも、こうだ。始まってから考える、とい うのは、わりとぼくのパターンなのかもしれない。さらに、ぼくはこんなことまで言った ものだ。 「これ、地方発送で母親に送りたいんですけど」 それが始まりだった。始まりはいつも唐突なのだ。自分の考えていることが、いちばん よくわからない。だから、おもしろいことも起こるんじゃないの。 本文P19〜23 |
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