ピカレス picaresque 太宰治伝
 
 
 
  太宰治の『遺書』の謎 に迫る本格評伝ミステリー  
著者
猪瀬直樹
 
出版社
小学館
 
定価
本体 1600円(税別)
 
ISBN4-09-394166-1
 
 

序章

流行作家の太宰治が東京・三鷹の玉川上水で心中事件を起こしたのは昭和二十三(一九四八)年 六月十三日、日曜日の深夜である。この年、六月半ばでも入梅に至らない。曇天でいまにも空が 割れそうだが持ちこたえている。こらえきれずに霧雨が横に流れ湿度だけは高い。寝苦しい夜が つづいた。

二人が入水した正確な時間を誰も知らない。その瞬間を目撃した者はいない。霧がたちこめて 視界はきわめて悪い。三鷹町警察署に出された捜索願によると、推定時刻は十三日午後十一時半 から十四日午前四時ごろまで、とされている。夏至が近づき目が長くなっていた。午前四時はあ たりがしらじらしはじめる時刻で、入水時間の推定の幅の下限とされた。

心中には謎が多い。死者は証言者になれない。したがって動機もわからない。日頃の言動や作 品から揣摩憶測することはできても、決定打にはなりにくい。遺書や遺留品、あるいは遺体の情 況が手掛かりになる。だがいまはまだ二人がただ消えただけの段階なのだ。

最初に気づいたのは、太宰治と心中した山崎宮栄が間借りしていた二階家の家主、野川アヤノ である。三鷹駅南口から徒歩三分ほどの距離で本町通りに面した二階家は間口が四間、一階を葬 儀社が借り、二階には六畳、八畳、四畳半の三部屋があった。うち六畳間に山崎富栄が住んでい た。共同のトイレと台所は一階の奥にあった。そこから裏庭に出る引き戸を開けると外の狭い空 き地に井戸があり、井戸を隔てて大家の野川家があった。

富江は二十八歳の美容師である。身長は百五十五センチ、鼻筋の通った細面で縁無しの眼鏡を かけていた。涼しい一重の眼には意志の強さが表れている。細い足首がすらりとした脚を際立た せていた。駅南口に近いミタカ美容院に勤めていたが半年前に辞めて、そのころから眼鏡をかけ なくなった。

動めのない富江は朝は少し遅れて井戸端に登場する。野川アヤノの洗濯の時間にぶつかるので いつも挨拶する。愛想はないがきちんとしていた。ところがこの日、富江の姿が見えない。風邪 でもひいて臥せっているのかと不審に思った野川アヤノは引き戸を開けて階段を昇った。かすか に線香の匂いがする。襖を開けると、部屋の様子がおかしい。もともととりたてて家具らしいも のはないのだが、背丈の低い粗末な本棚の上に二枚の写真が飾られている。本棚は行李を縦にし たもので、写真は太宰治が銀座のバー「ルパン」のカウンターのスツールで片膝立てて胡座をか いているもの、彼は微笑んでいる。富栄のほうは着物と対の花柄の薄地羽織姿の見合い用の写真 である。写真の前に水が入った茶碗が置かれていた。皿には燃え尽きた線香の灰が落ちていた。

野川アヤノがばっと息を呑んだのは、雨戸の閉められた暗い室内が整然とした印象を与えてい たからであった。引っ越しの荷造りをしたまま住人が消えてしまったような奇妙な空虚感が漂っ ている日部屋の中央に視線を移すと縞柄の和服が一着折りたたんである。上になにかが置かれて いる。本棚脇の小机にノートが数冊重ねられていたがその横にも白いものが置かれていた。まさ か、と思った。遺書ではないか、返書であればたいへんなことだ。階段を転げるように降り、履 物をつっかけて路地から本町通りへ出た。五メートルほどの道幅の通りを渡り、斜め向かいの小 料理屋「干草」へ駆け込んだ。

「干草」は太宰治の実質的な応接間であった。硝子戸を開けると土間があり、奥に座敷があっ た。太宰治は「千草」の二階に仕事場を持ち、編集者が訪れるとここで一杯やりながら打合せを した。待たせるしかない場合、時間つぶしには好都合であろう。「干草」は編集者の恰好の溜ま り場である。二階の仕事部屋は東向きに窓があり、本町通りを挟んで富栄の北西角部屋の窓がす ぐそばに見えた。

野川アヤノが硝子戸を叩くと、女将が返事をした。主人の鶴巻幸之助は米の買い出しで留守だ が、内縁の妻増田静江がいる。二人でまた道路を走って横切り引き返した。このとき野川アヤノ は援軍に抜けられて少し落ち着き六畳間の電気をつける余裕があった。部屋の中央に置かれた縞 柄の着物は増田静江が貸したもの、上に置かれた白っぽいものは「千草」夫妻へ宛てた遺書とわ かった。見ると隅の小机のものは太宰治の妻美知子宛の遺書だった。立てかけてあった色紙はN HKのドラマ「向う三軒両隣り」で知られる放送作家の伊馬春部に宛てたもので、伊藤左干夫の つぎの歌が記されていた。

 

 

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