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新ゴーマニズム宣言 台湾論
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著者
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小林 よしのり
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出版社
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小学館
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定価
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本体 1200円(税別)
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ISBN4−09−389051−X
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言葉とアイデンティティー やはり言葉は偉大である。台湾の年配がしきりに日本語を話したがるのを目の当たりにし た時、日本語を封じられた朝鮮の年配は相当な抑圧があるだろうと同情せざるを得ない。 言葉を抑圧することは精神を抑圧することに他ならない。 日本統治時代の台湾の年配とて、日本人を発見した時に話が通じるか否かを窺っている節 がある。むろん言葉は通じても話は通じない世代が、戦後日本に増殖してしまったことは彼 らも日本からの若い観光客を見ていればわかるだろう。 それでも彼らの中には日本語への熱いノスタルジーもあって、総じて日本人の若者にも親 切に話し掛けてくれる。しかし一旦言葉だけでなく話も通じるとなれば、彼らは堰を切った ように統治時代の日本人について話し始める。彼らの精神は開放されるのだ。 台湾の戦後世代である謝雅梅さんに、「あなたは日本語ができるんだから東京に来るまで に〈多桑世代〉を捕まえてもっと話をいておいてよ〉と頼むと、「日本人でないとあんな に話してくれない」と言う。日本語を話せる台湾人ではだめなところが面白い。 元桃園神社でわしと統治時代のおじいさんが話しこんでいた時代も、その孫の世代の 謝さんは、まるで置き去りにされたような様子で眺めていたので、少し申し訳ない気がした ものだ。 植民統治というものに若干の罪悪感が生じるのは、まさにこういう時だ。その国の祖父と 孫の世代の言葉を断絶させてしまっていることが顕わになるからである。 しかし台湾の場合、言葉を断絶させたのは日本だけではない。 国民党もまた、北京語と歴 史教育という手段で、台湾の世代を分断したのである。 もちろん彼らは家庭ではミンナン語で親密に話してはいるのであろうが、そもそも当時言葉も 種族もばらばらだった台湾に住む人々に「我々」という一体感、「国民」というアイデンテ ィティーを萎委せたのは日本であった。台湾の本省人の祖父にとっては、その時代の重 大な歴史的意義が日本語という言葉に封じ込められている。 北京語は、残念ながらその祖父の世代に、「我々」は「中国人」というアイデンティティ ーを芽生えさせ、育むだけの魅力を示すことができないまま、ただ彼らの孫の世代に有無を 言わせず公用語として浸透していった。台湾人にとって歴史は二段階にわたって分断された のである。 日本の祖父も戦後世代の孫達に、言葉は通じても話は通じないという悲哀を感じできただ ろうが、台湾の祖父たちは話ばかりか言葉も通じなくなる不安を抱いていたかもしれない。 日本から来た若者が全く歴史の連続性に興味のない日本人であっても、その自然な会話と しての日本語の中に、統治時代の祖父たちは歴史感覚の琴線に触れる何か、自分が何者であ るかに関わる精神性を嗅ぎ取っているのかもしれない。言葉の中にはその語族の精神性が封 じ込められているからである。 ましてやわしのように自ら日本人とは何であったかを探して接触して行った場合、彼らは 失われた日本人の伝説を語る喜びに夢中になるのである。何しろ彼らは日本人を目撃してき たのであるから。 我々戦後の日本人は台湾統治時代を知る親日家の、例えば蔡焜燦氏のような愛日家の語る 「日本人よ胸を張りなさい」という温かい励ましに、感謝しつつもナルシズムを感じておれ る身分ではない。 本文P.278より |
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